「いい天気だなぁ、ねえ隊長?」
「……そうですね」
何かしら体を動かしているのが性に合っている綾葉の副官・篠田在時は、
溢れる汗を隠そうともせず満足そうに空を見上げた。
騎馬訓練として長距離の走り込みを終え、休憩と称して一団は近くの宿場で昼餉の真っ最中。
他の兵達が思い思いに店を練り歩いたり、町の娘に声をかけたりしている一方、
今回の将である綾葉は店先の長椅子に腰掛け、団子と茶を味わっている。
隣の在時が気を遣って何かと世話を焼いてくれるので、綾葉は暗くならない程度に静かに微笑んでいた。
だけど時折洩れるのはやはり溜息だった。
「こんなに穏やかな日は、久しぶりかもしれない」
天気の事もそうだが、それよりは気分の方が比重が大きい。
少し疲れたように吐き出した言葉に在時は「あれ?」と首を傾げた。
今日は将が最も敬愛している主がいない、だから一刻も早く城に帰りたがるはずなのに。
「三成様のご機嫌は直られたんじゃないんですか?」
「……どうなんでしょう…?」
曖昧に答えたのに対し、まだ駄目なのかと内心で独りごちた在時。
ここの所、特に島左近がやって来てから綾葉の悩みの種は尽きない。
左近との関係は良好に向かっているようだというのに、逆に綾葉と主の関係が思わしくない。
大きな喧嘩(少なくとも在時はそう思ってる)は解決したはずだ、
さらに何かあった訳でもないのにどこか奇妙なのだ、ぎこちない。
端から見ている身分で言えば、三成様が一方的に綾葉殿を避けているように見える。
その空気を察して気まずいのか、近づきたいのに互いに歩み寄れなくて戸惑っている、そんな関係だった。
在時にはそれに当てはまる感情の名を知っていたが、敢えて出そうとはしなかった。
こういうのは当人同士で解決するものだ。
「……いつも苛々されて、どうしたらいいのかもわからない。
左近殿とは普通にされているのに。やはり私が原因なんでしょうか……?」
「(あの方が苛々してるのはいつもの事でしょうに……)大丈夫ですよ隊長、
あの方は心底嫌いな者を傍に置く事などしないのですから。それは隊長が一番よくわかってるはずですよ」
「左近殿にもそう言われました……」
きっと彼もこの関係をじれったく思ってる事だろう、在時は空を見上げた。
「……時々あの方が、何を考えているのかわからない」
茶々の輿入れに際し出向いた城で、無言で見つめられて少なからず動揺したのは綾葉。
怒っているものでもなく、敵視されているものでもなかった。
ただあんな風に、切羽詰まった目で見つめられるのは初めてで思わず冷静を失った。
いくら声をかけても三成様は皺のよった顔で見下ろすだけ。
その徐々に近づいてくる主と比例して、自分の心はどんどん高鳴って。
どうしていいかわからなくなった時に、ようやく主の目から解放された。
それからまともに目が見られなくなってから、随分が経とうとしていた。
26・手負いの仔
――無性に近くにいてほしくないと思う事がある。
いた所で、ただ余計な苛立ちが増えるだけなのだから。
部屋を灯す蝋燭が揺らめいて書状が微かに陰る。
「この項目、後で調書を取っておけ」
「はい」
「………」
「………」
左近がいなくなると途端に居心地が悪くなる。
自分は何が変わったのだろうか、たった同じ空間に居るだけで息苦しい。
この沈黙に今は自分が耐えられない。
元々他人には興味のない人間だ、長年連れ添った相手だとしても、
背後に控えている者が何を考えているかなど到底わかるはずもなく、
だからこそ己はこんなにも平静でいられない。
集中できない、気が散ってばかりいる。
三成は突然立ち上がると何も言わずに襖を開け放った。
「三成様、どちらへ……」
慌てて付いて来ようとする綾葉を三成は冷たく見下ろした。
自分の感情が嫌で、あれから少しでも離れたくて立ち上がったのにそれでは意味がない。
「俺が何処へ行こうともお前には関係ない」
自分の言い放つ言葉のどれがあれを傷つけるか、
僅かながらも理解してきてはいるが、使わないようにする事とは別だ。
少なからず言葉の棘が刺さっているだろう、だが止められそうにない。
行く当てはない。
とりあえず頭を冷やすには夜の空気だ、
三成はひたすら歩いた後思念を振り払うように視線を中庭に遣った。
だが大きく溜息をついたのも束の間、背後に気配を感じた。
「……っ」
めげずにあれは主から離れまいと躊躇いながら控えている。
そのような顔をするならば付いてこなければいいだけの話だが。
……何故この俺が、薄情な綾葉の事ばかり気にかけなくてはならないのだ。
何故俺がこんな者に惑わされなくてはならぬ。
不快だ、見ていると腹立たしくなる。
だが自分自身はさらに煩わしい。
「共などいらぬ、邪魔だ」
「……申し訳、ありません…」
まるでこの世の終わりのように肩を落とす姿。
つい言葉に出してしまう気持ちを少しでもわかれと言いたいが、
罪悪感にかられて結局は逃げるように立ち去るのは自分だ。
「っ、……勝手にしろ!」
そう言いつつも、この両足はまたしても夜風を求めて屋敷を徘徊する。
――だが時折、自分はどうかしているのではと思う事がある。
用事の帰り、共を連れていなかった三成が気まぐれに兵達が集まる訓練場へ顔を出した日の事。
最も信頼できる臣下二人が向き合って何か話し込んでいた。
声をかければ良かったのかもしれないが今の三成にはできそうもなかった。
二人は主には気付く事なく話を続けている。
沈んでいるような俯き加減の綾葉と、普段と特に変わらない風情の左近。
どんな内容かはわからないが深刻な様子から問題でも起きたのだろうかと思ったが、
左近が持ち前の余裕を蓄えた笑い声をあげ何かを呟くと、少し躊躇いながらもあれは僅かに綻んだ。
他人には早々懐かない綾葉が、あろう事か左近に穏やかに笑っているのだ。
「っ、左近!」
きつい口調で呼び付けると左近は重い腰を上げるような素振りでやってきた。
その背後で独り立ち尽くしている物悲しそうな綾葉と目があった。
視線に耐えきれずに顔を背けて歩き出すと、さらに苛立ちを助長させるような笑みが聞こえた。
「殿、それでは誤解されますよ」
「!……煩い!」
わかっている、わかってはいるが不器用な自分が上手く立ち回れる訳がないと、
左近も理解していてこちらに難題を振りかけてくる。
素知らぬ顔で付いてくる男がこんなにも憎らしいと思った事はない。
例え左近であっても、いや左近であるからこそ余計に感じる。
自分と左近か、考えれば考えるほどどちらが劣っているかなど明白だった。
現にあれは今笑っていたではないか。
「………」
「どうしました、殿?」
「、何でもない、近寄るな!」
「そうは言っても殿が呼んだんじゃないですか。それとも他の理由でもあったんですかい?」
「っ、他の理由などない!」
左近を呼びつけた理由など、たとえ気付かれていたのだとしても口が裂けても言うものか。
あの時は無我夢中だったのだ、今思い返せばそのような感情だったのかもしれないという事だ。
クッと嫌な笑い声が背後から離れそうもない。
こんなにも他人に関して身を削った事などないのだ、今ですら心労を煩いそうな程だというのに。
あれを上手く扱う手段が見つからず、思い通りに進まず、苛立ちばかりが募る。
傷つけたい訳ではないのに、俺の言葉は傷つける事しかしない。
自分には無謀な事なのだと思い知らされる。
「あれは…………俺が、原因か……」
「まぁそうでしょうね、あんな風にされれば」
「………」
ただ寂しそうなあれの目だけが、いくら歩いても消えそうにない。
――さらに困った事に、どれだけ突き放しても……あれは付いてくるのだ。
「……左近はどうした」
「用事があるそうで先に戻られました」
「………」
目の前に用意された自分好みの茶。
背後に張り詰めた気配を感じながら立ち上る湯気を眺める。
どれだけこちらが不機嫌を隠そうとせずとも、あれは一度だって欠かせた事がない。
「………」
自分の感情はどうであれ、そんな顔をさせたい訳ではないのだ。
だがどうしても言葉が後から後から溢れてしまう。
初めて左近が羨ましいと思った。
あれならきっと喜ばせるような言葉がいとも簡単に口にできるのだろう。
……いつだったか、あれが期待と不安を入り混ぜたような顔で見上げてきた時は。
捨てられた犬のように落ち込みながら、次の瞬間には楽しそうに目を細めたのは。
与えたつもりなどないが、俺から何かを受け取ったと言いながら満足そうに従ってきたのは。
「……………」
「……………」
あれは確か、綾葉が他の誰でもなく俺を選んだ時だ。
「………明日……」
「はい……?」
「……明日、領地の視察に向かう」
小さな呟きを耳に入れた綾葉は戸惑いを滲ませた。
話しかけられるとも思っていなかったのだろう、綾葉は終始相手の機嫌を窺うように恐る恐る返答をする。
「え……あ、申し訳ありません……そのような予定があると存じ上げませんでした、すぐに左近殿に手配を」
「左近には執務をさせる」
「は……左近殿に、ですか?それでは私が三成様のお供を――」
「来るのか来ぬのか!!」
「は、はいっ、参ります!」
また余計な苛立ちから結局声を荒げてしまった。
こんな風にしか言えない自分の性格を呪い、またしても落胆しているだろう綾葉を盗み見たが。
―――あれは、零れんばかりの満面さで、笑っていた。
「…………っ!」
そうだ、これがずっと見たかったのだと気付いた。
「、遅れたら厳罰に処する!」
「……はい、承知しております。一瞬たりとも遅れはいたしません」
「その緩んだ顔をやめろ、目障りだ……っ」
「…………申し訳ありません、三成様」
どれだけ感情に任せて暴言らしき言葉を吐いても、あれはその顔を崩す事はなかった。
理解できない、あれの考えなど益々結論から遠ざかっていく気がした。
――だから、あれが後ろにいると、落ち着かないのだ。
だが馬鹿の一つ覚えのようにただ付き従う綾葉を遠ざける事もできない自分は、さらに愚かなのだろう。
顔が熱い……だから嫌なのだというのに。
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三成視点多め。
ツンデレ!
初めての感情に、色々な人に苛々してるといいです。