両軍が膠着状態となって長い時間が過ぎた。
幾度か城への攻撃が行われたが、その度に徳川軍は羽柴軍を退け決着は付かず、睨み合いの日々が続いていた。
一方、前の戦で負傷した三成と綾葉は後衛に下がる事となったが、
戦況と同様に三成の屋敷でも重苦しい雰囲気が漂っていた。
「お、綾葉殿、今日も殿に会いに行かないのか?」
「………」
あれから三成様の機嫌が悪い。
床に様子を伺いに行っても主は綾葉を怒ったように睨むばかりで、そしてフイと顔を反らす。
会話を持とうと思っても続かない、返答がほぼないと言ってもいい。
気に障るような事をしただろうかと綾葉は悩んだが、残念な事に思い当たる理由はいくらでも考えられた。
まず命令違反、隊をまとめる者が単独行動をしてしまった。
さらに主を庇おうと思って飛び出したのに逆に怪我をさせてしまった。
そして、さらに任務を無視して単騎で前線で武器を振るった。
どれをとっても三成様が怒る理由になり得る。
自分のせいで負わせてしまった怪我で包帯だらけの主を見るのも正直辛かった。
結局、屋敷には毎日出向いているというのに、
そんな空気に耐えきれなくて綾葉は介抱を左近に任せていた。
「……三成様を、お願いします…」
左近の献身的な介抱ぶりも見ていたし、先の戦で彼の性格もなんとなくだけど理解できた。
元々綾葉が勝手に敵視していただけで、左近には特に悪い箇所なんてなかったのだから、
以前のように強く睨む事なんてできなくなった。
さらに介抱してもらっている、その事実もあって決まりが悪い綾葉は弱々しくそっぽを向いた。
また面白がられるかなと思っていたが、そんな事はなく左近は苦笑していただけだった。
「あんた……殿によく似てる」
「………はい?」
「まっすぐすぎる性格も、感情が乏しい所も」
「…………」
「悪かったな。ついあんたが面白くて色々からかってた。あんたの居場所を取ろうと思った訳じゃないんだがね」
ごく自然に力強い手で綾葉は頭をなでられ、反発しようと思ったけどできなくて、
何故か無性に涙が出そうになって俯いた。
「殿は、あんたの事が大事みたいだ。看病していても、俺よりもまず先にあんたの名を呼んでいるぞ?」
「でも、三成様は私がいるととても不機嫌で……」
「そりゃあ仕方ねえな。痛々しいあんたを見せられたら、殿じゃなくても辛くなる」
「え……?」
綾葉の体には所々に包帯が巻かれ、剥き出しの肌も女子とは思えないほど傷跡が生々しく残っていた。
主よりも重くはないが、それでも綾葉も十分重傷人であった。
「せっかく殿が庇ったのに、その有り様じゃ意味がねぇなあ」
「じ、じゃあ三成様が不機嫌なのって……」
「それは殿に直接聞きな、他にも理由があるかもしれねぇしな」
「………」
ニヤニヤと含み笑いでからかってきたが、今はもうそれは不快ではなかった。
それよりも主がどう思っているかの方が気になって、不安な顔付きで廊下の木目を見つめていると、
「大丈夫だ」
「……っ」
今まで散々毛嫌いしていたのに、目の前の存在がとても頼もしいものに思えてきて。
元々人の心情を汲み取る事に長けているのか、簡単な言葉なのに不思議と安心できる。
あやされている自分は、きっと小さな子供か何かに見えたのだろう。
何だかこれからは頭が上がらないかもしれないなと、頬に傷を付けた大男を盗み見た。
25・彼女を縛る男の名
いつからかは覚えていない、気がついた時には後ろに綾葉がいた。
変な奴だと思った。
始めから全幅の信頼を寄せ、好んで自分に付いてくる人間は滅多にいない。
彼女は片時も傍を離れず、そして笑っていた。
綾葉が後ろに控えているのは嫌いじゃない。
暇さえあれば何かしら持ってきては嬉しそうに勧めてくる姿は、嫌いじゃない。
呼べば何を差し置いても飛んでくる綾葉は嫌いじゃない。
忠実な綾葉が、戦において時折逸脱した行動をとるのも、実は嫌いじゃない。
気位の高そうな瞳が、自分の名を呼ぶ時は穏和なものになる一瞬が、嫌いじゃない。
あれの涼やかな声が耳に届くのは心地良い。
あれは自分に対して敬愛しているとも、離れたくないとも言った。
その言葉を思い出すたびに落ち着かない気分にもなった。
だから余計に……腹立たしくて、悔しいのだと思う。
「申し訳ございませんでした三成様……その…怒って、いますよね?」
「違うと言っている。お前の采配を見誤った俺が馬鹿だったのだ」
「い、いえ、私が勝手に……!」
「もうよい、これ以上俺を煩わせるな」
これまでの事もある、独断で行動するだろうという事は予測できた。
だからそれについては別に処断する気もない、だから許すと言っているのだが。
自分では言動に今までと然したる差はないと思っているが、
綾葉は敏感にこちらの苛立ちに気付き、躊躇うように俯いていた。
それは的確に汲み取れるのに、何故それ以外の本意が伝わらない?
「殿、いい加減意地張らないで下さいよ」
「、意地など張ってはおらぬ!」
左近にはどうやら気付かれているというのに、何故あれにはわからない?
綾葉を庇ったのは、何か考えて行動した訳じゃない、勝手に体が動いてしまったからだ。
意味のわからない悪寒が全身を走って、綾葉を止めなければいけない気がしたからだ。
だから怪我をしたのは何とも思っていない。
むしろ綾葉が重大な怪我をしていないか、そればかりが心配だった。
なのに、あれは怪我をして前線から運ばれてきた。
左近によると自分を襲った者を追い、そのまま前線で戦い、さらには本多忠勝に食らい付く直前だったという。
呆れてものが言えない。死なずに帰ってきただけましな戦況だったというのに。
俺が何の為にお前を庇ったというのだ。
怪我を肩代わりした自分が滑稽に思えてきて、馬鹿馬鹿しくて怒る気にもならない。
そして、それを綾葉は気付かない。
……そのうえ―――
戦が持久戦となって半年、争いの原因であった織田信雄が独断で秀吉と講和した為に、
信雄を擁していた家康は戦う意味をなくし、戦は終結する事となった。
服部半蔵から受けた傷が癒えてしばらくが経つが、
依然として綾葉とのぎこちない関係はあまり修復されなかった。
元々それほど多くの会話はなされていなかった為、私事では特に必要としない。
さらに三成が不機嫌そうな雰囲気をまとっていた事もあってか、
綾葉は主の顔色を窺いながら政務以外は席を左近に譲り、
板挟みになっている左近は意固地な主をどうしたものかと頭を悩ませるばかりであった。
そんな微妙な雰囲気が満ちている頃、三成と綾葉は秀吉に呼び出された。
秀吉はかねてより保護していた、お市の娘の一人を側室として召し上げる事にしたのだ。
輿入れに際し、過去に娘の生家である浅井家に仕えていて、
かつ同性として
話し相手に適任だという事で、綾葉が指名された。
娘はとても母に似て美しかった。
静かに佇んで前を見据える表情は、どこかお市のように儚げで。
そして懐かしい綾葉を見つけて微笑んだ目元は、父に似ていた。
「!茶々、様……っ!」
悲痛と、喜びが混合したような顔をした綾葉を、三成は面白くなさそうに睨み付けた。
「――そろそろ三成も考えた方がいいぞ」
「………はあ」
綾葉が茶々と談笑している一方で、秀吉は三成を個別で呼び立てた。
深刻な話だろうかと構えていたが、主君の口からもたらされたものは全く別物。
それは、縁談を打診するという内容だった。
年齢的にもおかしい話ではない、だが今までその事を失念していた三成は
どう答えたらいいのかわからず、ただ曖昧な返事を返した。
秀吉なら悪くない条件を見繕ってくれるだろう、そう思いつつも、
『縁談』と聞き一瞬だけ脳裏に浮かんだ顔に三成は驚きを隠せないでいた。
「早く嫁をもらえ。子はいいぞ?」
「………は」
長らく子がいない秀吉は少し辛そうに笑った。
……確かにそろそろ真剣に検討しなくてはならない。
良家の娘を娶り、子をたくさんもうける事も大事な責務のうちだ。
……だが、何故今、あれの顔が浮かんだのだ?
長い廊下を歩くと、庭を見ながらぼんやりと立ち尽くしている綾葉がいた。
こんな状況、以前にも同じようにあった気がする。
やはり彼女は桜を見ていたあの時のように泣きそうだった。
恐らくああいう顔をするのは、浅井に仕えていた頃を思い出しているからなんだろう。
どれだけ忠実だったかというのは、お市が死んだ時の綾葉の取り乱した姿で予想できた。
お市と浅井長政の生き写しのような茶々、嫌が応にも考えてしまうのだろう。
「……」
彼女は、今までずっとあのように過去を思い出していたのだろうか。
十年も前に滅んだ浅井家の事を思い、消えそうな顔で遠くを見つめる。
……俺が死んだ時、綾葉はあのように泣いてくれるのだろうか。
――「やっと会えると思ったのに……長政様……」――
駆け寄った自分の目の前で、あれはそう呟いたのだ。
眩しい太陽を目に入れ、至極残念そうに。
自分が怪我をして、逆上して前線に走ったものと思い違いをしていた。
歓迎はしないが、綾葉の怪我は自分の為に負ったものなのだと。
綾葉は……俺の為に戦っていたのではないのか?
そればかりが気になって、そして綾葉の言動に苛立ちが隠せない。
彼女は自分の前では表情を崩したりしないし、どこまで本当のものなのか信じ切れない。
そして今も本当の彼女を知らない。
……くだらない、人間は死んでしまえばそれで終わりだ。
所詮死人はただの死人。過去に囚わるなど、ただの逃げではないか。
そう思っているのに、言葉にしてしまったら永遠に彼女の本当の笑顔が見られなくなる気がして……
「……三成、様?」
「…………」
苛々する、でも何に苛ついているのかわからない。
お前は今は俺に仕えているはずだろう……少しは、俺を……
――「早く嫁をもらえ。子はいいぞ?」――
今はそんなものが欲しいんじゃない。
……だが、嫁をもらうなら、綾葉のように俺の足りない言葉でも不快に思わない者がいい。
綾葉のように、飽きもせず無音の部屋に居続けられるような者がいい。
だけど時折、世間話を織り交ぜてみせたり、呑気に茶菓子を勧めてくれる者がいい。
自分の隣で、肩を預けられる者がいい。
「っ……!」
ずっと疑問に思っていた答えが突然頭に飛び込んできて、
不安そうに見つめてくる綾葉から逃げるように踵を返した。
……綾葉を、嫁に欲しいと思った。
俺は……綾葉の、心が欲しいのか……っ!
「くそ……っ!」
だが、どうしようもない。
俺が言えば、あれには命令にしか聞こえないだろう。
内心どう思っていようが、笑いながら全てを差し出してくるだろう。
それでは嫌なのだ、そんなものは欲しくない。
苛々する、こんな感情に気付いた所で……どうしようもできない。
あのような薄情な人間に、感情などさらけ出せるものか。
言うものか、言ってやるものか……!
――あれは……浅井長政しか見えていない。
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どこまで人物を登場させようか悩みます。
それこそ、秀吉と関わる人を出せるだけ出したら大河みたいになっちゃうので(笑)、
この夢ではある程度人物を絞って、なるべく無双に出ていたキャラを関わらせようとしてますのでご了承下さい。
やっとワクワクな展開になる……かな?