―――それは、二つの出会い。

知を司る愛の武士と、義に生きる勇ましき武士―――



越後の越水城。
その地に秀吉と三成、その他少数の家臣だけで大胆にも上杉領に足を踏み入れていた。

このような場にまで出向いたのは上杉との会見の為、
元々同盟関係にあったがそれを強固なものにしようとする狙いがあった。
やがて対面したのは上杉景勝、今の事実上の上杉家の当主であり上杉謙信の甥にあたる。
その後ろには側近である直江兼続、まだ若い青年だった。

三成様と同じぐらいかな、綾葉は真っ直ぐに前を見据える姿を捉えた。

真面目そうな顔が印象的だった。
まじまじと見つめていたからだろうか、ふと歩みを止めた兼続と綾葉の目が合う。

「おや、あちらの旦那がじっとこっち見てるぜ。罪だねぇ」
「……そんなんじゃありません」

無遠慮に覗き見してしまったのは自分、軽く会釈して視線を外すと職務に戻った。

一方の兼続はというと、このような場に女人がいる事に驚いていた。
女中でも、ましてや奥方でもない、立派な家臣の佇まいをしていた綾葉に興味を持っていたが、
実際に面と向かって言葉を交わすようになるのはまだ先の事。



「さて、此処からは儂らだけで行くとしよう」
「左近、綾葉、いつでも動けるようにしておけ」

秀吉に続いて三成は背後の臣下を振り返る。

「わかりましたよ、殿」
「三成様、お気をつけ下さい」
「お前に言われずとも承知している」

総大将、そして不機嫌な主の鷲色の髪が遠くなっていくのを、綾葉はしばらく見送っていた。

「大丈夫でしょうか……お二人に何かあったら……」
「そう重く考えなさんな。うちの殿は一筋縄じゃいかないぜ」
「……わかっています」

本当に一筋縄じゃいかない。
不安そうな綾葉を余所に左近は別の心配事が浮かんで天井を見上げた。

まさか、こんなに奥手だとは思わなかった。

不器用すぎる主と鈍感な臣下の関係はいつまで経っても発展しない。
左近が出仕する前からこんな調子だったのかと思うと眩暈さえしてくる。

何か、それこそ二人を揺るがすような何かが必要なのだ。
やれやれと大きな溜息をつくと、隣の綾葉がじっとりと睨んでくるので左近は肩を持ち上げてみせた。




会見は無事に終わり、秀吉と三成は良い収穫をしたとでも言いたげな顔で家臣達の下に戻った。
主に話を聞こうと綾葉が三成の傍に寄ると、

「あの直江兼続という男……なかなか面白い奴だ」

彼が開口一番そう呟いたので綾葉は思わず返事を忘れた。

「殿がそう言うなんて珍しいじゃないですか」
「煩い、そう思う人間がいなかっただけの事だ」
「そうですかい。ま、殿に楽しみが増えたようで何よりです」

他人を褒めるなんて滅多にない。(あったのかも思い出せないぐらいだ)
その人をここまで言わせた男は相当な御仁なのだろう。

……直江兼続、か……

何だかまた出会うような気がして、綾葉は微かに微笑んだ。
主にこのような表情をさせてくれた男に心で感謝しながら。






27・えにし深く






―――それは彼女にとって特別な、胸を痛ませるもの。
宝物のように大切にしたいもの、だけど今も心を抉り続ける棘のようで。

記憶の奥に仕舞い込んで、誰も知らないとわかっているのに捨てられなくて。
時々疼いては鼓動を刺す、それでもかけがえのないものだから抱きしめていたくて。

もう、この耳で音となって感じる事はないのだと思っていた。
主が告げる、主が囁き笑う。最後の時も、主は呼んだ。

与えられたのは、もう一つの彼女の名―――


綾葉にしてみれば、それは突然だった。

「ああすみません、石田三成殿のお部屋はどちら………え?」
「……?」

城では見た事のない顔だった。
長身で精悍だけどまだ若い青年の、所々に赤をあつらえた衣装が目に入る。

綾葉は自分を見て放心している男に首を傾げた。
どこかで会った事でもあるだろうか、それとも自分がどこかおかしいか。

長かった沈黙の後、ようやく男は目を輝かせて近づいてきた。

「もしかして、藤姫でいらっしゃいますか!?」
「、え………どうして、それを……っ」

藤姫、それはまだ幼い頃によく呼ばれていた名。
姫という立場ではないと何度申し立てても笑ってごまかされた。

……長政様は、決まって私を子供扱いするときに嬉しそうにその名を呼んだ。

「一度、近江に出向いた時貴女にお会いしました。私もあの頃は幼く……弁丸と呼ばれていました」
「え……弁丸、殿…!?」

遠い昔、武田からの遣いとして町人に扮した親子がやってきた。
かの有名な武田信玄公の家臣だと心躍らせた事は今でも記憶に残っている。

少しの間だけだが、年が近いからとその童の遊び相手にもなった。

「まさかこんな所で貴女と再会できるとは思いませんでした……!すぐに藤姫だとわかりましたよ」
「はい、私もです…………弁丸殿も、本当に大きくなられて……」
「はは、今は真田幸村ですよ」

身長は完全に追い越され、見下ろされながら静かに微笑する青年。
人当たりが良く礼儀正しそうな出で立ちも、恐らく戦に出れば鬼神の如く腕を振るうだろう体付き。

子供とはいえ彼は既に戦人の目をしていたと記憶していたが、
今の彼はどこか意思を秘めた力強いものではなく、嵐の前の静けさのように鳴りを潜めている気がした。

「その格好をなさっているという事は、やはり戦に出ておられるのですか?」
「はい、三成様に仕えさせていただいています」
「……あの頃から、やはり槍が得意でいらっしゃるのですね」

幼くても綾葉は武器を持たせれば強かった。
これからの時代には必要だったとは言え、それを教えた今は亡き主はいつも複雑な顔をしていた。

「……弁……いえ、幸村殿はどのような?」
「はい、秀吉様の下に出仕させていただく事となりましたので、三成殿にも是非お目通り願おうと」
「そうですか……では私でよろしければご案内いたします」

わざわざすみません、と詫びると綾葉は構わないという表情で振り返った。

綾葉は複雑な感情を合わせた上で、嬉しさを感じていた。
あの頃出会った人とまさかこんな形で、互いに成長した姿で対面するとは思っていなかった。
そして、もう呼ばれる事はないと思っていたあの名を聞く事になるとは。

これまでに武田軍勢に起こった事を思うと、何だか物悲しい気持ちにもなったが、
やはり残ったのは放心してしまいそうな程の奇跡のような感慨。

そんな感情をにじませながらもしなやかに歩く後ろ姿を、幸村は満足そうに見つめて微笑んだ。

「本当に……お綺麗になられた……」






「それでは私は失礼します」
「ありがとうございました、藤姫」

持ち場に戻りますと頭を下げた綾葉に真っ先に声をかけたのは幸村。
その呼び方は嬉しい、だけど今も昔も気恥ずかしいのは変わらない。

「……今は綾葉です、幸村殿」
「すみません……綾葉殿」
「……………」

綾葉が退出したのを見計らったのかはわからないが、
用件などよりもまず先に三成の口をついて出たのは彼女の事だった。

「あれを知っているのか」
「ええ、私が幼い頃に一度だけですけど」
「……『藤姫』とは?」
「その時に浅井長政殿やお市の方に呼ばれていた名です」
「……」

三成の眉間の皺が深くなっていくのに気付かない幸村はさらに続ける。

「本当に長政殿を慕っていたようで、女中職だけでなく武器をも持って。
長政殿直伝の槍術は幼少ながら素晴らしい才能を持っていました」

稽古の相手をしてもらった時は相手にもならなかった。
さらに彼女はあの華奢な体で男達とほぼ互角の戦いを繰り広げていたのだから、ただ驚くばかりで言葉を失った。

そして、自分が教え込んだのだという彼女の主の顔はとても誇らしげで、
だけど寂しそうな目で見守るものだから、子供ながらに彼らを覆う影を感じた。

「……可愛らしい方でした。長政殿にいただいたというお召し物はどれも上品な藤が描かれていて。
淡い色が似合う、まさに藤姫と呼ばれるに相応しい花のような方でした」

お市の方には桜色がとても似合い、そして藤姫はその名の通り紫苑色が。
小さな蕾の彼女を大切に慈しむように育てられていたと一目でわかった。

「お二人から……大事に大事に、愛されていました」

主に忠実でまっすぐな意思を持った目、既に大人顔負けの槍の腕。
でもひとたび幼い顔に戻ると、とても一途で可愛らしい姫。

幼少ながら、憧れていた。

「………気が済んだか。早く用件を言え」
「す、すみませんでした。では……」

声色が一段低くなった三成に、余計な思い出話でしたと頭を下げた幸村。
だが本題であるべき用件が三成の耳には上手く入ってこなかった。



……苛々する。
自分の知らないあれの過去を知っている目の前の男に。

そしてあれを取り囲むのは、いつも必ず浅井長政の影。



これだけでも頭が痛いというのに、三成の不機嫌はそれだけでは終わりそうになかった。
幸村が来てからというもの、彼女は確実に主の部屋に顔を出す頻度が減ったからだ。

「遅い、呼びつけてからどれだけ経ったと思っている!」
「申し訳ありません……幸村殿に城内を案内をしておりましたので遅れてしまいました」

それにはさすがの三成も筆を止めた。

「……何故お前がする必要が?そんなもの在時にでもやらせておけばいいだろう」
「手が空いていましたし、顔見知りの方が幸村殿も慣れやすいかと思いまして」

至極当然のように答えた綾葉の顔は余計に神経を逆撫でするだけだった。
隣にいた左近など触らぬ神に祟りなしと思ったのだろう、完全に気配を消している。

自分が呼ぶとさほど反応しないくせに、幸村が呼ぶと綾葉は確かに綻ぶ。

だから……そう、ただ、呼んでみようと思っただけだ。
あれが昔付けられたという、呪いのような呼び名を。


……その数秒後、三成は後悔する事になる。



「…………藤姫」

「!、は、はいっ!」


ドクン、と未だかつてないほど鼓動が跳ね上がって、反射のように返事をした綾葉の声は上擦った。
驚きや動揺と悦びと、様々な感情が入り交じって高揚した顔をしっかり見られてしまい、目を泳がせるしかなかった。
今のは臣下としてのものじゃなかった、あの頃のようにただの少女の表情をしていただろう。

その名を、この人から呟かれると弱いのは何故だろう。

だけど、反対にどんどん主の鋭い目が冷たくなっていくのは何故だろうか。


「お前の名は藤姫か?」
「……い、いえ、私は綾葉です……誰でもなく三成様にお仕えする者です……っ」

主の言葉の意味を理解して綾葉はハッと顔を上げると極力真剣な目で見つめ返した。

だが三成は顔を背けるとそれきり綾葉を見る事はなかった。

「……もういい。これを明日までに修正しろ、下がれ」
「………はい」

溝が一層深くなった気がして、綾葉は俯くしかできなかった。


溜息をついたのは、やはり事の成り行きを見つめていた左近だった。











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ようやく登場、兼続と幸村!
友情トリオを詰め込みたくて、1話の中で時間がかなり飛んでます。

越水の会を入れてみました、そしてまたしても史実を早めました。
上杉家はあまり馴染みがないので変な知識あるかもしれません。