賤ヶ岳の戦いが終結したこの年、
信長の後継者として名を馳せた秀吉は大阪の地に、壮大な城の建造を開始した。
同時に、戦により功績をあげた三成も四万石もの禄を与えられ、新たな屋敷を建てるまでになった。
総大将に気に入られているという事もあり、
綾葉も禄と屋敷を与えられる事になったが、綾葉はそれを丁重に断った。
理由はいくつかある。
自分は主に仕えてきただけだからという謙遜や、独りでいたくないという事の他に、
屋敷という物で固めるほど自分を安定させたくはなかったからだった。
「おはようございます、綾葉様」
「……おはよう」
望んだ為に相変わらず間借りではあったが三成の屋敷のすぐ隣に住めるようになり、綾葉にはお付きの女中と配下が与えられた。
禄を断った事で気を悪くされなかったと不安だったのに、秀吉とねねに、
女子の身で一人部屋は心配だからこれだけは聞き入れてくれと、逆にお願いされてやむなく受けたからだ。
「……その『様』っていうのはやめてくれませんか?何て言うか、私はそんな偉い人間じゃないから……」
「そうですか?でも私達にとっては主も同じです」
彼女は名を奏(そう)といい、朝早く挨拶に来たが決して女中ではない。
元々はおねね様の女忍部隊に属していたが、綾葉の護衛兼槍部隊の補強として小隊ごと移動してきた。
性格はおねね様に似てか、快活でよく笑う人だ。
年は同じくらい、自分よりも少し華奢な体付きだけど立派な忍部隊の隊長だ。
「皆、移動の話が出た時に自ら願い出るほど、綾葉様を尊敬しているんですよ」
「そう、なの?」
「はい。私達……いえ、少なくとも私は綾葉様に仕えられる事になって本当に幸せです」
「………あ、ありがとう」
仕える事に慣れていても、仕えられる事にはあまり慣れていない綾葉にとって、
奏の言葉はくすぐったくて、でも日々の行いを評価され慕われているという事は素直に嬉しかった。
同じ女兵士として奇妙な親近感が湧き上がるが、同性との付き合い方を知らない綾葉は
こういう時どういう対応をすればいいのかがわからず、ただ照れ笑いを浮かべるしかできなかった。
「呼ばれ慣れないかもしれませんが仕える以上、これは私達のけじめですから、
どうか綾葉様とお呼びする事をお許し下さい」
自分も三成様に仕えている身、
主に対して敬意を表する事は配下としての義務だと、奏が言う事も理解できる。
大事なのは呼び方ではないのだとわかっているから、綾葉は何とか慣れようと頷いた。
「…………ええ、わかりました。……それと」
「はい?」
綾葉が何か言いたそうに口籠もるので、奏は根気よく新しい主からの言葉を待った。
「……朝餉、一緒にどう?それを言いに来てくれたんだよね?えっと……お奏殿?」
親しみと礼儀が入り交じったような呼び方に、綾葉自身もこれでは変だと内心焦った。
慌てて違う呼び方を何度も口にするが、結局「こういうのよくわからなくて」と詫びた。
槍を持ち絶対的な忠誠心で主に仕える姿とは正反対に、
呼び名一つで狼狽する綾葉を目の前にして、奏は慈しむように微笑んだ。
――「どうか、綾葉の支えになってあげて」――
おねね様の言葉の意味をようやく知り、奏は心から仕えようと誓った。
「はい、是非ともご一緒させてください、綾葉様」
心は変わらない。
だけど季節が変わり、次第に取り巻くものが変わっていく。
19・変わりゆくもの
綾葉は不機嫌な感情を持て余していた。
愛馬にもそれが伝わったのか、足取りはやや重く慎重に歩んでいる気がする。
離れないようにして数歩の距離を保った正面にいるのは、もう見慣れた主の背。
鷲色の髪を見つめる視線はいつもより刺々しい。
「三成様……」
「なんだ」
「…………島左近という男は、本当にこのような場所にいるのですか?」
筒井家を脱して近江の地にいるという事までで正確な所在が分かっていなかった所へ、
三成様の偵察兵がようやく突き止めたのはつい最近の事。
比較的規模が大きな集落に入った所で綾葉は顔をしかめた。
通りを行き交うのは艶めかしい女とほろ酔いの男、そして目の前に立ち並ぶのは揚屋。
完全に何をしているのかが想像できる場所だ。
「そうだと聞いている。確証がなければわざわざ来ぬ」
「………はい」
島左近は山崎の戦いで一度顔を合わせ、三成様に「報いる」とまで言わせた男だ。
以前から戦の腕やその先を見据える軍略の才は有名で、
どの将軍も高禄を差し出してでも引き入れたい人材であった。
しかし主家が不義を犯した為に男は禄を放棄し、牢人となった後も、
誰の誘いにも乗らず放浪していると聞いた。
将軍が直々に赴いても仕官させられるかわからないという状況なのに、
三成様をこうやって来させるほどの、男。
山崎で会ったあの顔に対して、綾葉の心でざわつくのは不快と焦燥。
「……どうして、島左近という男を引き入れようと思われたのですか?」
三成様に絶対的に付き従う人間なら、ここにいるのに。
それなのに島左近を仕官させるという事は、私では不十分だという事ではないか。
私だけでは駄目だという事ですか?私では駄目なんですか?
「必要だからだ、それ以外に何がある?」
「………………いえ、すみません」
優秀な人材が増えればそれだけ軍にとっては喜ばしい事なのに、
綾葉にとっては、今まで築き上げてきたものが脅かされている気分だった。
崩れてしまったら、きっと自分はもう生きていけない。
「また仕官しろというお大名かい?」
屋敷に乗り込むと、数人の女に囲まれた男が酒を呷っていた。
何度も同じような状況になったらしく、
三成様が襖を開けると同時に男はうんざりとでも言いたげに眉を潜めた。
「一万五千石の禄を蹴って牢人してるんだ、それ以下じゃ仕える気はありませんね」
「二万石出そう」
それは傍で聞いていた自分も驚く発言だった。
一万五千石よりもはるかに多く、そして……
「三成さん、二万石といえばあんたの禄の半分だ」
「……名乗りもせぬのに詳しいことだ。牢人すれど情報収集は怠らぬか」
男は目の前の主の素性を知っており、なおかつ禄まで把握している。
三成様が欲しいと思う訳だ。
そして深い所で探り合いをするように睨み合う主と男、
今は自分が出しゃばる場面ではないと分かっているのに、蚊帳の外なのが悔しい。
「家来と主と同じ禄になるぜ?そんな高禄で俺の戦の腕を買おうってのかい」
「俺が買いたいのは、不義に怒り高禄を蹴った志だ」
やはり私の主はどこまでも義に生きる人だ。
「同禄でもかまわぬ………俺が欲しいのは同志なのだからな」
「――待った!」
三成様が立ち去ろうとすると男は静かに跪き、そしてこうべを垂れた。
「殿……と呼ばせてもらいましょう」
どうしようもなく差を感じた。
「………三成様」
「なんだ。朝から様子がおかしいぞ」
帰路の途中で、綾葉はまたしても主の背中に呟いた。
男と対峙していた時とはうって変わって、静かな眼差しを向けてくる主。
男は準備があるらしく、必ず登城すると約束をして別れたので帰りも主と綾葉の二人だけだった。
「…………何でもありません」
「……用がないなら呼ぶな。その曇った顔もやめろ」
「はい、申し訳ございません……」
三成様が俸禄の半分を差し出してでも引き入れたかった男。
三成様が信用するのなら、あの男はしっかり主の傍に仕え、主の為に働くのだろう。
それが禄で選んだものだったとしても。
だけど自分は未だ釈然としない気持ちを抱えたまま。
「少し馬を速めるぞ、日が暮れる」
「はい……」
三成様…………私は、貴方にとってどんな存在なんですか?
ああ、きっと答えなんて分かりきっているのに。
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史実では左近はもう少し後に仕官するはずなんですが、
無双では小牧長久手の時点で左近が入っていたし、話を盛り上げる為にも早めの登場になりました。
※この頃、水口城主となっているらしいのですが、確たるものがないので明言は避けました。
ヒロインの心が穏やかじゃないです、うふふ。
状況や心情が少しずつ変わっていってる事が描けていたら本望です。