関弓に来て二年目に突入した。
以前は休日に出掛けていたが最近ではそれもなくなってしまったので、
空いた時間は勉学に没頭し、予定の数の允許を取る事ができた。

尚隆が来なくなって久しいが、いつまでも落ち込んでいられない。
本業は勉学だ、他の事を気にしていたらあっという間に遅れてしまう。

本当は、深く考え込んでしまうと泣きそうになる気持ちを押さえ込むだけで精一杯だけど、
それは勉強に集中する事によって忘れるように努めた。

久しぶりの休日、鳳綺は遅れている講義の分を取り戻そうと書庫に足を運んでいた。
その途中で厩を覗くのはもう無意識に行ってしまっている。
この日も例に違わず一瞬だけ見遣って、また来ないのかとため息をついて踵を返そうとした時。

「!?」

持っていた本を取り落してしまったがそんな事はもうどうでもよかった。
厩だけが光って見えるようになるほどの光景。
焦がれ続けたあの姿は忘れたくても忘れられない。

(尚隆……っ!)

嬉しくて嬉しくてまた視界が滲んできた。
飛び出すように厩に向く足は、鼓動と同調してだんだん速くなる。

(会いたかった……ずっと会いたかった!)

尚隆は半年前と変わらず壁にもたれかけて腕を組んでいる。
この物思いにふけっている横顔がやっぱり鳳綺の胸を締め付ける。

「よう。久しいな」

近づく嬉しそうな足音に気付き尚隆はこちらを向き、変わらないにんまりとした笑み。

「な、何で……!ずっと来なかったのに……!」

疑問の言葉を投げかけながらも、雫を浮かばせる銀目は花咲くように踊っている。
次に会ったらどんな顔をしようと思っていたのに、そんな悩みは全て吹き飛んでいた。
ただただ、来てくれただけで嬉しくて、その気持ちのまま尚隆の前に立つ。

「ちょっと立て込んでてな。すまなかったな」
「ううん、そんな事ない!」
「では、また散歩でもするか」
「うん!」

満面の笑顔に迎えられて尚隆も思わず顔が綻んでしまった。







9章








「あれ?どこ行くの?」
「今日はどこも行かん。たまには趣に浸るのもいいだろう」

鳳綺と尚隆が降り立ったのは関弓からそんなに遠くない山の頂上。
岩が剥き出しになっている崖からは関弓の街と周りの自然が一望できる。

何故此処に来たのか不思議だったが、景色と風の気持ち良さに疑問はいつの間にか消えた。
尚隆が一緒にいる、ただそれだけで全ての物が輝いて見える。
この空も、一段と晴れ渡っている気がする。
普段何気なく見ているものなのに、尚隆といると世界が変わってしまうんだと自覚した。

いつの間にかこんなに欠かせない存在になっていたなんて。
この会えないで半年ではっきり確信してしまった。

(私、ずっと尚隆の事が……)

「どうだ、この景色は?」

尚隆の声にはっと我に返る。

「う、うん……いいね。風も気持ちいい」

柔らかな風が鳳綺の黒髪を撫で、雲が遙か彼方をゆっくり流れる。
木々はさわさわと音を奏で合い、広大な大地で生きる、人間達。

「随分良くなった。昔は何もなかったからな」

遠くを見つめる尚隆の瞳はどことなく寂しそうだった。

「……尚隆は、いつからこっちにいるの?」

何気なく聞いてみた。
しかし尚隆は小さく笑うだけで何も答えなかった。

鳳綺の知らない尚隆がいる、そんな事を漠然と感じた。
いや、そもそも尚隆の事など何も知らないのだ。

鳳綺……『幸せ』とは何だと思う?」

尚隆が真顔でこちらを向く。

「な、何?急に……」
「お前は以前、『普通の人間の幸せが見てみたかった』と言った。
では幸せとは何だ?富か?死なぬ命か?」

鳳綺はしばらく黙っていたが、尚隆を見上げると微かに笑った。

「……幸せなんて、言葉に表せられるものじゃないと思う」

下に広がる街では今も絶え間なく人々が生きている。

「お金とか、名誉とかじゃなくて……何て言えばいいんだろう。
家庭があって、友達や仕事があって、厄災にも負けず、毎日をしっかり生きる。
それが『幸せ』、かな……?うまく言えないけど」

尚隆も鳳綺の隣で同じ景色を見遣った。

「人によって幸せの形なんて色々あると思うけど、私は楽しく笑っていられたらいいかな?」

ありきたりかな?と鳳綺は少し気恥ずかしくなったが、尚隆は茶化さなかった。

「それに、仙とか不死の命の方が、考えようによっては不幸なんじゃない?」
「ほう、何故だ?」
「だって……人間は終わりがあるからそれまでを精一杯生きようとする。
神仙は終わりがない……ただ役目をこなす為に生きる。それは……幸せ?」
「……どうだろうな。だが神仙は贅沢できるからなぁ」
「その分含まれる責任が重いんじゃない?それにいつか飽きちゃいそう」

鳳綺は軽く言ってのける。
その表情は鋭く、しかし何処か憂いを帯びている。

鳳綺の言葉を噛みしめ、しばらくすると尚隆が突然笑い出した。

「――合格だ」
「え?」
「いや、何でもない。では、帰るか」
「もう?まだ昼にもなってないし、もう少し見てこうよ?」
「実は内緒で仕事を抜けてきたのでな。そろそろ帰らんと馬鹿も俺も呪い殺される。用事ももう済んだしな」
「……前は頻繁に来たのに」

つい洩れた本音を聞いたか聞かないか尚隆は肩をすくませ、意地悪げにチラリと一瞥した。

「先日小さな密輸商が摘発されたんだが、そこからずるずると大きな組織まで出てきてこっちは休む暇もない。
誰かさんがくれた面倒な贈り物だ」

それは以前、鳳綺の無茶が引き起こしたものの事後処理だった。

「あ……ごめんなさい……だから半年も来られなかったの?」
「何だ、寂しかったのか?」

あからさまな冗談に鳳綺はむっとして琉綏の手綱を持った。
鳳綺を狼狽えさせたいだけなのはわかるが、あんなに悩んだのに酷い人だと思った。

怒らせてしまったかなと思いつつも尚隆は特に気にした様子もなく、たまに騎乗する。

「……寂しくなんか……」

背を向けたまま小さく呟かれた一言を尚隆は聞き漏らさなかった。


寮に帰ってくると、鳳綺はしゅんと項垂れたまま尚隆の顔を見ようとしない。

「ではな」
「…………」

流石に悪戯が過ぎたかもしれないなと尚隆は苦笑すると、鳳綺の艶やかな髪を優しく撫でた。

「……また会える」

飛び立ってしまった空をまともに見れずに鳳綺は俯いた。
幼い頃から植え付けられている喪失感がどうしようもなく襲いかかる。

彼は仙なのだ。
ただの人間の鳳綺とは本来ならば相容れぬ関係にある。

(でも、私は……)

遊ばれているのだとしても、どうしたって嫌いになんてなれない。
惹かれていく自分が抑えられない。
もう随分、はまり込んでしまっていた。

「……尚隆……」

鳳綺は目頭を押さえながら寮に戻っていった。













六太が延王の執務室の扉を開くと中から帷湍の怒鳴り声が響いている。
今日は尚隆の抜け出しを援助した部分もあるので耳が痛い。

静かになるのを待って中に入ると、笑顔の朱衡と肩で息をする帷湍、
机に頬杖を付いた尚隆の図、といういつも通りの様子ができていた。

尚隆は六太の姿を認めると苦い顔を崩し、ニヤリと笑うと口を開いた。

「―――決めたぞ」
「そうか!やっと決めたのかよ!」

六太は飛びつく勢いで主の傍に駆け寄る。
朱衡と帷湍は意味が分からず首を傾げていた。

「決めたとは何を?」
「妻にする女を決めたと言っている」
「「なっ……!!」」

どうとでもないという口調の尚隆、そして満足そうに笑う六太。
残る二人は続く言葉が出てこず絶句するしかない。

そうしてようやく口を開いたのは朱衡が先だった。

「……では、今のうちから後宮の整理を」
「な、朱衡!この主上では既に王后など選べぬのだぞ!」
「解っています。正式なものではなく野合という形になるでしょう。
ですがそれでも、奥方が決まれば何より主上の放浪癖が無くなるのではと」

あっと思い直し何かを考え始めた帷湍を見遣り、尚隆は鼻で笑う。

「それが目的か」
「……ではその大学の美女という方を調べさせてもらいます」
「ほう、よく知ってるな。ま、好きにしろ」

噂の出所でありそうな己の半身を睨むが六太はそっぽを向いている。

「ふん。主上も身を固める気になったか、好きに出歩けなくなるな。
だが、それなりの人物でなければ承知せぬからな」
「杞憂だな」

朱衡が出て行くのに続いて帷湍も青筋を立てながら部屋を後にする。
そこで六太は重大な事に気が付いた。

「そういえば尚隆、延王だって明かしたのか?」
「いや」
「どうすんだよ!」
「次に会ったら言う」

自分達にとってはそれが一番の懸案事項だというのに。
六太は自分の身分を思い出して青くなった。

「……受け入れてくれると思うか?」
「さてな」
「…………」

このろくでもない王に任せておくのはどうにも心許ない。
内心では色々考えているのかもしれないが、それが相手に伝わるかどうかはわからない。

「今度行くときは俺も行っていいか?」
「ふん、随分ご執心だな」
「俺だって鳳綺を気に入ってんだ。後宮に入れるなら鳳綺がいい」

尚隆は軽く笑う。
六太は窓辺で持ってきた饅頭を頬張り、しばらく考えを巡らせた。

「……鳳綺でいいんだな?」
「……あいつは俺と肩を並べて物事が見れる。大人しく俺の後ろに隠れている女ではない。
俺の妻になるという事がどういう事か解っているつもりだが」
「……わかった」

不安げな顔を隠す事もせず六太は自分の執務室に戻っていった。

ようやく静かになった王の部屋で、尚隆は仕事の手を止める。
先程の六太の言葉が頭に残る。

受け入れてくれるだろうか。
鳳綺は尚隆が仙だと思っている。
それは間違いではないが、ある意味では大きな間違いでもある。

受け入れてくれるだろうか。
そんなの尚隆自身が聞きたい。

拒絶されるならそれでいいとも思う。
その方が、もしかしたら彼女にとっては幸せなのかもしれない。
受け入れてくれたとして、所詮愛などというものは永遠には存在しない。
永遠なんていうもの、尚隆自身が一番信用していない。

わかっている、わかっているんだ。
だけど柄にもなく不安で胸が苦しいと感じる。

(恐怖を感じているのか、この俺が……)

本当の事を告げたとして、もし拒絶されたとして。
白銀の笑顔が目の前から消えてしまうのが怖いなんて。

信じられないような自分の変化に、尚隆は自嘲的な笑いを漏らした。











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ヌルいお話ですいません。
半年来なかったのは忙しかったというオチ……
たぶん、神仙は時間感覚がおかしいのかもしれません(勝手に決めるなよ)