泣き止ませる為だと、尚隆に唇を奪われた。
突然の事に鳳綺は吃驚したけど、彼はその後もいたって普通で、いつものように手を振って別れた。
何が起こったのかよくわからないまま尚隆を見送った後ぐらいで、ようやく恥ずかしさに襲われた。
あれはきっと慰める為で、深い意味なんてない。
そう言い聞かせていないと、次に会えた時にまともに目も合わせられないかもしれない。
慣れているだろう尚隆に、こんな事で恥ずかしがっていると悟られたくない。
鳳綺は必死で、あの出来事をないものとしようとしていた。
なのに、休日になっても尚隆はぱたりと来なくなってしまい、そのまま半年の月日が流れてしまった。
次に会ったらどういう顔をしようかと真剣に悩んでいたのに、徒労に終わったまま。
どうしてだろう、何かあったのだろうか、そんな事ばかり考えていると気持ちはどんどん落ち込んでいく。
もう嫌われてしまったのかもしれないと、いつしか不安ばかりに襲われていた。
確かに前回は無謀な事をしてしまった、だから愛想尽かされたという可能性もあるかもしれない。
その反面、六太はちょくちょく遊びに来てくれた。
鳳綺を気遣ってか「今日も、あいつ忙しくてさ……」と尚隆の近況を伝えてくれるが、
その慰めも不安を募らせる要素にしかならなかった。
会えない日の数と一緒に寂しさも募ってゆく。
意味なんてないだろうとわかっているのに、余計に唇だけが鮮明に熱を思い出し、麻痺したように尚隆の名を形作る。
何故尚隆はあんな事をしたのだろう。
ただの慰めだと思えば思うほど、鳳綺の胸は痛くなる。
どうして急に会いに来てくれなくなったのだろう。
尚隆の心がわからなくて、怖い。
「どうしたんだ、鳳綺?」
「雄飛……」
いつものように重い足取りで廊下を歩いていると、後ろから聞き慣れた声に呼ばれた。
大学に入ってまず仲良くなったのがこの雄飛という青年だ。
というか、この大学で本当に友達と呼べるのは彼ぐらいしかいない。
他の人は何故か遠くから眺めるだけで話し掛けてこない。
もしくは、鳳綺から話し掛けても狼狽するか逃げてしまうかで、まともに話ができないからだ。
雄飛だけは普通に接してくれたので嬉しかったのを覚えている。
体格は尚隆と比べてがっちりとしたものではないが、すらりと伸びた背に朗らかな雰囲気をまとわせている。
雄飛は思い詰めた顔をしているだろう鳳綺を見つけては面白い話を聞かせてくれたり、街に誘い出してくれる。
寮にいても気持ちが沈んでいくだけなのでとても助かっていた。
「また落ち込んでたのか?」
「…………」
彼も同じように暗い肩を落とした。
「……また朱旌の一団が街に来てるらしいぞ。気分転換に見に行かないか?」
鳳綺はちらりと厩を見遣るが、焦がれる背中は今日も見えない。
そして溜息を一つ落とすのが、毎朝の日課になってしまった。
「……うん。行く」
雄飛は嬉しそうに鳳綺の背を押した。
8章
「中々よかったな」
「うん、面白かった」
朱旌の劇を見た後は、近くの店で食事を取りながら劇の話題で盛り上がる。
この半年で馴染みの行動が出来上がってしまったのが、何だか鳳綺を悲しくさせる。
「……やっと笑った」
「え?私はいつも笑ってるつもりだけど……」
「違うよ。分からないならいいよ」
無理している笑いではなく、本当の笑顔の事を意味しているのだが鳳綺は首を傾げたまま。
相変わらず鈍いなあと思いながら、雄飛は口を開いた。
「……まだ待ってるんだな、その人の事」
鳳綺は動揺を隠せず動きを止め、頭をよぎった姿に鼓動が早くなるのを自覚した。
「……うん。知り合い、みたいな人が『忙しくしている』って一応教えてくれてるし」
「こちらからは会えない人なのか?」
「その人……仙だから。こっちから会えるような人ではないし、そもそも何処にいるのかわからない……」
顔色を曇らせ、あからさまに肩を落とす様に雄飛は慌てた。
「あ、いや……!ま、また会えるさ。ほら、次は団子でも食べに行こうか。よし行くぞ!」
「……ふふ、じゃあ行こっか」
気遣ってくれてる事をありありと感じ、
さらに雄飛が勢いよく立ち上がるものだから鳳綺は可笑しくなって笑いをこぼした。
「雄飛……ありがとね」
泣き腫らした白銀の光が零れる。
恋をしている女性は綺麗だと言う。
その憂いを帯びた笑顔は雄飛すらも俯いてしまうほどに玲瓏で、胸が締め付けられる思いがした。
「よう、元気かー?」
「六太!入って、今お茶入れるから」
窓から当然のように入ってきた六太は近くの椅子にちょこんと腰掛けた。
六太とはもう親しい間柄であった。
もっぱら外へ出る事もなく、このようにお茶を飲みながらしみじみと談話するのがほとんどであるが。
鳳綺がお茶を出してその正面に座ると、六太はうって変わって申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんな」
「ううん……六太が謝る事じゃないよ」
「本当は尚隆も会いたがってんだぜ。でも他の奴らが放してくれねぇんだよ」
「うん……いいの」
お茶を啜る音だけが部屋に響く。
ここまではもう何月も交わしてきた会話だ。
六太が教えてくれる事に返事をするだけで、鳳綺から尋ねた事はない。
どんな仕事をしているのかとか、他の人達とは一体誰なのか、
そもそも六太はどう見ても子供なのに、どうしてその仕事場の事情を把握してるのか。
知りたかったけど、聞いてはいけない気がしていたのだ。
聞いてしまったら、尚隆が余計に別世界の人間だと思い知らされるかもしれないから。
そういう現実を突き付けられたくなかったのだ。
だけど今日は、自然と言葉が溢れていた。
「……ねえ六太。私ずっと気になってた事があるの」
「何?」
「……『尚隆』と『風漢』、どっちが本当の名前なの?」
彼女から発せられた初めての質問に、六太は元々大きい目をさらに丸くさせた。
「鳳綺……」
「尚隆といろんな街に行ったけど……尚隆の知り合いは皆『風漢』って呼ぶの。
今まで気にしてないふりをしていたけど、やっぱり本当の事が知りたい」
「…………」
俯いて顔は見えないが、次第に鳳綺の銀目から涙が溢れて止まらなくなる。
その程度の疑問だけで泣いてしまう鳳綺は、多分もう限界だった。
「本当は……不安な事が、いっぱいある……っ、綺麗な人ばかりと仲が良いし、どんな人にも優しいし……
尚隆は仙だから……本当なら、遠くの存在の人で……私はただの―――!」
「鳳綺!」
六太が鳳綺の氾濫した言葉をせき止めた。
そして顔に歪ませながらも、ゆっくりと言葉を選んで口を開いた。
「確かにあいつはでたらめで何考えてるか分からない所もある。
けど、鳳綺に対してはいい加減に接してはいない、これは断じて言える」
「……どうして?」
「長年、一緒にいた勘かな。俺もよくわかんないけどこれは漠然と感じるんだよな……」
言っていて六太も不安になってきた事は内緒だ。
「そう……六太も仙なのね?」
「あ……まぁ、そんな感じ」
口籠りながら肯定した六太に笑顔を返した。
鳳綺は熱い茶を喉にくぐらせると、深呼吸を繰り返して少しずつ落ち着きを取り戻した、
しばらくするといつもの鳳綺になっていたが、無理して笑う姿は見ていて痛ましい。
結局鳳綺が口にしたのは当たり障りのない別の話題だった。
何も言えない六太は罪悪感を抱きながらも、普通に会話をして茶を飲んだ。
「じゃあ、今日はもう遅いから行くな?」
「うん……ありがと」
当たり前のように窓に足をかけ、既に静かな闇が広がっている世界に軽々と飛び降りると、
間もなくたまに乗った六太が現れる。
「じゃあな。今度こそあいつひっ捕まえて来るから」
「うん」
じゃあな、と言ったけどどうしてか騎獣は飛び立とうとしなかった。
「……なあ鳳綺」
「うん?」
「あいつの本当の名前はな―――」
「言わないで」
六太の言葉を遮るように鳳綺は笑った。
「いいの……あんな事言っちゃったけど、名前はもういいんだ」
「けど……」
「他の人がどう呼ぼうと、私には尚隆は『尚隆』でしかないから……尚隆自身が教えてくれた事を信じるよ」
尚隆が『尚隆』だと言うのだから、それでいいじゃないか。
本当の名を聞いた所でどうこうできるものじゃない、だから聞かない。
鳳綺が淡い笑みを浮かべていると、六太も同じように苦笑を返した。
「そうか、わかったよ…………でも案外それが本当だったりしてな」
「え?」
「はは、じゃあな!」
にかっと笑い六太は飛び立っていった。
茫然と夜空を見上げるのは、残された鳳綺のみ。
(『尚隆』が……本名?そう思ってていいの?)
明るい光が見えたような気がした。
それでも変わらず胸は苦しかったが。
(……ねぇ、尚隆)
何度目かわからない、心で彼の名前を呼ぶ。
やっぱり、会いたくて仕方ないと思った。
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オリジナルキャラ雄飛くん登場です。
この人も名前変換したかったんですが、断念。