鳳綺、あれだ」
「へえ……珍しい地形の街だね」

次の休日は東の虚海近くの街が目的となった。
次と言っても、鳳綺は大学に通っていて、勉学を極める所なのだから休みなどそうそうない。
月に三回程の休みがあればいい方だと思う。
その貴重な休みを尚隆との外出で埋めるので、鳳綺が体を完全に休める日はほとんどない。
だけどそれでもいいと思えるぐらいには、鳳綺にとっては遠出が大事なものになっていた。

街は海の近くではあるが、それは位置的な事実だけであって、
街と海の間には深い森が密集して「海沿い」という環境を遮断している。

街はこの辺りの県の中では大きい方に入り、ちゃっかり妓楼街まである。
確かに貧しい地方の街では体を売らないと生活できないというのもあるかもしれないが、
此処はそんなに貧しくもないように見える。
どんな所に行っても遊郭というのは必要らしい。

いつものようにたまと琉綏で厩に降り、人々の往来の間をぬうように店を覗いていたが、鳳綺は少し不機嫌だった。

(やっぱり何処に行ってもあるんだ……)

胸の内でついた溜息の原因、それは穏やかな街に似合わない鮮やかに発色する緑の柱。
今まで行った街でも何度も目にした妓楼の証であった。

燻る感情に首を振って、視界で主張する妓楼を見ないようにする。
気を取り直して立ち並ぶ店に集中しようとした時、 無視したはずの派手な館から女が二人、鳳綺の隣にいる男に駆け寄った。

「風さんじゃない!」
「風漢様。お久しゅうございます」

鳳綺の嫌な予感が的中した。
鈴が鳴るような声を出し尚隆の腕や袖にまとわりつく女達。
全身からの甘い誘惑の香りが鳳綺にまでも届き、誰にも気付かれない程度に眉をひそめた。

「よう。ちょっと散歩に来たんでな」

尚隆は当たり前のように口元を緩めている。


―――「風漢」


これまで尚隆と知り合いらしき人は皆、尚隆を「風漢」と呼んでいた。
唯一六太は鳳綺と同じ呼び方だったが、それ以外は違っていた。

いい知れない不安があった。
いつも街の中で自分だけが疎外された気になる。
「何故私は『尚隆』なの?」と聞く事もできず、知り合い、というか女がいる妓楼を見るたびにこの疑問が巡る。
どちらが本名なのだろう、聞いてみたいのに答えを知るのも怖くて、結局何も言えなくなる。

そして妓女達の艶めかしさ、露も滴るような体と瞳。
一方で自分の格好を見返すと、何て場違いなんだと恐ろしくなる。

鳳綺は遠出をする時は必ず護身用に細身の剣と短剣を携帯している。
その為動きやすいように、袍とまではいかないが男っぽい服を着込んでいた。
自分が良いと思って着ているから不満なんてないのだけれど、
尚隆を取り巻く女性達と自分の間の絶対的な差を見せつけられるのは少し恥ずかしかった。

「風漢様。せっかくいらしたのなら今夜はうちに来てくれるのでしょう?」
「ねぇ、風さん?」
「すまないが今日は先約があるんでな」

軽くあしらいながら尚隆は振り返ったが、いる筈の姿は見当たらない。

「……鳳綺?」

人通りの多い街の中心で不覚にも見失ってしまった。







6章










女の叫ぶ声が聞こえる。
人気のない路地を進むにつれて、それが男の声と一緒に発せられているのがわかった。

「―――――!!」
「大人しくしな。親切な俺達が拾ってやったんだぞ」
「あぁ、金になる拾い物だ。上物だぞ」

下品な笑い声が壁に反射して響き渡る。
女が何を喚いているのかは聞き取れなかったが、絡まれているのは確かだ。
どうしてああいう男達は決まった台詞しか言わないのだろうか。

女に気を取られている今のうちにと、鳳綺はゆっくりと男の背後に迫る。

「――放してあげてくれませんか?」
「ぐっ……!?」

鳳綺はいつかの時のように、男の首に剣を押さえつけた。

「何だお前は……!」
「ただの通りすがりです」
「こ、小娘ぇ!」

喉を押さえられている男が声を絞り出しながら腕を剣に持っていこうとする。

「無駄ですよ。後ろの感覚がお分かりになりませんか?」

女である為に力はどうしても男に劣る。
剣を奪われてあっさり形勢逆転なんて事は簡単に予想できたから、左手で短剣を背中に押しつけていた。
以前の時は油断していて足下をすくわれたが、集中していれば失敗はしないはず。

「抵抗すれば後ろから斬り付けます。立ち去りなさい!」

鋭い銀光が2人の男を貫く。

「ちぃっ……!小娘風情が!」

そう吐き捨てつつも男達はすごすごと逃げていった。

鳳綺は張りつめていた緊張を解き剣を納めた。
改めて女を見遣ると、彼女は見た事のない着物を着ていた。

「――――っ」

泣きながら何か訴えているが言葉がわからない。

「……もしかして、海客?」


鳳綺!!」

どうしたものかと困っていると、焦りを浮かべた尚隆が飛んできた。

鳳綺!何があった。あの男達は?」
「あ……この人が絡まれていたから追い払っただけだよ」
「それで、剣でも振るったのか?」
「え?うん……どうして?」
「……いや、いい」

尚隆は呆れたような顔をしたが溜息をついてそれ以上追求しなかった。

女は新たな人を確認したためか再び怯え始めてしまった。
尚隆もこちらを凝視している女の服装を見て悟った。

「すまない、驚かせたようだ。……そうか、海客か」

女はハッと顔を上げ、真っ赤に腫らした目を見開いた。

「―――――!!」

女は叫びながら尚隆にしがみつき、必死に何かを訴えている。
言葉もわからない土地に流れついてしまい不安だったのだろう、涙が海客の苦境を物語っていた。
しかし次に起こった事に鳳綺は動揺を隠せなかった。
尚隆も女と同じような言葉を語りかけたのだ。
鳳綺には全くわからない言葉を尚隆は理解し、話せていた。

(どうして尚隆が海客の言葉を……?)

そしてそれ以上に鳳綺の目は尚隆の腕を掴んでいる手に集中していた。
さらに尚隆は安心させる為だろう、会話の途中で女の髪にぽんと手を置いた。
その動作にどうしてか胸が苦しくなり、懐かしいようで寂しい気持ちが一瞬頭をよぎった。

二人が遙か彼方にいる気がする。
さっきの事といい、世界で自分だけが取り残されているような感覚が襲う。

尚隆の漆黒の瞳が優しく光っている。
どうしてこんなにも鳳綺の胸は痛いのだろう。

「……ああ、海客だ」

尚隆は鳳綺の表情を読み取ってか通訳を始めた。

「『突然知らない所に来て戸惑っている時に男達に絡まれた』、と」

女は依然と尚隆の胸で泣いていた。
可哀想に、と思うのと比例して膨らむこの嫌な感情の理由を鳳綺は探していた。


それから、女を県正に連れて行き、海客である証の札と小金を渡した。

県正に行く道中、女は言葉に不自由しない尚隆とたまに騎乗した。
初めは空飛ぶ獣に驚いていたが、慣れると尚隆との会話を楽しんでいたようだ。
鳳綺はただずっと、斜め前を行くたまを見つめていた。
長旅ではないので笑顔が引きつることはないだろうが、やはり何となく面白くなかった。

あらかたこちらの説明をした後、住み込みで働かせてもらえる店に預ける事にした。
もちろん鳳綺には二人の会話は解らず、尚隆にこの事を聞いただけだが。
一段落したと店から出ようとするが、女は言葉が通じる人を放したくないらしく、尚隆にしがみついたままだった。
確かに何もわからない場所で一人生きていけ、というのは酷かもしれない。
それでも鳳綺は、二人から目を逸らしたくなった。

尚隆は女の頭に手を置き、諭すように話しかける。
すると女は納得したらしく頷いた。

その姿を見てほっとしていると、女が鳳綺を見据えた。

「―――」

何を言ったのか解らず隣を振り仰ぐと、尚隆はふっと笑う。

「『ありがとう』だと。今まで言い出せなかったと」

女はニコッと微笑んだ。
その一瞬で、鳳綺は不思議と胸の内が晴れていった事に気づいた。

鳳綺は満面の笑顔でそれに答えた。











「海客って辛いね……何も解らない所に放り出されるんだから」
「そうだな」

帰路を並んで飛んでいる尚隆は軽い相槌をうつ。

(それなのに私はずっと嫌な感情を持ってた……)

街を出発し、鳳綺琉綏に騎乗してそんな事を反省していた。
何て心の狭い人間なのだろうと、自分が嫌になる。

「……私ね、胎果らしいの。小さい頃の話だから私は覚えてないけど。
でもそのおかげで言葉には困らなかったんだよね」

尚隆に縋り付いていた彼女の腕の力は、女性とは思えないほど必死で強かった。
怖くて、本当に心細かったに違いない。

「さっきの菊さんって人は違うんだよね……」

鳳綺は幼い頃から持っていた悩みが、菊という名の海客の前では石ころ程度のものなんだと感じた。

「……俺も胎果だからな」

ずっと沈黙を保っていた尚隆が口を開いた。

「そうだったの?」
「嘘を言ってどうなる」
「だから海客の言葉が分かったの?」
「…………まあな」

尚隆はどこか曖昧な返事を漏らしたが、鳳綺は特に気にしなかった。

「こっちに来て言葉は大丈夫だったの?」
「人間しばらくこちらで生活すれば言葉など自然に覚わるものだ」
「……そう」

それにしては尚隆の言葉は訛りもなくとても流暢だ。
全く喋れない状態からここまで到達するのは相当に苦労するだろう。

「そういえば、さっき菊さんに何て言って説得したの?」

ふと頭によぎった疑問をぶつけてみた。

「『いい子にしてたら、また会いに来てやる』と言っただけだ」
「そうなんだ……」

また少し胸が痛くなった。
聞かなければよかったと鳳綺は溜息をつきたくなる気持ちを隠す。
そうすれば気分が晴れたまま今日が終われたのに。

(尚隆にとっては、色んな女性と仲良くするのは当たり前なんだろうな……)

黙り込んで前を向く鳳綺を眺めていた尚隆が突然くつくつと笑い出す。

「どうしたの?」
「面白いな、お前は」
「え、何が……?」

たまが琉綏のすぐ近くまで寄ってきた。

「悪かったな、一人にさせて」
「……別に、そんな……」

渦巻いていた感情を見透かされているようで、鳳綺は気まずさに顔を逸らす。

「折角の逢瀬なのに、寂しい思いをさせてしまったな」
「な、逢瀬って……!」

だが続いた尚隆の言葉に、顔が赤くなった鳳綺は動揺の声を上げる。

「私、そんなつもりないから……!」
「おや、そうなのか?俺は常にそのつもりだが」
「っ!」

(絶対からかって楽しんでる!こっちはずっと波風立ってたのに!)

恥ずかしさで叫びたい気持ちだったが、鳳綺は落ち着こうと自分に言い聞かせる。
ここであたふたしてしまったら、尚隆の思うつぼだ。

「……もう、尚隆って本当に冗談ばかり。先行くからね」

努めて冷静に答えると、鳳綺琉綏の手綱を引く。
背後の尚隆は、それでも満足そうに高らかに笑っている。

悔しくて一度だけ振り返れば、予想外に優しい漆黒の眼差しが鳳綺を見つめていた。
どきりと胸が高鳴り、鳳綺はそれから逃げるように先を急いだ。

さっきまでの暗い気持ちは、いつのまにか消えていた。











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蓬莱の言葉も会話として出そうとも思いましたが、あくまでヒロインサイドという事で。