4章
芳陵を散策し尽くし、鳳綺は尚隆と別れたあたりの店で一休みしていた。
珍しいものや、可愛らしい飾り物もいくつか見つけたが、
お金を貯めている身なので無駄遣いはせず、使ったのはこの甘味とお茶くらいだ。
それでも見て回るだけで楽しかったので、満足感に包まれながら表通りを眺めていると、
外から尚隆が鳳綺を見つけて店に入って来た。
「案外早かったね」
「まあな。鳳綺、付いてこい」
「え…?あ、ちょっと!」
尚隆がまた外に出ていってしまったので、鳳綺は慌ててお茶を飲み干して後を追った。
初めて会った時からずっと、尚隆の背中を追っているような気がする。
強引だけれど、むしろ今度はどんな驚く事が待っているのだろうと、少しだけ期待している自分がいた。
尚隆はすぐ近くの厩で立ち止まり、「見ろ」と手で示す。
『たま』は別の厩にいたはずなので、鳳綺は何がいるのかと不思議に思って奥を覗いてみた。
そこには紐に繋がれたまま暴れている、白い縞のある赤い鬣の馬がいた。
「これは……吉量?」
吉量を見るのもやはり初めてで、まじまじと見つめた。
「やはり知っていたか」
「この騎獣がどうかしたの?まだ人に馴れてないみたいだけど……」
「これは最近連れてこられたものだ。そろそろ完全に馴らそうと思っていたが、鳳綺がこいつを馴らす事ができれば、お前にやろう」
鳳綺は自分の耳を疑った。
「そんな……!吉量もすう虞ほどではないけど貴重な騎獣だし、どうして私に……!?」
「騎獣が欲しかったのだろう?」
「そうですけど!それじゃあと言って簡単にもらえるものではないでしょう!」
鳳綺は怒りで思わず敬語で叫んだ。
「困ったな。それではこいつの行き場がなくなるな」
「どうしてそうなるんですか!」
尚隆は吉量を見つめながら眉を上げる。
「こいつは所謂、押収品というやつだ。少し前に質の悪い騎商が捕縛されて、その時に残されたこいつが、たまたま俺に回って来た」
「押収品……?」
思いもよらない返答に、ついさっきまで鋭かった銀光が困惑の色を見せた。
そういう事は官吏の仕事のはずなのに、どうして尚隆が関係しているのだろう。
「もしかして尚隆は芳陵の役人なの?」
「厳密には違うが、ちょっとした繋がりがあって摘発された騎商の後処理を手伝っている」
黄海から捕まえてきたばかりなのだろう吉量は、荒々しく首を振っている。
「だから貰い手を探していたのは本当だ。売ってもいいが、俺は別に金には困っていない。
最後まで引き取り先が見つからなければ、黄海に返すだけだな」
「……もしかして、この為に芳陵まで来たの?」
鳳綺が恐る恐る尋ねると、尚隆はくすりと笑う。
「行き場がない騎獣を知っていて、時を同じくして騎獣を欲しがる鳳綺を知った、ただそれだけの事だ」
「そんな……」
鳳綺は呆然と言葉を失った。
用事と言って女性と話しているから、てっきり色恋関係の事だと思っていたのに。
騎獣が欲しくて男達に騙されて、偶然出会った尚隆に助けられ、さらには見ず知らずの鳳綺に騎獣をくれると言う。
こんな、奇跡のような巡り合わせがあるのだろうか。
「……私が、貰ってもいいの?」
「乗りこなす事ができればの話だ。まったく……素直じゃない奴だ。俺としては何故お前がそんなに怒るのか理解できん」
「常識があれば誰だって怒ります」
鳳綺の銀光がキッと睨む。
反対に尚隆はやれやれといった表情で辺りを見渡し、ちょうどいい高さの段差を見つけ背中を向ける。
「俺はその辺で座っている。早く乗りこなさないと帰れなくなるぞ」
「、尚隆!……あ、ありがとう」
騎獣を手懐けるのに使う香毬を受け取ると、鳳綺は頬を桜色に染めた笑顔を零す。
その柔らかい瞳が目に焼き付いて、尚隆は穏やかに笑むと石段に腰を下ろした。
結局、吉量を乗りこなすには少し時間がかかった。
座っていると言っていたのに、尚隆は常に鳳綺の傍にいて振り落とされそうになった時何度も支えてくれた。
顔は面倒くさそうなのに言葉と腕は優しく扱ってくれて、それがひどく気恥ずかしかった。
鳳綺の背中を包む温かさと、ふわりと漂う香の香りに、思わず頬が上気する。
どきりと胸が高鳴るのを隠しながら必死で騎獣を馴らした。
最初は苦労したものの、尚隆の手助けもあり香毬を使う時間は少なく済み、
何とか吉量を馴らす事に成功した。
「ほら、だいぶ乗れるようになったでしょう?」
鳳綺は破顔して手綱を引く。
だけど逆に顔をしかめ腕をコキコキ回していたのは尚隆だった。
「俺は腕が使い物にならん」
またしても零れたからかい口調に、鳳綺は負けじと応戦する。
「そんなに体重かけてないです!」
「何度もしがみついてきて、積極的だったな」
だが尚隆には勝てるはずがない。
意地悪な言葉で尚隆の匂いと力強い腕を思い出してしまい、強がっていた鳳綺の顔がかっと赤くなる。
「あ、あれは……!っもう、早く帰らないと今日中に着けなくなるよ!」
動揺を感じ取ると、さらに尚隆は口角をめいっぱい上げ近づいてきた。
「それでは姫君にお供いたそう。またこいつが暴れたらいつでも俺の胸で支えてやるぞ」
「!!行くよ、琉綏!」
いよいよ真っ赤な顔が隠し切れなくなって、逃げるように手綱を引く。
琉綏と名付けた吉量が、鳳綺に呼応して空へと飛び立つ。
(ありがとうって、言いそびれちゃった)
彼はきっと、いや間違いなく優しい人だ。
なのにいつもおどけたように笑い、鳳綺をからかっては遊んでいるような素振りばかりする。
何から何まで世話になりっぱなしなのに、鳳綺まで素直になれなくなってしまうのだ。
全速で琉綏を飛ばしていたが、やはりすう虞の速さには勝てない。
だけど尚隆の乗ったすう虞は鳳綺の斜め後ろの位置を保ち、それ以上近づいてこない。
結局一度も尚隆の方を見ずに関弓の鳳綺の寮にある厩まで着いてしまった。
「……どうしてずっと黙ってるの?」
空いている厩に琉綏を休ませると、扉に体重を預けてただ見ているだけの尚隆を振り返る。
「見てるだけで飽きないからな」
「……もう突拍子のない事言っても駄目ですよ。尚隆の意地悪には慣れました」
「そうか」
鳳綺が牽制してみても、尚隆は楽しそうに笑っていた。
飛んでいる時に傾きかけていた太陽は、既に周囲を赤く染め始めている。
夕日に照らされた二人からは自然と言葉が消え、顔を見合わせる。
尚隆の顔をじっくりと見たのはこれが初めかもしれない。
掴みどころのない表情の奥にある瞳は、とても深い漆黒をしていた。
その夕焼けにも染まらない混沌の海からは、他人には到底想像できないような静寂があるようで。
あまり近づくとその瞳に吸い込まれてしまいそうで不安に駆られたけど、同時に安らぎすら感じた。
少し目を細めた穏やかな眼差しが、紅く染まった銀色とぶつかる。
ふいに不思議な感情が鳳綺を襲う。
今まで感じた事のない温かい感覚が、まだ微弱ではあるがはっきり体を伝っていくのがわかった。
「日が暮れるな。そろそろ帰るとしよう」
鳳綺ははっと我に返った。
「あ……今日は、本当にありがとう。この吉量も――」
「もうその台詞は何度も聞いたぞ」
ふっと笑い『たま』に跨る姿が、とても印象的だった。
「ではな」
「あの……っ!また……関弓へ来る事もあるよね?」
漆黒をまとわせた不思議な男は、先程と変わらない笑みを浮かべた。
「ああ、また会おう」
そう言うと白い虎は軽々と浮上していく。
その姿が何故か懐かしく、とても寂しくて、鳳綺はいつまでも深紅の空を見上げていた。
「尚隆!今までどこほっつき歩いていた!!」
帰宅一番に帷湍の罵声が宮中に響き渡った。
「そう怒鳴るな。いつもの事だろう?」
「それでは主上。いつものように溜まった政務を片付けて頂きます」
間に入ったのは朱衡だ。
帷湍はまだ頭から煙が出る勢いで肩を上下させている。
「もう夜更けではないか。少しは寝させろ」
尚隆は反省など微塵にも見せずに不平を漏らした。
「神籍なんですから少しくらい休まなくても死ぬ事はございません」
書類の山越しに朱衡のしれっとした笑顔が伺える。
その笑顔に寒気を覚えて、尚隆は大人しく椅子に座り目の前にそびえ立つ紙の凌雲山を眺めた。
「人使いが荒いな」
「自業自得です」
口を酸っぱくして言う朱衡と帷湍が一時的に席を外したのと入れ違いに、金の髪の少年が笑いながら入ってきた。
この国で二番目に尊い存在、延麒六太である。
「やーい怒られてやんの」
「煩い。餓鬼はとっとと寝ろ」
声の主に一瞥もくれずに書類を睨み付けている。
「ちぇっ、せっかく面白い話持ってきたのに」
「何だ。今最高に面白くない俺を楽しませてくれる話なんだろうな?」
さあね、と持ってきた饅頭を頬張る六太。
これで本当に麒麟なのだろうかと疑いたくなる。
「聞いたか?今年大学に入った奴の中に結構な美女がいるんだと」
「そうか」
「珍しい銀色の目をしてるらしくて、大学内でも噂になってるって話だ。今度見てこよっかな」
六太は意地悪そうに自分の主を見上げると、尚隆はさっきとはうって変わりニヤリと口をつり上げていた。
「ほう、お前が女に興味を示すとは珍しい事もあるものだ」
「阿呆か。馬鹿な殿様の毒牙がかからないうちに、今のうちから注意しておくんだよ」
「ああ……それは無理だな」
「あぁ?何でだ?」
尚隆はくつくつと笑うと上機嫌で書類を手に取った。
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騎獣の馴らし方が違うとか、細かい事は言いっこなしの方向でお願いします。