3章
「そういえば、名は何という?」
「鳳綺です」
事件のあった裏路地から表通りに出た二人。
活気のある明るい人通りを器用に抜けながら、振り返った尚隆を鳳綺が見上げる。
「あなたは?」
「……尚隆、だ」
自分に注がれる銀の瞳に思わず口にしたのは、普段市井で名乗っている名ではないものだった。
その名も一応嘘ではないのだが、それを口にする気に何故だかならなかった。
「尚隆さんですか?」
「『さん』はいい、敬語もいらない」
いつもとは違って随分調子が狂っている事に気付き、尚隆は咳払いで自身を誤魔化した。
「鳳綺は何故あのような裏道の騎商から出てきた?」
「……騎獣が欲しかったから」
「ほう、では何の為に騎獣を?」
鳳綺はしばらく黙し、言おうか言うまいか迷っているようだった。
「私……国中、いえ、世界中を見て回りたいんです」
鳳綺がゆっくり言葉を選んで話すので、尚隆は足を緩め速度を合わせた。
「だから騎獣が必要なんです。大学の合間を何とかぬって、
宿で手伝いをしたりしてお金を稼いでいたんですけど……やっぱりいい騎獣は高くて」
「大学に通っているのか?」
「ええ、奇跡的にも」
鳳綺は謙遜の意を込めて苦笑した。
簡単には敬語は抜け切れないようで、それはまだ仕方ない。
尚隆は一般人で、しかも非常に入学が困難な大学にこの若さで通っている事に、素直に感嘆の声を上げた。
「先程の剣舞は?」
「そんな、とても剣舞とは呼べるものではありません。
ただ自分の身は自分で守らないと、と思って少しかじった程度です」
鳳綺は照れくさそうに俯いた。
光の角度が変わると白銀の瞳が少し青みがかっているのがわかる。
瞼から洩れる銀光が目の前にあるだけで、ずっとそれを眺めていたいような気にもなる。
顔を動かすたびに揺れる艶やかな黒髪は、まるで鈴のような音を立てているようだった。
不思議な女だと、尚隆は思う。
大学に行き高官を目指しているのかと思えば、剣を持ち騎獣に乗って世界を見たいと鳳綺は言う。
大人しそうな見た目と、活発な行動の差異が大きくて、久しぶりに面白い人間を見つけた。
尚隆はふっと笑うと、これも何かの縁だと鳳綺の方を振り返る。
「ならば、その夢を少し手伝おう」
「え?」
「これから暇はあるか?」
「え……それは、ありますけど……」
「よし、付いてこい」
そう言うと再び足を速めて小道に入るので、鳳綺は訳もわからないまま慌てて後を追った。
(有無を言わせない人……)
鳳綺は半ば呆然としながら先を行く背中を見つめた。
こちらの反応などお構いなしに、ぽんぽんと強引に話を進めてしまう。
さっきも騎獣につられて男達に付いて行ってしまったが、あの時は嘘だと薄々気付いていた。
だけど、今回はそういう怪しさや、嫌な気持ちはしない。
助けれくれたからというよりは、この人自身の気質がそう思わせるのだろう。
大きな街をしばらく歩き、尚隆が連れて来たのは豪華でありながら趣のある宿。
そこに併設された厩を覗くように言われ、鳳綺は目を見開いた。
「すう虞……!」
「ほう、よく知っているな」
黒い縞が入り白く輝いているような毛並みを持つ、虎のような騎獣がどっかりと横たわっていた。
まさかそんな貴重な騎獣が見られると思っていなかった鳳綺は、すう虞の気品さにただただ驚いた。
「凄い……この騎獣、あなたのですか?」
「ああ。近くの芳陵には行った事はあるか?」
「?いえ……」
「乗るといい。芳陵から世界見聞といこうか」
ようやく尚隆の言っている事が理解できて鳳綺の顔色がみるみる変わっていく。
「そんな!そこまでしてもらう訳には……!」
「芳陵に用事があるついでだ。心配せずとも、ちゃんと帰りも送り届けてやる」
「いえ、そういう心配ではなくて……!まだお礼もしてないし……」
「では助けた貸しとしてこいつに乗ってもらおうか。すう虞には乗った事ないだろう?」
「ない、ですけど……」
「ならいい機会だ」
鳳綺は言葉通り絶句した。
まだ言いたい事は山ほどあったが、これ以上反論できずに結局白い虎に跨がされた。
空を飛んでいる間、ずっと考え込んでいた。
すう虞は獰猛な妖獣で、所有するのはよほど腕に覚えのある猛将か、高貴な身分の者くらいだと聞いている。
「……あなた、何者なんですか?」
「ただの旅人、もしくは遊び人とでも言っておこうか」
尚隆はさらりと答える。
低く通る声がすぐ後ろから聞こえて鳳綺は少し顔を赤らめた。
「……変な人」
「よく言われる」
後ろの男が楽しそうに笑った。
本当に変な人だと鳳綺は思った。
でも嫌な感じはしない、寧ろ心地よい気分がする。
「世界を知りたいというのはただの好奇心でか?危険な事はいくらでもあるぞ」
ふと尚隆が口を開いた。
その今更ともとれる疑問に鳳綺は少し呆れた。
「……どうして事情も素性も知れない人間をここまで連れてきたんですか?」
「気まぐれだ」
「…………」
尚隆は以前飄々としている。
「……じゃあ教えられません。そんなに大した事じゃないですから」
この人はいつもこんな調子なのだろうか、鳳綺は呆れて正面を向いた。
それを見て軽く笑うと、尚隆は突然鳳綺の腰に腕を伸ばし懐に引き寄せた。
「、な……っ!?」
「こうすれば教えて頂けるか?」
甘く低い声がすぐ耳元で囁かれた。
「ちょっ……な、何やってるんですか!もう絶対教えません!は、放して……!」
きっと銀目が尚隆を睨み付けるが、密着した胸元から微かに漂う香が鳳綺の思考を止める。
言葉とは裏腹に真っ赤に染まっている顔を眺めては、満足そうに尚隆はニヤニヤと笑う。
「嫌がられる程知りたくなるものだぞ」
「大した事ないですってば!お、落ちますよ!」
がっちりした腕を必死に剥がそうとするけど、やはりびくともしない。
もしかして初めからこれが目的だったのだろうかと、
鳳綺の頭にはそんな考えすら浮かんだ。
「敬語を改めよ。でなければこのままだ」
「そんな、……っ尚隆!わかったから!」
言葉を砕けさせて叫べば、尚隆はいとも簡単に腕を放した。
本当に、よくわからない人だ。
「ではどうぞ」
「どうぞ……って、何が?」
朱色の顔を誤魔化すように憮然とした態度で尚隆を見遣る。
「先程の事情についてだが?」
「放してくれる条件は『敬語をやめる事』でしょう?なら事情を話す必要はないわ」
からかうような人と真面目に付き合っていられないと、鳳綺は鋭い銀光でぴしゃりと言い放つ。
それを不快にも思わずやれやれと肩をすくめた尚隆は、大人しく前を向き直りそれっきり悪戯はしてこなかった。
代わりに、今更ではあるがお互いの基本的な事を喋った。
飛んでいる間ずっと密着に近い距離でいた訳だが、初対面と思えないほど気まずさを感じない。
大学でどんな事をしている、とか剣の扱い方だとか、会話の話題は尽きなかった。
ただ鳳綺が尚隆の職業を聞くと、抽象的な言葉しか返ってこなかったので、
聞かれたくないのかなと、鳳綺は気になるもののそこにはあまり踏み込む事はしなかった。
騎獣の中で最速を誇るすう虞だけあって、会話に花を咲かせている間に芳陵に辿り着いた。
関弓には及ばないが整った街並みが続いている。
鳳綺は賑やかな街の表通りを目にした途端、走り出していた。
尚隆が『たま』を預けて追い付いた頃には、
立ち並ぶ出店を一軒一軒くまなく覗いている程に彼女は夢中になっていた。
「尚隆!凄いよ、珍しいものがいっぱいある!」
鳳綺がこれ以上ない笑顔で振り向いたので尚隆は一瞬反応が遅れた。
「……関弓にもこういう店はあったろう?」
「そうだけど、関弓にないものも多いよ」
本当に気まぐれで連れてきたのだが、こんなに無邪気に喜ぶとは思わなかった。
嬉しそうに露店の商品を見つめる姿を、尚隆はしばらく満足気な顔で眺めた。
「さて、俺は少し用事を済ませてくる」
そうだったと、本来の目的を忘れかけていた鳳綺は振り返って了承する。
「好きに見て回っていいし、飽きたら茶でも飲んで待っていてくれ。だが一人で裏道には行くなよ」
「そんな、子供じゃないんだから大丈夫だよ」
「少し前に絡まれていたのはどこの誰だったかな?」
「……大人しく待ってます」
進んで裏道に行く気はなかったが、関弓での失態を蒸し返され、ばつが悪いのを隠すように睨んでみるが、
尚隆は悪戯っぽく笑いながら手を振った。
(それを言ったら尚隆だって、見ず知らずの怪しい人なんだけど……)
歩いていく尚隆の背中は、筋肉質ではないががっちりとした体格で、
身なりも普通にしてはいるが、値の高そうな生地をわざと着崩しているように見える。
二十代後半くらいの風貌、端正な顔立ち、肩の辺りで緩く纏めた長い黒髪が軟派な印象を与える。
助けてもらった事にとても恩義を感じてはいる。
だがいくら気まぐれだからと言って、騎獣に乗せてくれて街案内までしてくれるだろうか。
普通なら何か裏があるかもと思ってしまう。
でも、気持ちのどこかで直感しているのだ。
あの人はきっと、悪い人ではないと。
ついさっき騙されかけた自分だ、信用しない方がいいだろうとは思っているのに。
(……あれ、尚隆が女の人に話しかけてる)
尚隆の姿がかろうじて捉えられる遠い距離で、綺麗な衣装に身を包んだ女性と話している。
あのあたりはどうやら宿が多いようで、緑の柱までちらほらと並んでいる。
知り合いなのだろうか、遠くからでも仲が良さそうに見える。
「…………」
尚隆の用事が何なのかは知らない。
もしかしたら女性関係の用事という可能性もある。
それについて、何も思わなかった訳ではない。
女の一人や二人、あの人だったらいてもおかしくない。
鳳綺は今日初めて会っただけで、尚隆の用事のついでで、不満に思う事など何もない。
だから何の関係もない事だと、鳳綺は二人に背を向けた。
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すう虞の「すう」が出ません。
尚隆様が変質者に見えるのは気のせいでしょうか。