15章
「ねぇ~どうしよう……」
半泣きで机に突っ伏しているのは、つい先日、地官である遂人を任命された鳳綺張本人である。
忙しい食事時で駆け回る苫珠を、ただただ訴えるように見つめ続ける。
「あーもう!邪魔邪魔!」
「苫珠ぅ~」
「情けない声出してんじゃないわよ!第一、話聞いて欲しいならこんな忙しい時に来る!?」
「ごめん……でも、もうあまり時間がないっていうか……」
「はいはい!せいぜいそこで悩んでな!」
構っていられないと、苫珠は食器を運びながら奥に消えていった。
仕方ない、と鳳綺は乱暴に出された飲み物に口を付けてぼんやりと周りを眺める。
店内では様々な人が食事を楽しんだり、会話に夢中になっている。
この喧騒は嫌いではない、活気のようなものを感じるから。
窓の外を見遣れば、大通りには絶えず人が歩いている。
商売をしている人、立ち止まって話をしている人、とにかく色んな人がいる。
全ての人達にそれぞれの生活があって、悩みがあるのだろうなと鳳綺は思う。
しばらくそうしていると、いつの間にか店内の騒がしさは少し落ち着いていた。
鳳綺の前の椅子に誰かが座った音がしたので顔で見上げると、しかめっ面の苫珠が肘を付いていた。
「で、あんたはどうしたいの?」
結局、話を聞いてくれる苫珠はやっぱり優しい。
口にすると彼女はきっと怒ってしまうだろうけど。
「どうしようも……そんな話断れる訳がないし。そっちの方が前代未聞になっちゃう」
「ならもう答えは出てるんじゃない」
「……そう、だね……」
普通なら手放しで喜ぶだろうというのに、鳳綺は困惑の表情で視線を落とす。
その気持ちは苫珠にも理解できない訳ではない。
鳳綺なりにけじめを付け始めていた時期だから、余計に混乱するのだろう。
(諦めなければいけないのか、諦めなくてもいいのか、難しい所よね)
苫珠も鳳綺に影響されたのか、重い溜息をついた。
「ま、あちらさんの方は諦めていなかったって事よね」
「……え?」
あちらさん、とは聞き返さなくても誰の事かはあきらかで。
苫珠の言葉に少しだけ胸がどきりとする。
「だってそうじゃない。誰を何の役職につけるかは一応最高責任者として目を通すはずだし」
「それは……そうかもしれないけど…」
「大学で優秀だったからって、評判や書類面だけで鳳綺を抜擢する訳ないだろうし。
延王からの何かしら推挙があったと考えるのが普通じゃない?」
「…………」
鳳綺は俯いて黙り込む。
大学を終えられたら官吏になって、陰ながら延王を支えようと思っていた。
きっと関弓は離れる事になるだろうけど、それでもいいんだと何度も自分に言い聞かせた。
尚隆を拒絶してしまったのに傍にいたい、そんな願望は都合が良すぎる。
だから、遠くから尚隆を想いながら仙としての長い生涯を過ごす決意をしたのだ。
高官に選ばれた事はとても嬉しい。
大学でも騒ぎになるほどの名誉な事でもあるし、本当に夢が叶ったのだから。
だからこそ不安に思ってしまう。
この高すぎると思えるくらいの役職は、本当に鳳綺の能力が買われた所以のものなんだろうかと。
「……もしそうだったら、嫌だな……」
尚隆の口利きのおかげであったとしたら、これは自分の努力で勝ち取ったものではない。
何も知らずに喜んでいる自分は、とても恥ずかしい存在ではないだろうか。
「そんな深く考える事ないんじゃない?官吏になれるなら何でもいいや、くらいに思っておきなさいよ」
「う、ん……」
鳳綺がそう思える人間ではない事を知っていながらも、苫珠は続けた。
「出会いだって運よ。あんたはその運を掴めたんだから、胸を張りなさい」
「……うん、ありがとう……」
まだ納得はできないが、それでも言葉を選んでくれる苫珠の気遣いは嬉しかった。
「それに国府って言っても、そんな簡単に王に会わないでしょ?」
「そう……かな?」
「王ってのは上の方で一歩も外に出ないものなんでしょ?だったら会わずに過ごせるかもよ」
「…………」
本当は会いたい、だけど会いたくないとも思っている。
遂人と王とは立場にかなり差があるとはいえ、同じ凌雲山である事は間違いない。
(もし、尚隆に会ってしまったら……)
必死で覚悟した決意が、脆く崩れ去ってしまう気がする。
抑え込んだ感情がきっと溢れて止まらなくなる、だから怖い。
苫珠の言う通り簡単に会わないのなら、それに越した事はない。
「でも鳳綺には頻繁に会いに来たんだよね?なら、それが当てはまる王ではなさそうだけど」
「、苫珠~……」
鳳綺の気持ちを一瞬だけ引き上げて、すぐに落とされた。
これでは鳳綺の背中を押してるのか、現実を突き付けてるのかわからない。
がっくりと項垂れた鳳綺が助けを求めるように苫珠を見つめるが、相手は気にしてくれない。
「どっちにしろ、あんたが官吏になるのは変えられないんだから、運に任せるしかないわね」
「結局そうなるんだ……」
ここで不安ばかり吐露していても仕方ないという事なのだろう。
だけど、話を聞いてもらえただけ鳳綺の気持ちは少し落ち着いた。
「でも、まぁ……」
「うん?」
「……官吏の夢はまぁ、良かったわね」
珍しく歯切れの悪い苫珠に首を傾げると、彼女は恥ずかしそうにそっぽを向いてそう言った。
やっぱり優しいな、と鳳綺は満面の笑みを零した。
「ありがとう、苫珠」
良い友達を持てて鳳綺は嬉しかった。
だからこそ、鳳綺の笑顔は少しずつ翳りを帯びていく。
「苫珠」
「……何よ」
「ごめんね……」
鳳綺の目が寂しく揺れる。
せっかく大切な友達ができたというのに、自分達は一緒に年齢を重ねられない。
それだけではなく、いつか苫珠は鳳綺を置いていなくなってしまう。
「いいのよ」
何に対しての謝りなのか言わなかったが、苫珠はわかってくれたようだった。
苫珠は変わらずあっけらかんと笑っていた。
「あんたが決めた道なんでしょ?なら私の事なんか考えてないでさっさと仙になりなさいよ」
「……うん」
「私は、今はそこそこ楽しい。何とかやっていけそうだから」
「…………」
「ま、鳳綺の一喜一憂を見てるのが一番楽しかったけどね」
「……ごめん」
「だから何で謝るのよ」
「だって……」
段々と鳳綺の視界が涙で滲んでいく。
それを見て苫珠は言葉を和らげた。
「永遠の別れじゃないんだから」
「え……でも……」
「人間だろうが仙だろうが、会おうと思えばいつでも会えるでしょ」
「苫珠……」
「か、勘違いしないでよ。樺殷と完全に別れて……少し、後悔したから」
鳳綺が目を潤ませて見上げていると、
優しくしすぎたと気付いたのか苫珠は慌てて取り繕う。
「……会いたかったら会えばいい、今はそう思う」
「うん……絶対また来る!」
「ちゃんと仕事しなさいよ」
涙を必死に堪えて笑うと、苫珠は少しだけ眉尻を下げて頬を緩ませた。
「鳳綺、また来るんだよ」
奥から女将も軽く顔を出した。
「はい、また来ます!」
そろそろ大学に戻って準備をしなければならない。
鳳綺は二人に礼を言うと、ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、苫珠……落ち着いたらまた遊びに来るね」
「ああ、はいはい。さっさと仙になれ」
愛想のない顔で手をひらひらさせる。
鳳綺はその態度にどこか安心して、勢いよく関弓の大通りへと踏み出した。
「……なんだか、仙になるって実感がないねぇ、あの子」
女将がぼやいた。
「……鳳綺はあれでいいんですよ」
「でも……時が経てば、嫌ってほどその差を味わうんだろうね」
「……そうですね」
苫珠は外に出ていた。
以前にもこうやって送り出した事があった。
あの時はろくに見送りもしないで逃げてしまったが。
歩みとともに揺れる黒真珠のような髪と、天に向かって仰いだ小さな背中。
今回は雑踏に消えるまで、それをいつまでも眺めていた。
苫珠も上を見上げた。
これから、彼女が昇るであろう神の山に。
にじんで視界が見えなくなっても。
太陽の光が枯らしてくれるまで、ずっと。
「いよいよだね、鳳綺」
「うん……」
鳳綺は少しだけ悲しそうだった。
どうやら心の底から喜んでいるという感じではない。
官吏になるという事はすなわち仙になるという事で、
色々と思う所はあるだろうと雄飛もその事は理解できる。
だけど鳳綺がそれを含ませながらも努めて笑っているので、
雄飛はあえて何も言わず優しく微笑んだ。
「待ってて、鳳綺」
「え?」
「俺もいつか絶対官吏になる。そうしたら少しは鳳綺の事助けてあげられると思うから」
「あ……ありがとう」
照れたように笑う鳳綺に雄飛は頷いた。
今はまだ、友達という関係のままでいい。
「雄飛……」
「うん?」
「……また会えるよね?」
不安そうな、寂しげな声、それだけで雄飛の心は浮ついた。
「何言ってるんだ、鳳綺が会いたいって言うんなら俺はいつでも何処でも会いに行くさ」
「うん……」
(いつか、俺も官吏になったら……今度こそ)
雄飛は拳を握りしめながら、笑顔を浮かべた。
白雉八十四年、琳鳳綺は正式に地官・遂人を拝命した。
厳粛な拝命の儀の後、頭を上げた先には一瞬だけ、
長い黒髪をなびかせて消える後ろ姿があった。
本当に一瞬だったから、幻だったのだろうと思う事にした。
淡い期待を持っていた自分が作った幻だろうと。
この胸の苦しさもこれからの官吏生活への緊張故だろうと。
だから違うのだと、鳳綺は銀色の瞳を伏せた。
Back Top Next
今度こそ尚隆出したい。