本当ならば、明かしてはいけないのだろう。
"あの人"の事は、きっと誰にも言ってはいけない秘密の話。
鳳綺だって、広めるつもりなんてなかった。

だけど止められなかった。
誰にも言えなくて苦しかった。
我慢して塞き止めていた感情が、一度堰を切ってしまえば溢れだす。

しかもほぼ初対面の人に、どうしてすんなりと話してしまったのだろう。
わからない、だけど鳳綺はもう限界だった。

あの人と会ってからの出来事を、まるで物語を読んでいるかのように語る。
長い黒髪、深い漆黒の瞳、それから揺るぎない声。
夢だったのではないかと思えた記憶が鮮明に蘇り、胸が痛くなる。

本当はずっと心にしまい込んで、誰にも触れさせたくなんてなかった。
だけどもしかしたら、鳳綺の苦しみを誰かにわかってもらいたかったのかもしれない。

自分の選択が正しかったのだと、誰かに言ってもらいたかった。







13章―4








「延王に!?」
「……うん」

鳳綺は力なく笑った。

「しかも断った!?どうして!?」
「……苫珠なら、わかるよね?」
「う……」

苫珠は返す言葉がなかった。
似た経験をしているかもしれないと思いはしたが、やはり正解だったのだ。

「恐かった。最初は延王だって知らなくて、夢中であの人を追いかけていただけなのに、
たまたまあの人が延王で、それだけで王の傍にいる地位がもらえるなんて……おかしいでしょ?」

諦めたように笑う鳳綺が痛々しい。

「……それで、その人とは今どうなってるの?」
「今まで通り会って欲しいって言ったけど、会えたのは一度だけ。
でも、普通はそうだよね?気まずくて、結局会えなくなるよね……」
「…………」

鳳綺の表情は、想い人を待ち続けている女のようだった。

「でも、断った後からずっと後悔してる。
あの時受けていれば、私はずっとあの人の傍にいられたって……!」
鳳綺……それは誰もが考えてしまうことよ」

至って普通の感情だと、苫珠がそう言葉を掛けるが、鳳綺は俯いて肩と拳を震わせた。

「私は嫌だった!そんな動機で妾の立場が欲しかった自分が嫌だった!」

苫珠には鳳綺の気持ちが痛いほどわかる。
無意識に眉根を寄せ、鳳綺の叫びに耳を傾けた。

「駄目なのよ!そんな人を関弓山に上げちゃ……駄目よ……っ!」
鳳綺……」

鳳綺の膝や手の甲に涙が滴り落ちる。
長い間、こうやって後悔と罪悪感に苛まれてきたのだろうと苫珠は思う。

ずっと、鳳綺が儚い笑顔をしていた理由がやっとわかった。
よくここまで我慢したと、苫珠は鳳綺を褒めてやりたいぐらいだ。

本音を言えば、ずっと好きな人の傍にいたかったのだろう。
普通の女であれば、見初められたと喜んで愛妾を望む人もいるだろう。

だけど鳳綺はそうしなかった。
葛藤しながらも、彼女の中の責任感がそうさせなかったのだろう。

会ったばかりではあったが、鳳綺の人となりは何となくわかってきた。
そもそも初対面というか、苫珠が蘇殃に連れ去られる騒ぎにたまたま居合わせただけの人間が、
わざわざ危険を冒して助けに来ようとするほどのお人好しなのだ。

彼女はその見た目だけで判断されがちだが、その辺にいる女達とは明らかに違う。
優しさだけでなく、物事を見極める力も行動力もあり、何より心が強いのだろう。
だからこそ延王は彼女を望んだのかもしれないが、
それは今さめざめと泣く鳳綺にはとてもではないが伝えられない。

苫珠は鳳綺の前まで歩み寄り、しゃがんで黒い艶やかな髪を撫でた。

鳳綺……辛かったね」
「……!」

弾かれたように鳳綺が顔を上げる。
何て顔をしてるんだと、苫珠は苦笑した。

「私も……辛かったよ」
「苫珠……!」
「よく頑張ったね……」

いつも強気な苫珠から発せられた、優しい言葉。
鳳綺の銀色の両目から再び大粒の涙が溢れる。

「その言葉を……かけてほしかった……っ!」


この涙は、鳳綺の今までの想いだ。
蓄積されていた感情が、一気に溢れて流れる。

誰かに全てを話して、吐き出して、
ようやく鳳綺の行き場のなかった気持ちが昇華されていくようだった。

ひとしきり泣いて、鳳綺は次第に心を落ち着かせていく。

そう、自分は決めたのだ。
遠くからでもいい、尚隆と同じ見守る立場になりたいと。

それが、鳳綺にとっての尚隆の傍にいる方法だった。
苦悩の中で見つけた、唯一の希望。

だからもう前を見ようと、泣いている自分に冷静な自分が言う。
立ち上がれと、必死に自分を鼓舞させて。

そうして鳳綺は、ゆっくりと顔を上げる。


「……ごめんね、苫珠……ありがとう」

涙を拭った鳳綺の瞳は赤くなっていたが、強さは戻っているように感じた。

「それでも私は、官吏を目指すよ」
「そう……いいのね、それで」
「……うん」
「官吏になったら延王と直接会うかもしれないけど、その時はどうするの?」

頑張ろうとしている鳳綺に水を差す事になるが、それでもちゃんと聞いておかなければならない。
鳳綺は苦笑して首を振る。

「それは多分ない」
「どうしてそんな事言い切れるのよ?」
「だって……本来は関わり合う事のない人だから」
「でも鳳綺はその人と出会った」
「…………」
「もう会わないとは限らない」

(もしばったり会ってしまったら、どうなるんだろう……)

鳳綺はそんな状況を想像してみた。
だけど普通に考えてみれば、ただの官吏は王と気軽に話せる間柄ではない。
尚隆だって、恐らく人が大勢いる場所では王の顔をしているだろう。
鳳綺は尚隆の王としての顔を知らないが、普通はそうだろうと思う。

「うーん……延王として会ったのなら仕事中なわけだから、何でもない風を装うよ」

強がって言ってみたが、鳳綺は自分が発した言葉に少しだけ自嘲する。
本当に、尚隆は遠い存在なんだなと改めて感じさせられた。

「そんな事、あんたできるの?」
「……未練があるとは思われたくないから、頑張るよ」
「さんざん泣いておいてよく言うわ」

苫珠が呆れたように言うが、それが鳳綺の最後の矜持だった。
官吏になって王の近くに行くのなら、女としての邪な感情があるとは思われたくない。
いや、実際はあるのかもしれないが、それを悟られたくはない。

(振った女なのに、焦がれたような顔をして近付いてくるなんて、嫌だよね……)

官吏になるのなら、元々なりたいと思っていた気持ちで、ちゃんと官吏になりたい。
鳳綺が自身を納得させたように頷くと、苫珠はようやく笑った。

「ま、でも……少しは強くなったんじゃない?」
「苫珠のおかげかも」
「へー、それどういう意味で言ってんの?」

強さをくれてありがとうという意味だったのに、何故か苫珠は怒気を露わにして鳳綺を睨む。
笑っているのに、どうしてか凄く怖い。

「な、なんで怒るの!?褒めてるのに!」

鳳綺が怯えて体を小さくさせようとしている光景がどうも可笑しくて、苫珠は気が抜ける。
そもそも苫珠は本気で怒ってはいない。

「……何この会話。さっきまで違う話してたのに」
「……ふふ、本当だね」

どちらかが吹き出すと、鳳綺も苫珠も声を上げて笑った。
まるで昔から知っている友達のようなやり取り。

きっと苫珠とは友達になれるんだろうなと、鳳綺は嬉しくなった。
そして久しぶり心から思いっきり笑い、夜が更けた。









眩しい朝日に誘われるように鳳綺は目が覚める。
瞼は腫れているが、気持ちはすっきりとしていた。

こんな晴れやかな朝を迎える事すら久しぶりだった。
寝台から起き、窓辺で光を浴びながら腕を高く伸ばした。
窓から見える光景は何でもないいつもの朝だけど、今朝はどこか違って見えた。

「起きてたんだ」

扉の開く音がした方を振り向くと苫珠が入ってくる。
鳳綺が寝ている間にどこかに行っていたようだ。

「ねぇ苫珠、あなたこれからどうするの?」

鳳綺も身支度を整えながら尋ねた。

「何も考えてない。のんびりやるさ」

苫珠らしい言葉だったが、そこには昨晩のような投げやりさはない。
苫珠も少しは吹っ切れたのかもしれない。

「あのね、私考えたんだけど……」

控えめに提案を言ってみる。
すると鳳綺の予想通りに、苫珠は声を張り上げた。

「はぁ!?また住み込み!?」
「で、でも前いた宿よりは断然こっちの方がいいよ!女将さんも優しくていい人だし」
「うーん……」
「ほら、関弓だし、色んなものが集まってくるから新しい事も見つけられるかもしれないし」
「…………」

これまでの宿の住み込みを思い出すのだろう。
だけど今度ばかりは酷い目には合わないに違いない。
不満そうな声を出す苫珠に、必死に説明する鳳綺
どう?と恐る恐る聞いてみれば、腕を組んで悩んでいた苫珠が大きく溜息をついた。

「はぁ~……わかったわよ。行けば良いんでしょ?」
「うん、そうそう!」
「田舎じみた所よりそっちのほうが面白そうだしね」
「よかった!苫珠、絶対気に入るよ!」

こうして目的地が同じになった二人は、元州を出た。

関弓への道中、琉綏に二人で騎乗しながらとりとめのない事を話した。
琉綏の事、尚隆の事、樺殷の事、蘇殃の事なんかもその中に入っていた。
しかし二人とも、もう暗くなる事はなかった。


関弓に到着すると、いつも行く馴染みの食庁へ向かった。
事情を説明すると、女将は持ち前の包容力ですんなりと苫珠を受け入れてくれた。

「まかしときな。住み込みの一人や二人どうにでもなるさ!」
「ありがとう、女将さん!」
「珍しく鳳綺がそんな目でお願いするんだ、断れる訳がないだろ?」

女将が豪快に笑った。
何だか今まで世話をかけてしまった事も含まれているようで、鳳綺は苦笑しつつも感謝する。

「お願いします。住み込むからには精一杯やらせていただきます」
「いいねぇ、その目気に入ったよ」

苫珠が頭を下げ、女将が楽しそうに頷いた。
うまくやっていけそうな予感に、鳳綺も嬉しくなる。

苫珠が此処で働くのなら、いつでも会えるという事だ。

「じゃあ苫珠、また来るからね」
「あ~はいはい。さっさと帰りなさい」

追い返すような言葉だったが、それが「また来い」という意味なんだと何となくわかった。
鳳綺が顔を綻ばせて大通りに出ようとすると。

鳳綺

呼び止められて振り返ると、苫珠が寄ってきて鳳綺に右手を伸ばした。

「そういえば、何だかんだでちゃんと挨拶してなかったわね。
苫珠よ、此処で住み込みをしながら生きる意味を探してるわ」

鳳綺は強くその手を握り返した。

鳳綺です。夢とあの人を追いかけて、そこの大学で勉強してるよ」
「ふふ……いいわ、その調子よ」
「そっちこそ、私が官吏になる前にこれだって思うもの見つけてね。安心して仙になれないから」
「調子に乗るんじゃないわよ」
「あはは」

苫珠が楽しそうに笑うから、鳳綺も余計に笑顔になる。
そして強く、強く握手を交わした。

余計な心配も、過剰な励ましの言葉もいらない。
これが鳳綺と苫珠の、友達としての振る舞いだった。













――たくさんの人が行き交う、関弓の大通り。

ふと顔を上げると目の前には高くそびえ立つ凌雲山。

あの山の上にいる、あの人は遠い存在。
だけど、ずっと見ていたい。
遠くからでいい、あの人を支えたい。

官吏になる、それが私の夢。
そして新しくなった夢でもある。

きっと、あの人の望んだ答えではないだろう。
だからごめんなさいと、心の中で謝る。

後悔ばかりしてはいられない。
もう、引き摺らない。
引き摺らないように生きていきたいと、そう思った。

見えてきた大学に、鳳綺は決意を込めた。

もう一度、やり直そうと―――











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ここまで読んで下さった方、本当にお疲れ様です。
これでやっと「苫珠編」が終わりです。

長かったです(笑)
何か最終回っぽく書いてしまいましたが、終わりではありません(笑)

「ヒロインがちょっと吹っ切ってもう一度頑張って勉強しよう!」
というのを持ってくるためにめちゃ長くなってしまいました。
勝手に作ったキャラ大暴走で、原作キャラが誰もいない……
「一人気の強い女の子と仲良くなって、尚且つヒロインが勉学に励み出す!」
ただそれだけが目的だったのに……苫珠さん達のエピソード多すぎ。

仙になるという事、それを外部から考えてみました。
「好きだから付いていくわ~」なんて事、永遠に言ってられないと思って苫珠の過去が出来ました。
仙になるという事、そんなに簡単な事じゃないと思うんです。
数十年で滅んでいく国の王の気持ちが解らないでもないです。

でもすいません!こんなに大量になるとは私自身思っておりませんでした。