13章―3





二人を乗せた琉綏は蘇殃のいた拠点を離れ、
ひとまず一番近くの街で今晩の宿をとる事にした。

夕食を向かい合って食べているが、二人の間に会話はない。
苫珠は会った時のようなしかめっ面に戻り、無言の姿勢をとっていた。
鳳綺はちらりと正面の顔を覗きながらも話しかける言葉が思い付かなくて、
結局俯き加減でひたすら食事を口に運んだ。

(中途半端に首を突っ込んじゃったなぁ……)

鳳綺はどうしたものかと困っていた。
苫珠と蘇殃はどうやら過去に繋がりがあったようで、聞いてしまった以上気になる事はある。
だけど鳳綺は完全に部外者で、無遠慮に尋ねる事は憚られる。

だからといって全く無関心でもいられない。
しかも会話に入って突然泣いてしまうという失態もあって、気まずさもある。

二階にとった部屋で、小卓を挟んで並ぶ寝台に入って鳳綺は溜息をつく。

今日は色んな事があってどうも眠れない。
寝返りをうって苫珠とは反対側に体を向けると、あちらからも衣擦れの音がする。

「何も聞かないのね」
「え!?せ、苫珠……起きてたの?」

慌てて振り返るが、苫珠は背中を向けていて表情は見えなかった。

「眠れる訳ないでしょ。鳳綺こそ、眠れないんでしょ?」
「ま、まぁ……ね」
「聞きたくないの?」
「……気になるけど、私はあの場に居合わせただけの部外者だから……」
「いいわ、聞かせてあげる」
「え!?」

鳳綺の言葉とは裏腹に苫珠はあっさりと言った。

「聞きたいんでしょ?」
「う……」
「随分迷惑かけたし」
「そ、そんな事思ってないよ!」
「いいのよ。私が話したいのよ」

狼狽して反対の寝台を覗くと、苫珠は天井を仰いでいる。
ああ話したいんだろうなという事に気付き、鳳綺はそれ以上何も言わず耳を傾けた。

「……昔、私には婚姻を約束した人がいたの。それが樺殷。同じ里家にいた幼馴染」
「そう、だったんだ……」

蘇殃と苫珠の会話で何度も出てきた名前だった。

「結局断ったけどね」
「……どうして?」

苫珠は鳳綺に薄く笑いを浮かべてから、視線を天井に戻す。

「樺殷は小さな頃から官吏になるのが夢だった。しかもそれが実現した」
「……すごいね、その人。本当に夢が叶ったんだ……」

鳳綺の素直な感想だった。

「私は実現して欲しくなかった」
「え?」

新たに付けた明かりがゆらゆらと苫珠を赤く照らす。

「官吏になったら樺殷は仙になる。私はただの人間、樺殷は遠くの存在になる」
「…………」
「昔から夢を語ってはしゃぐ樺殷だけは好きになれなかった」


――「僕は官吏になりたいんだ」

  「でもそしたら、私の方が先に死んじゃうよ」

  「大丈夫だよ。夫婦になれば苫珠も仙になれるんだ」

  「私も、仙になるの?」

  「そうだよ。だからずっと一緒にいれるんだよ。待っててね、苫珠」

  「……う、うん……」――


「でも婚姻したら苫珠も仙になれたんでしょ?」
「……仙になって、私は何をすればいいの?」
「え?」

苫珠の言葉に、鳳綺の心臓がどきりと跳ねた。

「確かに仙になれば私は樺殷とずっと一緒にいられた。でも、私は何の為に仙になるの?」
「それは……」
「樺殷は官吏としての仕事があるからいいわよ。だけど私は、終わる事のない命をずっと樺殷といるために使うのよ?
何もせず……ただ生き長らえる為に」
「…………」
「私はそんな永遠耐えられなかった」

赤い光と影の対照的な色合いのおかげで、苫珠の表情はよく見えない。

「だから樺殷と別れて、限りある命で生きる事を選んだ」

今の鳳綺にとっては、とても他人事とは思えない話だった。
だから苫珠の気持ちがよくわかってしまった。

「私にはこれといった夢がなかったから、各地を転々として好きな事をやってきたわ。そしたらそのうち―――」
「別れてよかったっていう理由が見つかるかもしれないから?」

苫珠が言うだろう言葉を鳳綺が先に口にすれば、肯定の意味の苦笑が聞こえた。
鳳綺だって似たようなものだ。
忘れるようにひたすら学問を学び、そしてたまの休みには逃げるように外へ出る。

「……理由は、見つかったの?」
「いいえ。見つかってたらあんな所で住み込みなんかやってないわよ」
「大変だったのね……」
「ふふ、まぁね」

ふと、苫珠は何かを思い出したのか小さく声を上げた。

「あぁ、あったわ。私の小さな頃の夢」
「何?」
「あの小さな里で樺殷と細々と暮らす事。豊かじゃないけど幸せで……そして、二人で死ぬ事」
「…………」

苫珠の笑った顔がまともに見れなかった。
そして軽々しく聞いてしまった自分を悔やんだ。

官吏になりたいと言った樺殷が悪い訳でもない。
平凡な人としての暮らしを望み、仙という永遠の鎖を拒否した苫珠だって悪くない。
なのに結局離れる事になってしまった二人を思うと、鳳綺の胸が痛む。

「……蘇殃っていう人は?」
「小さい頃に同じ里家にいた人。すぐ里家から出て行ったけど、
私が樺殷を断ったのを知ってたから随分近くにいたようね」

苫珠がこちらを向いた。

「さっきまでは忘れてたけど、そういえばよく無言で花をくれた子がいたわ」
「花?」
「そう、樺殷が夢の話をした後に決まって。あれ、蘇殃だったのね」
「あの蘇殃って人が……」

今の外見からは想像も付かない話だった。
だけど疲れた目の奥に冷たさは感じる事なく、どちらかというと苫珠を気遣うような優しさがあった気がする。

「いつも……私が落ち込んでる時にね、ほんと何も言わないでただ花だけを……」
「そうなんだ……」
「『ありがとう』って言うと恥ずかしがって行っちゃうんだけど、必ず一度だけこっちを振り向いて笑ってた。
どうして今まで忘れてたんだろう……?」

子供の頃の無邪気な記憶が呼び起こされる。

揺れる若木の下で目を輝かせていた樺殷、それに戸惑う苫珠、そして遠くから見ていた蘇殃。
何度も何度も樺殷と遊んで、そして夢を聞いていた。

幼い日々を過ごしたその場所は、今も心の中では若葉が一面に広がっている。
もう過ぎてしまった懐かしい情景。

苫珠は一つ一つの欠片を組み合わせるようにぽつりぽつりと話す。
その顔は嬉しそうだったし、悲しそうでもあった。

もう戻らない日々を思う苫珠を、鳳綺は眉尻を下げて見つめる。
後悔してない、なんて事はないのだろう。
何が正解だったのかわからないまま、必死に前を向こうとしている苫珠は強いなと思った。

鳳綺もまた、自分が決めた選択に苦しんでいる。
これでよかったのかは今でもわからない。
だけど苫珠も鳳綺も、決めてしまった以上進むしかないのだろう。
停滞してしまえば、すぐに背後から後悔が押し寄せてくるから。

「蘇殃の事情はわからないけど、蘇殃の考え方は私に似てる」

彼は恐らく、苫珠と同じく命を持て余しているのだろう。

「あそこで鳳綺の泣きがなかったら、私も何してたかわからなかったかもしれない」
「えっと……その事は忘れて……」

苫珠の冗談めかした言葉に鳳綺は頬を赤らめる。
関係のない部外者が突然泣き出すなんていう失態、恥ずかしくて仕方ない。
鳳綺が顔を布団で隠そうとすると、苫珠はくすりと笑う。

「蘇殃にも、どうにか生きてもらいたいけど。根は優しいと思うから」

蘇殃は少々強引ではあったが、苫珠の事を案じていたから悪い人ではないのだろう。

「苫珠と会って、何か変わったかもしれないよ?」
「そうか?」
「今までは投げやりに生きてたから街の人に対しても乱暴に接してたけど、生きるって言ってたでしょ?」
「まあね。これ以上宿を追い出される人が出ない程度には変わって欲しいけど」
「大丈夫だよ、多分」
「多分……ね」

お互いに顔を見合って苦笑する。
不器用らしかった彼が救われるといいなと願う気持ちを、二人はきっと共有していた。

鳳綺にはあるの?生きてる意味」
「え……私、は……」

ふいに話を振られ、鳳綺は動きを止めた。
言うべきか悩んだが、これだけ話してくれた苫珠に嘘は付きたくないし、適当に誤魔化したくもない。

「……私もね、実は官吏になりたいんだ……」
「え?」

驚いた声を上げる苫珠に、今度は鳳綺が自分の記憶を語り始めた。

生まれの事、幼い頃の事。
人に話すのはこれで二回目だった。
ゆっくり順を追って話すと、苫珠は関心したように頷いた。

「ふうん……人の幸せをねぇ」
「うん……ごめん……」

鳳綺は何となく申し訳ない気分だった。

「何で謝るのよ」
「仙が嫌だって言ってるのに、こんな話をして……」
「別に他人の夢までどうこう言わないわよ。人には人の事情があるんだから」
「でも……苫珠の話で色々考えた。官吏になるという事、仙になるという事」

鳳綺は起きあがって苫珠を向く形で座り直した。

「仙になるという事は人間ではなくなるという事。それはつまり、人間の生命の輪から外れた存在になるっていう事」
「うん、そうだね」
「それから、その遠くなる存在から置いていかれる人もいる」
「…………」
「官吏になるなら周りにいた人の事も考えないといけないんだって」

鳳綺は窓の外をぼんやり見つめた。
暗闇で何も見えはしないが、遠くにある雲海を思う。

「……仙になるって大変だね」
「そう?」
「残される人の事も考える、でも仙になれば責任と不幸を背負わないといけない。
全部受け止めて、初めて覚悟ができるんだと思う」
「責任と不幸?」

苫珠も鳳綺と同じように座り直し、足を寝台の外に投げ出して尋ねた。

「そう。全てを賭けて請け負う仕事の責任と、与えられる権力と富に負けない責任、
それから……時代に取り残されて、大切な人を失う不幸」

鳳綺が真っ直ぐな目を向けると、苫珠は長い睫毛を伏せる。

「自分は何も変わらないのに、周りばかり変わっていくのって結構怖い事だと思う。
それに終わりなんてないから、嫌にもなるかもしれないね」
「……そう考えると、樺殷はどうしてあんなに官吏になりたがったんだろう?」

うーんと唸る苫珠は、腕を組みながら首を傾げる。

「理由聞いた事なかったの?」
「言ったかもしれないけど、私にはどうでもよかった」
「ひどいなぁ。樺殷さんだって何かと理由があったかも知れないのに」
「理由がどうであれ、仙になる事には変わりない」
「あはは……」

今度は鳳綺だけが乾いた返事をした。

(仙、か……)

仙と聞くと、鳳綺は真っ先にある人物を思い出す。
正確には仙ではないのだが、あの背中はどこか重そうだった。
軽い口調とは裏腹に、内心ではきっと色々な事を考えていたのだろうと思う。
漆黒の瞳は、いつも不安になるほど静かだった。

「…………」

ふいに黙り込んだ鳳綺は、少し悲しそうな顔をして遠くを見ていた。
何かを思い浮かべているのだろうが、それが何なのかは苫珠にはわからない。

「……過ぎていく時間の中で、周りにいた人がどんどん消えていく。
自分は何一つ変わらないでそれを傍観するしかない」
「……え?」

突然譫言のように呟いた鳳綺
苫珠が首を傾げるが、鳳綺は未だ遠くを見つめたまま。

「……あの人はそれを何度味わったんだろう……」

あの人、と鳳綺は呟いた。
誰の事を言っているのだろうと苫珠は思ったが、鳳綺の目は悲しいような切ない色をしていて、
聞かずともその相手をどう思っているのかは一目瞭然だった。

苫珠はしばらく黙り込み、ゆっくり口を開く。
鳳綺も恐らく、似たような経験をしているのかもしれない。
だけど彼女は苫珠とは違い、官吏を目指そうとする。

「……それでも官吏になりたいの?」

純粋な疑問だった。
ハッと驚いたように苫珠を振り返り、鳳綺は何かを考え込む。

「……そう……そうなんだ……」

突然、自分の出した答えに納得するように呟き、一人で頷く。
訝しげな顔をする苫珠に、顔を上げた鳳綺が諦めたように微笑んだ。

「……だから私は一層、官吏にならなきゃいけないんだ」
「…………」

何かを悟ったかのような鳳綺の笑みは儚げな色をしていた。
目標を見つけたと言わんばかりの言葉なのに、白銀の瞳はどうしてか泣いてしまいそうだった。
決意はしたのだろうが、それは哀しさすら混じり合ったもので。

どうしてそんな複雑な表情をするのだろうと苫珠は思う。

「理由は?」
「……あの人と同じ目線で、この国を見守りたい」

鳳綺はやはり『あの人』と言って、遠くを見つめている。

「一度逃げた身で身勝手だとはわかってるんだけど……官吏でなら、少しは支えられるかもしれないから」
「何なの、あの人って?仙か官吏か知らないけど、要は好きな人を追いかけるって事?」

苫珠は少しだけ苛立っていた。
好きってだけで仙になろうとするなら馬鹿馬鹿しい事だと思う。
だけど鳳綺は眉尻を下げるだけ。

「……そんな気持ちになる事も許されない。
だけどあの人は私に"命"を教えてくれたから、良くも悪くも」
「意味がわからない」
「そうだよね……もちろん官吏になりたいっていう夢は元からあるんだけど……」

苫珠が険しい表情をするのもわかるから、鳳綺は困った表情を浮かべるしかない。
言葉だけで察すればそう思われるのも仕方ないだろうし、
実際どんな理由を並べても結局は苫珠の言った通りなのかもしれなくて、
鳳綺自身でも本当のところはよくわからない。

だけど、決して安易な気持ちで言っている訳ではない。
仙になる意味も苦悩も何となく理解できたが、じゃあ夢を諦めようとは思えなかった。
それ以上に新たな使命感が生まれ、苫珠の言葉で鳳綺は決意した。

そうして思い浮かべるのは、"あの人"の後ろ姿。

「……あの人はきっと重い荷物を抱えているだろうから、少しでもいいからそれを持ちたい。
私なんかがそう願っても何の役にも立たないかもしれないけれど……
これは見守られる側にいてはできないから、私は見守る人になりたい」

苫珠は眉根を寄せる。
まるで樺殷のように夢を語る鳳綺を、どうしても理解したくない。

「その気持ちで永遠にやっていくわけ?人の気持ちなんていくらでも変わっていくのよ?
途中で挫折したって、仙を辞める頃にはあんたの知ってる人、誰もいなくなってるかもしれないよ?」

恋情なんて儚いものだ、ましてや永遠なんてない。
もし淡い夢を抱いているなら目を覚まさせないと、と思うのに鳳綺は少しずつ満足そうに笑うのだ。

「親だって友達だって、身の回りにあるものが全て消えていくんだよ?」
「……それでも私は、あの人を独りにさせたくない」

あの漆黒の瞳はとても深かった。
いつも飄々としていたけれど、ふとした時の表情に目を惹かれたのを覚えている。
一体どれだけの年月を、あの目で見てきたのだろう。

「どんなに取り残されても、全部失っても、この国には必ずあの人がいる。
あの人を残して、このまま消えていきたくない」
「……誰なのよ一体、そんなに想う『あの人』ってのは――」

鳳綺が独り言のように呟く"あの人"を考えて、苫珠は動きを止めた。
たかが仙の男にここまで入れ込むのかと半ば呆れていたのだが、
もしかして自分は何か大きな思い違いをしているのではないだろうかと。

「私はもう、あの人を忘れて生きられない。だって、知ってしまったから……」

鳳綺が苫珠を見つめながら言った次の言葉で、苫珠は確信してしまった。

「私が死ぬのは……あの人と、国が滅ぶ時なんだと思う」
「え……ちょっと待って……」

驚きに目を見開いた苫珠に、鳳綺は申し訳ない気持ちで微笑む。

「この国で、一番遠い場所にいる人」
「あんた……それって……」

鳳綺の唇が僅かに震えた。
言葉にしてはいけないものを吐き出そうとしている自分が、止められない。

「この雁州国の王……延王」

やけに静かな鳳綺の瞳を見つめて、苫珠は言葉を失った。











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さらりと言ってしまいました。
次で終わりです。

ここまでのおさらい。
苫珠→せんじゅ。
蘇殃→すおう。
樺殷→かいん。
新しいキャラ作りすぎてすみません。