「飯だ。食え」
扉が静かに開いて、蘇殃が現れる。
「あら、ご親切に食事まで頂けるのね。いつまでここに閉じこめておく気?」
「…………」
壊れかけた外観に反して清潔な部屋。
縛られる事もなく、出て行く事以外自由にしていいと言われたものの、する事なんかある訳ないと、
不機嫌な苫珠は寝台横の椅子に座り頬杖をつく。
蘇殃は机に盆を置くと、気怠そうに向かいの椅子に腰掛けた。
「今度は何も答えないのね。早く殺すなら殺せば」
「殺さないと言ってるだろう」
「だったら此処から出しなさいよ」
見せしめとして裁かれるでもなく、
何の為に閉じ込められているか意味がわからなくて、苫珠は苛立ちを隠せない。
「出たとして、行く当てはあるのか?」
「あんた達がその当てを無くしたんでしょ」
「それは悪かったな。だからいい部屋をあててやったんだ」
「は、何それ?だから感謝しろって?できる訳ないでしょう!」
「…………」
蘇殃の沈黙に、これ以上会話しても無駄だと苫珠はそっぽを向く。
本当に感情を表に出さない男だと思った。
外で男達の笑い声が聞こえる。
部屋から出られない苫珠は、そうやって外の音を聞くぐらいしかできない。
此処がどこの街なのか見当も付かないな、なんて考えていると。
「……あんたは俺によく似ている」
蘇殃は意外な言葉を口にした。
「はぁ?何を急に言い出すかと思ったら、冗談言わないで」
「冗談ではない」
「全然似てないわよ!私はあんたみたいに権力を盾にする人が大っ嫌いなのよ!神仙とかもね!」
苫珠は軽蔑するような目で睨み付け、声を荒げたが蘇殃は表情を崩さない。
それだけではなく、蘇殃の次に告げられた言葉に苫珠は肩を揺らす。
「……男の為にただ生き長らえるのは拷問に近いからか?」
「!な、何でそれを……」
苫珠が初めて動揺すると、蘇殃は目を細めて静かに笑い出した。
「ほら、似ているではないか。生きる意味もわからずに人生をもてあましてる所がな」
「…………っ」
「樺殷(かいん)を捨てて楽しい事はあったか?」
まさかその名前を聞く事になるとは思わなくて、苫珠は凍り付いた。
――……苫珠――
心の奥底に押し込めた記憶が、一気に蘇る。
――俺は官吏になる。長年の夢が叶ったんだ。苫珠も、一緒に来てくれるよな?――
かの人の優しくて嬉しそうな声に、「……私も?」と返事をした。
だけど彼は、苫珠が言葉に込めた気持ちなんて気付かずに頷いた。
――そうだ。二人で一緒に仙になろう。ずっと……俺の傍にいてくれ――
「ずっと……樺殷と?」
――『永遠』に?――
13章―2
鳳綺は寂れた集落を発ち、ひとまず県城に行ってみたが罪人が連行されたという話は聞こえてこなかった。
蘇殃という男がここ周辺によく現れるが、罪人を連れてくるのは稀な事らしい。
苫珠はまだ無事なはずだ。
だけど彼女がいる場所の当てがなくなってしまった事になる。
仕方なしに街に降り、大通りを歩いて地道な情報収集に切り替えた。
すると街の人から、「男達はいつも北の方に帰って行く」との話が聞けた。
それから、この街の人達も蘇殃が率いる男連中にひどく怯えている事を知った。
そんな訳で、鳳綺は北を目指しながら地上を眺めている。
隠れ家になりそうなものはあるだろうかと探してみるが、
この地域は往来が盛んな街道からは外れていて、あるのは平地と木々ばかり。
(障害物が多くて、見つけられるかな……)
生い茂った森の中に隠れられると、上から見るだけじゃわかりづらい。
日も傾いてきて、あたりは少しずつ薄暗くもなってきている。
今日の所は諦めて帰った方がいいだろうかと、鳳綺が思い始めた頃。
「――あ、あれ何だろう……?」
森の近くで鳳綺は里の跡地のようなものを見つけた。
恐らく一昔前に妖魔にでも襲われたのだろう、隔壁や至る所が破壊され人が住めるような状態ではない。
だというのに、よくよく見れば里祠や里家はある程度修復されており、一番奥の建物は明かりが付いている。
(かなり怪しい!)
誰もいない事を確認し、鳳綺は隔壁から少し離れた場所に降りた。
半壊した里閭から中を覗くと、暗闇の中でも男達が何人かいるのが見えた。
彼らは思い思いに街を歩き、時折陽気な笑い声が聞こえてくる。
そして奥には、何処よりも警備の人間が多く配置された里家がある。
(あそこに苫珠がいるかもしれない)
あくまで鳳綺の予想でしかないが、逆にそうでなかった場合に、
どうしてこんな廃墟のような里に男達がいるのか余計にわからない。
苫珠を攫った者達ではなかったとしても、よからぬ事を企んでいる連中である可能性が高い。
どっちにしろ鳳綺は見過ごせない。
そんな事を考えていた矢先だった。
社から数人の男達が出てきて、灯りに照らされたその顔に見覚えがあった。
苫珠が此処にいる事を確信しつつ、鳳綺は少し焦りを感じていた。
(どうやって中に入ろう……)
ざっと見えるだけでも結構な人数がいるのに対し、こちらはたった一人。
正面からはとてもじゃないが突入できないし、見つかってもかなり危険だ。
本当なら悪事の証拠を掴み、集団ごと摘発したい所だが、苫珠を逃がすだけで精一杯になるだろうと思った。
考えた末、騎獣を使い空から侵入する事を決めた。
あまり良い方法だとも思わなかったが、今の鳳綺にできるのはこれくらいしかないだろうと、
かなりの高度から里の敷地内を飛び、苫珠がいるだろう建物の二階の窓に静かに降り立つ。
「ここにいてね、琉綏。すぐ戻ってくるから」
吉量には手狭な窓辺だが、いられない事はない。
鳳綺は部屋に人がいない事を確認して中に入る。
廃墟のような外観だったが、中は大分改装されていて、街の宿並の調度品が整っていた。
扉に近付いて耳をすますと、喋り声が聞こえる。
「――でも何で卒長、女なんか連れてきたんだろう?」
「気に入ったんじゃねぇのか?卒長はああいう気の強そうな女が好きそうだし」
「ホントかよ……俺はああいうの駄目だ。煩くて仕方ねぇ」
「そういえばこうも言ってたぞ。『俺の見立てが正しければ女が一人紛れ込む。見つけたら引っ張って来い』ってな」
(私が来る事を予測してる……!?)
鳳綺は扉一枚隔てた部屋の中で密かに肩を強張らせた。
苫珠は今のところ無事なようだが、これでは鳳綺は動きづらい。
緊張を走らせながら扉を開け、静かになった周囲を確認する。
苫珠はどこに捕らえられているだろうかと視線を彷徨わせていた、その時。
「――――!」
「……え?」
一番奥の部屋から女の人の叫ぶ声が聞こえた。
何と言っているかまではわからなかったが、その声の主は恐らく苫珠だ。
(苫珠に何か……!?)
一気に焦りを感じて走り出そうとした鳳綺。
だが、同じように騒ぎを聞きつけたのか別の部屋の扉が目の前で開いた。
「!!!」
「うおっ!?グッ……!」
視線を合わせ、互いの存在を認識した瞬間、鳳綺は細剣の鞘を鳩尾に突き当てた。
しかしそれで倒れる程やわな男ではなかった。
「―――いい腕じゃねぇか、姉ちゃん。だが、まだまだだ!」
男が掴みかかって来た所を鳳綺は剣を抜きながら後ろに飛び退った。
「苫珠はあそこにいるのね!?」
「あの女の事か?ああいるぞ。今頃卒長が楽しんでるんじゃねぇか?」
「!!」
「おっとぉ……!」
鳳綺は力任せに剣を振り回した。
しかし男には当たらず開いていた扉をかすめただけだった。
「へえ……腕はいいが姉ちゃん、狭い所ではやり合った事がなさそうだな」
「っ……!」
確かに鳳綺はやりづらかった。
此処が好き勝手に剣を振り回せる場所でない以上に、何しろ相手の男が剣を抜かない。
護身という目的ならばいいが、鳳綺にはまだ剣を抜かない相手を傷付けるほどの覚悟がない。
だから今のような状態では、剣を振って威嚇する事が精一杯だった。
背後から、さらに男達が集まってくる音がする。
(囲まれる……!)
焦りで背後に気をとられた隙に、正面にいた男が迫ってくる。
仕方なく円を描いて体ごと男に斬りかかったが、男は寸前で自身の鞘でそれを制した。
「!!」
「一歩遅かったな」
次の瞬間には後ろから両腕を掴まれ、数人の男によって床に押さえつけられていた。
鳳綺の細剣が、からんと音を立てて落ちる。
頬に冷たい床の感触を感じながら、鳳綺は浅はかだった自分を責めた。
甘かった、自分だけでどうにかなると思った事が間違いだった。
「少し大人しくしてもらおうか」
(殺される……!!)
覚悟が脳裏を横切ったが、ついに剣が鳳綺に向かう事はなかった。
突然部屋の外が騒がしくなる。
蘇殃が意識を入り口に向けると、扉を雑に叩く音がした。
「どうした」
「例の女を引っ張ってきましたよ!中々しぶとかったですが」
「ご苦労だった。もういいぞ」
男に引き摺られてきた女は、苫珠にとっては少し前に初めて会っただけの鳳綺だった。
背中を押された鳳綺はよたよたと中に歩み寄った。
「苫珠!……え?」
「鳳綺!?」
鳳綺は苫珠の名を呼び、そして首を傾げた。
きっと可哀想な目に遭っているから何とかして助けねばと思っていた苫珠は、
予想外に綺麗な部屋で、案外元気そうに立ち尽くしていたからだ。
「鳳綺!あんた何でここへ!」
「……あんな風に連れ去られて、放っておけなかったから」
「何てお人好し!あんたとは今日数分しか会ってないのに!普通助けに来る!?」
「えっと……すみません……」
何故か怒られた鳳綺は、その剣幕に負けてつい謝っていた。
そもそも、今これはどういう状況なのかが鳳綺には理解できない。
鳳綺は傷付けられる事もなく男達はさっさと部屋を出てしまったし、苫珠は何だか捕らえられているように見えない。
呆けた顔をする鳳綺に助け舟を出したのは、この場にもう一人いた蘇殃だった。
「そいつなら助けに来るだろうと思ってたぞ」
間に入るように蘇殃が言った。
「……どういう意味ですか?」
「そんな気がしただけさ。それに、苫珠を送ってやる奴が欲しかったからな」
やっぱりどういう事かわからない。
ますます首を捻る鳳綺の一方で、苫珠は何かに気付いたように蘇殃を見る。
「そう……そうよ……あんた、もしかしてあの里家にいなかった?」
「…………」
返事は相変わらずなかったが、蘇殃は満足そうに小さく笑みを作る。
「一人だけいたわよ?一言も話さないで、誰とも仲良くなろうとしなかった子が……」
「……いつも見てたさ。お前と……樺殷を」
「やっぱり……でもなんで?あの子はどこかに行ったって聞いてたのに……」
「里家を飛び出した事になってるからな。結局はずっとあそこにはいたんだが」
「……最初から私の事知ってたの?知ってて男達に絡むように命令してたの!?」
苫珠の口調が自然と強くなる。
「俺は何も言ってない。あいつらが勝手にやった事だ。
もっとも、あんな臆病主人のいる店なんか辞めればいいとは思ってたが」
「あんたが臆病にさせたんじゃない!」
「だから俺は何も言ってない」
「そうやって何人罪もない人を殺したのよ!」
「……言っておくが」
そうやって蘇殃は立ち上がった。
「罪もない奴を斬った覚えはない。斬った奴は罪人だけ、本当に罪に問われる奴ばかりだった」
「そんな事信じられる訳ないわ」
「それに此処にいる奴らは皆、安易な気持ちで軍にいるわけじゃない……俺とは違ってな」
睨む苫珠を余所に蘇殃は構わず続ける。
「あいつらなりに自分の正義というものを持って警備にあたっている。まぁ、少々行き過ぎる時はあるが」
「でも―――」
「人を引っぱたいたぐらいで咎める、なんて事はしてはいないつもりだ。
それを街の住民が過大解釈して怯えきってる。今更訂正なんぞ無駄な行為はしないしな」
「でも、皆言ってるわよ!罪のない人が殺されて、その死体が路上に晒されたとか……」
蘇殃は溜息を付いた。
「その話はどこから聞いた」
「え?」
「人から人へ伝わってきたものだろう?何が真実かも見極められないのか?」
「なっ!そんなの私がわかるわけないじゃない!」
「そうだ。誰もが真実を知らない。そうやって人づての話を信じ込み、勝手に怯えている」
「…………」
「まぁ、半分は怯えさせるようにし向けたらしいがな」
「何で、そんな事するのよ……」
「その方が都合がいいからな」
苫珠にはよくわからなかった。
その表情を読み取って蘇殃は静かに目を伏せる。
「じゃあ……あんたは?」
「俺は、住民の恨みを買う役をしている、そんな所か?」
「……店での横柄な態度もわざとなの?」
「ああやって怯えさせておけば犯罪は減るし、住民から罪人を追い出そうと必死になっているだろう?警備の効率がよくなる」
「……そんなんだから私は宿を追い出されるのよ。わかってるの?」
「だからそれは悪かったと言っている」
(なんだか、聞いてた話と全然違う……)
話に入っていけない鳳綺は立ち尽くしてそのやり取りを聞いているだけだったが。
それでも、ここにいる蘇殃や他の男達の姿が、街の住民からの話とかけ離れている事だけはわかった。
「あんたは……安易な気持ちで軍にいるの?」
蘇殃は窓際に歩み寄った。
「さあ……俺には剣しか能がなかったからな。ただ生きるために兵士になり、気が付いたら卒長にまでなっていただけだ」
「……人生をもてあましてるの?」
「そうだな。俺には樺殷のような崇高な志はないんでね。意味もなく生きて、ただ朽ちていくだけ。そういうお前はどうなんだ?」
「わ、私は……私は……!」
「ほら、お互い生きる意味がわからないだろ?……樺殷は違ったが」
「…………」
(『樺殷』……?)
鳳綺には初めて聞く名前だが、口は挟めない。
「あいつはやりたい事があった。俺とお前にはない。なのに、この世は悪戯に俺達を生かそうとする」
「…………」
苫珠は俯いていた。
何も言わず、蘇殃の言葉に耳を傾けるように。
「これでは拷問だ。そう思うだろ?」
「…………」
「ただの人間もそうだ。神仙なんかに振り回され、最後に死んで行くのは人間だ」
「…………」
「まぁ、この話はいい。だが、苫珠……」
蘇殃は苫珠に少し悲しそうな表情をした。
「お前は、たった一人の樺殷さえも引き離された」
その言葉に苫珠の肩が跳ねた。
「つまらない官吏なんぞになる為に、単なる別離ではなく永遠の別れとして。
ほんの小さな里での、ほんの小さな結びつきまでも、あいつらは奪っていく」
――樺殷……本当に官吏になるの?――
――そうさ!僕が偉い人になって、苫珠はその僕の奥さんになるんだ!――
――私は……なりたくない……――
――ん?何か言った?――
――……何でもない――
威勢のよかった苫珠の顔が曇り、力なく俯いた。
「……何が官吏だ。何が神仙だ。何が王だ。こんなに人間を縛って楽しいのか。
こんなに人間を離して……何が楽しい」
「……蘇殃」
蘇殃は拳を強く握りしめる。
「もう、疲れた。神仙とかいう見えないものに縛られている事も」
「……生きている事も」
答えたのは、顔を伏せたままの苫珠だった。
蘇殃は笑って手を伸ばす。
初めて目にする優しい表情で苫珠を見据えていた。
「苫珠……今度は俺と、一緒に行かないか?……全てから解き放たれたくはないか?」
「駄目!!!」
大声を張り上げたのは、ずっと黙って聞いていた鳳綺だった。
「そんな事……考えては駄目!延王はそんな事望んでない!
少なくとも、延王は……民に絶望なんか持たせたくないって思ってる!あの人は……っ……!」
ぽろぽろと鳳綺の瞳から涙が零れていく。
「鳳綺……」
「生きる意味ってのは、自分で切り開いて見つけていくものじゃないの!?
それが限られた命であっても、永遠の命だとしても!」
「…………」
「二人に起こった事は私にはわからない……けど、全てを否定しないで!あの人が…っ、悲しむ……から」
何故こんなに泣いているのか自分でもわからない。
だけど二人は怒らく生きる事に絶望していて、それが辛かった。
神仙を否定する言葉に、あの人の顔が一瞬浮かんだのだ。
これを聞いたら、きっと彼は悲しむだろうなと思ったら居ても立ってもいられなかった。
泣き崩れる鳳綺に苫珠はそっと近付く。
呆れたように鳳綺を眺めて、そして苦笑すると蘇殃を振り返る。
「……蘇殃。私はね、今は生きてる意味がわからない。
だから樺殷から離れて、それを探していこうって決めたのよ」
「…………」
「今はまだわからない。だけど死にたくはない、それは確かよ」
「……そうか」
蘇殃は静かに返事をすると、何を思ったのか窓を開けた。
冷たい風が部屋に侵入してきて蘇殃の無造作な髪がなびいた。
「俺も、まだ死にたくはない。あいつらが残ってるしな」
「蘇殃……」
「じゃあ……さっきのは?」
ようやく落ち着いた鳳綺が涙を拭いながら尋ねると。
「本気で一緒に行くと言われたら、わからなかったがな」
蘇殃はそう言って苦笑した。
「ほら、窓から逃げていくんだな。その為にその女も呼んだんだから」
静かな目がじっと鳳綺を見据える。
「……『鳳綺』、だったな。覚えておこう」
「…………」
鳳綺は何と答えたらいいのかわからなかった。
蘇殃の意志を汲み、窓辺に足を進めて騎獣の名を呼ぶと、別の場所にいた琉綏が鳳綺の前に降り立つ。
琉綏に乗せる為苫珠に手を差し伸べるが、彼女は動きを止めた。
「蘇殃……どうして私を呼んだの?」
「……探してたからな、ずっと……」
苫珠は振り返る。
鳳綺には見えなかったが、その瞳は蘇殃を鼓舞するような強い色をしていた。
「生きなさいよ」
「ああ……またお前に会うまではな」
蘇殃は若い顔には似合わない皺を寄せて笑みを見せる。
さっきとは違って嬉しそうな顔をしている、そんな事を鳳綺は思った。
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長くてほんとすみません。