長い春の休みはまだ続く。
二ヵ月というのは予想以上に辛い休暇だなぁ、と鳳綺は思った。
だから今日も気ままに外に出てみる事にした。
何か楽しい事があるかもしれない。
また利広のような人に出会う事だってあるかもしれない。
こんな前向きな気持ちになるなんて、少し前までの自分からは信じられない程の進歩だった。
嬉しいのか悲しいのかわからない変化に鳳綺はくすりと苦笑して、厩に足を運んだ。
13章―1
今回は元州の辺境にある集落にやって来た。
あの七十年ほど前に乱があった州だ。
尚隆は元州を避けているようだったので、遠出で一度も来る事はなかった。
乱については知識として学んだものの、やはり全貌とか背景までは知り得ない。
なので自分の足で歩いてみて、何か感じるものがあるかもしれないと思い、鳳綺は此処を選んだ。
集落はあまり人の往来はなく、全体的に活気がないように感じる。
山奥の静かな街というのはよくあるが、人々はもっとおおらかで、来客にも優しい雰囲気があったりする。
だけどここは、そういうものとは少し違う。
確かに主要な街道とは外れてるので観光客なども来ないのかもしれないが、
今までに行った中でここまで暗いと感じる街はなかった。
鳳綺はとある食庁で足を休めた。
二階からは宿になっているようで、こじんまりとした作りの一階では昼間から酒を浴びている男達もいる。
上品とは言い難い風体の者ばかりで、鳳綺が中に入ると不躾な視線がねっとりと絡みついてくる。
雁にもまだこんな場所があったんだと、慣れてはいるがそれでも不快な空気に溜息をつく。
あまり気は進まないが、とりあえず手前の席に落ち着いた。
できれば早く出たいと、鳳綺は注文した食事をいそいそと口にしていたのだが。
「いいじゃねえかよ姉ちゃん!」
突如店内で男の声が響いた。
何事かと振り向くと、椅子に乱暴に座った三人の男達が宿の店員に手を掛けようとしていた所だった。
「……やめてくれませんか?」
女は抵抗もせず静かに佇んでいた。
たちの悪い客だ、以前男達に絡まれた時の事を思い出して鳳綺は顔をしかめた。
「あんた此処の住み込みだろぉ?」
「いいのかよ、んな顔して。追い出されちゃうぞ?なぁ?」
「…………」
女はただじっと耐えていた。
見慣れた光景と少し違っていたのは、怯えた素振りを一切見せていないという事。
それだけでなく、随分肝が据わっているのか、男を見下すように冷たい目線を向けている。
だが不思議な事に、こんなにあからさまに騒ぎが起きているのに誰も助けようとしない。
店の主人までも見ているだけで何もしようとしなかった。
これが日常茶飯事の事なのか、あの男達が止めろとも言えない身分の者か。
「ただ酒に付き合えって言ってるだけだろ」
「突っ立ってないで早く座りなって!」
男の手が女の腰に伸ばされた。
(もう我慢できない!)
鳳綺がすっと立ち上がって、駆け寄ろうとした次の瞬間。
スパアァン!!
「え……?」
鳳綺の手が届くより先に、店内にけたたましい音が鳴り響いた。
女が男の顔を、持っていた盆で勢いよく殴っていたのだ。
その豪快のよさ。
容赦のない盆さばきに鳳綺までも唖然としてしまった。
「て、てめぇ……!!!」
男が逆上して胸ぐらを掴むが、女は何も言わず冷ややかな目で男を睨み続けていた。
「そこまでです。手を放しなさい!」
鳳綺は男女の間に割り込み男に細剣を押しつけた。
「何だ女の分際で!俺達が折角……っ!」
「やめろ」
今度はすぐ後ろから低い声がかかり、それが剣の先にいた男を黙らせた。
三人の奥でずっと黙り込んで座っていた男が初めて口を開いた。
おそらくこの一団の頭領みたいな人物かも知れないと、鳳綺は何となく感じた。
「だけど!」
「聞こえなかったか?」
「う……!くそっ!」
頭領らしき男が気怠げに席を立つと、不満そうにしながらも他の男達も一緒に店を出て行った。
去り際に此方を振り返った頭領の目は、予想外にも静かな色をしていた。
あの男は何者なのだろうか、鳳綺は剣を鞘に納めながら首を傾げた。
緊張が去り、軽く息を吐いて後ろにいる女を向き直る。
「大丈夫ですか?もう―――」
「なんて事してくれたんだ、苫珠(せんじゅ)!」
鳳綺の言葉を遮って、奥から罵声が近づいてきた。
さっきまで物陰から覗いていただけの主人だ。
「あいつらが何者か知ってるだろ!これでこの宿もおしまいじゃないか!!」
主人が突っかかってくるが女は一向に動じず、冷たい視線だけを送っていた。
鳳綺はそのやりとりを聞いて居ても立っても居られなくなり、助けに入ろうとした。
「あの、お言葉ですが―――」
「わかったよ!」
また鳳綺の言葉は遮られてしまった。
女は一言叫ぶと階段を駆け上がっていった。
しばらく経つと片手で持てるくらいの小さな荷袋だけを抱えて戻ってきた。
「こんな所こっちから出てってやるわよ!!」
次の瞬間には入口の扉がものすごい音を上げていた。
鳳綺は事の顛末がまだ飲み込めないで茫然と立っていた。
(えっと、どういう事……?)
状況から察するに、あの女のひとは此処の住み込みで、
今の騒ぎで出て行かなくてはならなくなった、という事だろうか。
ようやく結論に至って主人を振り返ってみると、主人は肩を怒らせながら奥に引っ込んでいく所だった。
鳳綺はどうしようか悩み、大股で出て行った女性が気になって咄嗟に追いかけた。
錆びれた村を突き進む足音、その後ろを小走りで付いてくる控えめな足音。
話しかけるなと言わんばかりの背中に、どう声をかけていいのかわからず、後ろを一定の距離で歩く鳳綺。
ざくざくと土を踏む音だけが鳴って、しばらく経つと。
「いい加減いつまで付いてくる気よ!」
「あ、いえ……その……」
流石に気付いていたようで、話しかけてこない鳳綺に腹を立てた様子の女性。
完全に部外者の自分が首を突っ込んでも迷惑だろうなとは思ったが、どうも放っておけなかったのだ。
「あの……さっきの宿、住み込みだったんでしょ?……これからどうするんですか?」
やっと何か言えたと思ったのに、次の女の一言で消し去られた。
「あんたには関係のない事よ!」
「……ですよね」
やっぱり邪魔だったか。
すいません、と鳳綺は彼女の強さに思わず謝罪の言葉を口にした。
そう言われた時点で引き返せばよかったのだが、鳳綺はどうもそれができなかった。
恐らくは敵に回してはいけない男達をあしらったせいで彼女は追い出されてしまったらしいのだが。
その程度の事で家なしになるなんてあんまりじゃないかとも思うし、先程の男達の事も気になっていた。
もし、悪い集団であるなら鳳綺はそのままにしておけない。
そんな事を考えながら女性の後をずっと歩いていたものだから、ついに少し前を歩く背中がぴたりと止まる。
此方を振り返ると、眉間に皺を寄せた顔で走り寄ってきた。
「あ~もう、わかったわよ!さっきのお礼よ!あそこでいいわよね!」
指を差したのは近くの食庁だった。
どうやらあの店に入ると言っている。
(な、なんて気が強い人なんだろう……)
鳳綺の返事も聞かず食庁へ足を速める彼女を呆然と見つめた。
彼女は苫珠といった。
濃い赤橙色の髪と瞳で、長い髪は後ろに流し、前髪は纏めて上に留めている。
年齢は鳳綺と同じくらいか、年上かもしれない。
終始眉間に皺を寄せていて、話し掛けようにも威圧に近い空気が溢れて鳳綺は困り果てていた。
礼だとは言われたが、名前を名乗りあっただけで後はまともな会話がない。
ただ沈黙するばかりに鳳綺は心なしか体を小さくさせた。
「…………」
(何でそんなにいつも怒ってるんだろう……)
苫珠をこっそり覗き見しながら、鳳綺は不思議に思う。
「とりあえずさっき助けてくれたお礼は言っとくわ」
「え!?あ、はい……」
突然に口を開いた苫珠に、鳳綺は身を正す。
どうも感謝されてる気がしないような。
「それにしてもあなた剣を持つと性格変わるわね。今なんかただの大人しいお嬢様にしか見えないし」
「……すみません」
「何で謝るのよ」
「いえ……その……」
彼女の強さに気圧されそうになるが、鳳綺は意を決して話しかける。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「何よ」
「あの男達はいったい何者なんですか?誰も止めようとはしなかったみたいだけど……」
苫珠はそれを聞くと軽く溜息をついた。
「そうね……あなた此処の人じゃなさそうだし、知らないのも無理ないだろうけど」
「はぁ……」
「あの後ろに座ってた、偉そうな男いたでしょ?あの男が―――――」
話の途中で、バンと入り口の扉が勢いよく開け放たれる。
「見つけたぞ!あの女だ!!」
さっき宿で絡んできた男達が此方に駆け込んできた。
そこには頭領らしき人物はいなかったが、男達は苫珠の前で胸を張るように叫びだした。
「先程暴力を働いたお前!付いてきてもらおう!」
これには鳳綺も黙ってはいられない。
「ちょっと!先に手を出してきたのはそちらじゃないんですか!?」
「お前には用はない!さあ行くぞ!!」
苫珠の腕を男達ががっしりと掴んだ。
「苫珠!……こんなのおかしいじゃないですか!苫珠は――――」
「鳳綺!」
鳳綺の言葉がまたもや遮られた。
初めて名を呼ばれたのでつい黙ってしまった。
「……ごめん。関係ない事に首を突っ込ませたみたいね。大丈夫だから気にせず旅でも続けて」
その時の苫珠の笑った顔が鳳綺の目に焼き付いて離れなかった。
やはり何かがおかしい。
苫珠が連れていかれる騒動があったというのに、店の中を振り返っても皆そそくさと鳳綺から目を反らす。
見て見ぬ振り、それが嫌でもわかって鳳綺だけが取り残された感覚になる。
苫珠の言おうとしていた事が気になって、苫珠の住み込んでいた宿に戻ってみる事にした。
街の雰囲気とあの男達、そして住民の反応で何となく事情がわかるが、確証が欲しかったのだ。
「あの、すみませんが」
先程苫珠を追い出した主人が此方を見つけるやいなや露骨に嫌な顔をするので、すこし強めの姿勢で突っかかる。
「……何だね。私は忙しいのだが」
「苫珠が先程の男達に連れ去られました」
だが主人は顔色も変えない。
「私の知った事じゃないよ。悪いのは苫珠じゃないか」
「苫珠が悪いと言うのですか!?悪いのはどう見てもあの男達でしょう!」
「店先で大きな声を出すのはやめてくれんかね!」
声を張り上げて言ってやると主人は慌てた。
「では、あの一番偉そうな男が何者か知っていますね?」
「……あんたはよそ者だ。知らない方がいい」
騒ぎをなかった事にするような態度に、鳳綺もいい加減に苛々を隠せない。
「御託はいいですから早くお願いします」
「……私は知らんぞ……あいつらは、この辺を警備にあたる軍の末端だ」
主人はさらに声をひそめた。
「そしてあそこにいた一団の頭が、元州師左軍卒長、蘇殃(すおう)という男だ」
(やっぱり軍人か……)
予想していた役職に鳳綺は天を仰ぐ。
誰も何も言えない身分の者、しかも卒長。
卒長といえば、両司馬の上、人数で言えば約百人を纏める役柄になる。
軍の中ではそこそこの地位でも、このぐらいの街にとっては驚異のもの。
そんな奴らが警備と称してやりたい放題に暴れ回り、少しでも逆らった者は捕まえる。
だから男に手を上げた苫珠が連れて行かれ、他の者は何も言えず怯えて見て見ぬ振り、とそんな所だろう。
苫珠はそれを知っていた上で反抗した。
そして連れて行かれた。
この事実を知って、放っておくなんて事は鳳綺には出来ない。
この街の気質を変える事までは出来なくても、せめて苫珠だけは助け出したい。
(尚隆はいないけど……やれるだけの事はやりたい)
「あんた……まさかあいつらに楯突こうってんじゃ……!」
「大丈夫ですよ、私一人で決めた事ですから」
「やめときな!小娘一人に何ができる!」
「何ができるかは私が考える事です」
「私は知らないよ!」
「結構です。それはそうと、苫珠が何処に連れて行かれたか見当つきませんか?」
「さあな。普通ならば蔽獄(さいばんしょ)がある県府かもしれんが、今まで連れて行かれた者はいなかったからわからん」
「え、そうなんですか?」
鳳綺は意外な事実にきょとんとした。
「じゃあ何故苫珠だけが……」
「知らないね。もう用がないなら仕事に戻るぞ」
「あ、あの……!」
とりつく島もなく扉が目の前で閉められた。
――きっとここは暗い闇だ。
そう信じて疑わなかったのに、ふいに光を感じた。
「ん……」
苫珠が目を覚ますと、そこはどこかの部屋だった。
連れて行かれた時点で牢に閉じ込められると思っていたのに、予想外だ。
机に窓に、適度な明かりもあって。
いつの間にか眠らされていた苫珠は、ご丁寧に寝台に寝ていた。
此処は一体どこなのだろうかと、視線を巡らせていると唯一の扉が開かれる。
「……起きていたか」
苫珠は咄嗟に身構えたが、入ってきたのは男一人だけ。
がっちりとした体は筋肉がある事を表し、漆黒の髪の一部を前髪に残し、後は結い上げもせず無造作に掻き上げただけの姿だった。
まだ若い顔であるのに、憔悴しきったかのような皺がいくつも見られた。
常に気怠そうな表情には静かすぎる瞳が宿っていた。
黄備左軍卒長、蘇殃。
街では有名すぎるほどの人だ。
「眠らされている間にまた随分と豪華な場所に連れて来られたもんだわ。てっきり牢にでも入れられるんだと思ってたけど」
苫珠はやはり気が強いと思う。
こんな場面でも冷たい目で相手を睨み続けていた。
「で、蘇殃様?何とか言ったらどうなのよ」
「俺を知っていたのか」
「当たり前でしょ!皆怯えながら暮らして、おかげで私も宿を追い出されたんだから!」
「……そうか」
蘇殃は一瞬視線を落とし、何かを考えるように近くの椅子に座った。
「……では此処にいるといい」
「は?」
「此処に軟禁すると言っている」
「何言ってんのよ!ただ男ひっぱたいただけでこんな所に閉じこめられるわけ!?
さっさと役所に突き出すなら突き出して、私の首を刎ねたらどうなの!」
蘇殃は溜息を付いた。
「……そこまで言うなら突き出してやってもいいが。お前が初めての罪人になるぞ」
「白々しい言い方を!そうやって何人いたぶり殺してきたの!」
「…………」
蘇殃は感情の読めない顔で苫珠を微かに睨んだ。
少しだけ言葉に詰まったが、その目からは不思議と恐怖は感じられなかった。
髪を掻き上げながら蘇殃が立ち上がる。
「せいぜい大人しくしてる事だ」
「ちょっと!ここが何処なのかぐらい教えなさいよ」
男は鼻で笑うだけで何も答えようとしない。
「ではまたな、苫珠」
「…………」
去り際の背中にもう一言浴びせてやろうと思っていた言葉が止まった。
いつの間に自分の名前を知られているのだろう。
疑問に思ったが、わざわざ苫珠を捕まえにくるくらいだ、
名前ぐらい調べているのだろうと、そうあまり気にしなかった。
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続きます。