春の長い休み。
嬉しい長期休暇なはずなのに、鳳綺は途方に暮れていた。
普段はどんなに辛くてもやらなくてはいけない事が山程あったから、余計な考えはあまり浮かんでこなかった。
しかし今回は長すぎる時間を持て余して、自然と気持ちが沈んでいく。
かと言って関弓を離れる気にはならなかった。
また会おう、その言葉に恐らく鳳綺は縛り付けられているのだろう。
諦めないといけない。
彼は王だ、いくら彼が自分を求めても、自分のような人間が座ってはいけない椅子。
だから…と、もう自分に何度言い聞かせたかわからなくなった。
――「俺の妻になってほしい」――
彼のいる凌雲山の麓から、足が動いてくれない。
だけど今日はいつもとは違い、流石に何かしなければと思ったのだ。
「あーもう!いつまでもうじうじしてたった駄目だ!
一年来なかったんだから、次いつ来るかなんてわかる訳がない」
鳳綺は大きな独り言で自身を鼓舞すると、
すっと立ち上がり確かな足取りで部屋からの第一歩を踏み出した。
12章―休戚―
琉綏に乗り散歩に出かけた鳳綺は、芳陵にやって来ていた。
初めて尚隆と来た街であるし、色々と気に入っている街だ。
二年ぶりの芳陵は、以前に比べるとまた少し活気が増えてきたようだった。
これも延王の施政のおかげかもしれないと思った。
(尚隆…)
心でまた名前を呼んでしまい、鳳綺は我に返る。
また暗くなってしまう所だったと、必死に頭を横に振った。
鳳綺は表通りだけをふらふらと歩き回った。
何か買う訳でもなく、店に入りお茶を飲んで街を眺めていただけだが、ある程度は穏やかな気分になれたと思う。
気晴らしに芳陵にまで来てよかったかもしれない。
気持ちが落ち着くと、早めの帰り仕度をして琉綏のいる厩に戻る。
そこで鳳綺は驚きのあまり荷物を落としそうになった。
奥にある厩に、黒い縞が入った白毛の虎がいたからだ。
「たま!?」
あんな珍しい騎獣を所有している人物を鳳綺は一人しか知らなかった。
尚隆なのだろうかと、期待とも動揺ともとれる気持ちで慌てて駆け寄った。
「……違う……?」
『たま』でも『とら』でもない。
どことなく顔付きが違うのだ。
まさかと思った分、少しだけ気落ちしていると。
「――そいつは星彩って言うんだよ」
声がして、振り返るとそこには一人の男がいた。
歳は二十代半ばくらいだろうか。
黒く柔らかそうな髪は軽く肩のあたりで纏められている。
にこにこ笑顔を絶やさないその顔は、いかにも優男という印象がぴったり当てはまる。
「すみません……知り合いの騎獣と思ったので」
「『たま』と言ったね」
「あ、はい……」
「そういえば私も『たま』という名のすう虞を持ってる人を知っているよ」
緩やかに微笑まれて、弾かれるように鳳綺は男を覗き込んだ。
「尚隆の事……!あっ……」
『尚隆』は言ってはいけなかったんだ。
はっとして口を噤むと、男は目の前の女の慌てようにくすくすと笑った。
「君は風漢を知っているんだね」
「、え……?」
「風漢の本名を知っている人は数少ないと思うよ」
「……貴方は、どうして尚隆を知っているんですか?」
「まあいろいろあってね」
肩をすくめる動作も上品だった。
この人もただ者ではなさそうだと思ったが、それを聞く事は出来なかった。
「あぁ、君は……」
「鳳綺です」
「では鳳綺。君はこれから何処に行くんだい?」
「?……関弓に戻ります」
「ちょうどよかった。私も関弓に行こうと思ってたんだ。悪いけど、連れて行ってくれるかな?」
突然の頼み事に近い誘いに、鳳綺は怪訝な顔ですう虞を見遣る。
「……すう虞なら一気に行けると思うんですけど。場所がわからない、とかですか?」
「いや、一人旅では味気ないだろう?」
「…………」
一歩間違えれば怪しいとも思える言動に鳳綺は固まる。
じっと男の真意を探っている間も、彼は優雅に微笑んでいる。
上から下まで舐めるように見た後、鳳綺は諦めて軽く笑った。
「……わかりました」
突然の誘いだったが、何となく悪い人には見えなかった。
尚隆を知っている人に会えたのだ、何だかここで別れてしまうのはもったいない気もした。
「あぁ、名乗るのが遅くなったね。私は利広という、君とは何か縁があったようだね」
誰もが見惚れるような、完璧な微笑だった。
鳳綺の警戒を気にする様子もなく、利広は慣れた動作で星彩の背に乗った。
鳳綺も仕方なく琉綏に跨り、飛び立った利広の隣に並ぶ。
「風漢とは知り合いなんですか?」
「私はこの通り放浪癖があってね。時折風漢にばったり会う、その程度の関係さ」
「そうなんですか……」
ばったり会って話すだけの関係にしては、尚隆の事をよく知っているなと思った。
「私は君が風漢を知っている事の方が興味あるよ」
利広は相変わらずにこにこしている。
「……私は、ただ助けられただけですから」
鳳綺は肩をすくめて苦笑してみせる。
利広が興味を示したような特別な関係ではないし、
尚隆の身の上の事なんて偶然知ってしまっただけで、教えてもらった訳ではない。
「そう。でも風漢は余程の事がない限り本名を明かさない。君は何か特別な存在なんだね」
「……そうでしょうか」
特別な存在、その言葉に嬉しく思う自分もいる。
だけど鳳綺は怖さも感じていた。
彼が特別なだけで、自分まで特別になる理由などないのだ。
ただの人間が人々の上に立っていいはずがない。
(断ってしまったから、もうこんな心配をしなくていいのかもしれないけど)
あの日から、鳳綺と尚隆の関係はあやふやなままだ。
「……利広さん」
「何だい?」
「私……ある人の気持ちに応えられないでいるんです。そこは、私が入っていい場所じゃないから……」
ここまで言って鳳綺ははっと我に返った。
初対面の人に何て事を相談しようとしているのか。
しかもこんな抽象的な質問では、意味がわからないだろう。
「あ、いいえ!何でもないです!気にしないで下さい!」
忘れて下さいと、慌てて首を振る鳳綺に、利広は嫌な顔ひとつせず綺麗な微笑を浮かべる。
「言っただろう?君が私と会った、その事実が大事なんだよ」
「……どういう事でしょうか……よく、わかりません……」
「君の質問には必然的に答えなくてはいけないって事」
鳳綺はまだ首を傾げていたが、利広は構わず視線を正面に向けた。
「……その『場所』が怖いかい?」
利広の顔が笑みを潜め、ふと真顔になった。
真剣に答えようとしてくれてる事を感じて、鳳綺は静かに頷く。
「怖いです。ただ漠然と……」
「なら大丈夫だよ。その場所の『意味』がわかるなら、君は間違う事はない」
「……?」
利広の言葉の方がよっぽど抽象的で、鳳綺は真意を測りかねていた。
「はは、そのうちわかるよ。つまりね、責任が解っているなら君の素直な気持ちの通りにすればいい。
それで間違う君じゃないから、その『ある人』は君を選んだんだと思うよ」
「……解るような解らないような……」
「いずれ解るよ」
全て理解できた訳ではないが、少しだけ気持ちがすっきりしたようだった。
不思議な余裕が感じられる利広は、一体何者なのだろうか。
怪しささえ感じるのに、彼の放つ言葉にはとても説得力がある。
それはまるで、尚隆のようだった。
関弓に到着すると鳳綺と別れを告げ、利広は真っ直ぐ上等な宿へ向かった。
偶然な事に近くの厩にも白い虎、すう虞がいた。
「おやおや……」
利広は許しをもらいこの店の一番の客であろう人の部屋に来た。
その豪華な装飾がなされた扉をゆっくりと開け放し、笑顔で足を進めた。
「やぁ、久しぶりだね」
中には気怠げに酒に浸る尚隆と、それを取り巻く女郎達がいた。
尚隆は入ってきた男を確認すると露骨に嫌そうな顔をしたが、すっと女郎を下がらせた。
「……何しに来た」
「こんな所にいるとは思わなかったよ。ちょっと面白い噂を聞いてね」
「何の噂だ」
利広は酒を持ち尚隆の対面する席に座り込む。
どっこいしょ、とゆっくり間を伸ばし、更にまたのんびりと酒に口を付ける。
「―――延王がこの一年間籠りきりで執務をしている、と」
尚隆が眉をピクリと動かしたのを利広は見逃さなかった。
「……いい王ではないか。それが普通だ」
「他国の王ならね。延王だと聞いたからまさか国が傾く前兆かな、と」
「ふっ……」
「そんな事ないよね。あはは」
「ふはは……!」
利広が煽るように笑うと尚隆も負けじと笑い出す。
笑っていない目でお互いを見据えながら、競うように笑い続ける二人。
ひとしきり部屋中に響き渡ると、今度は空しい沈黙が訪れた。
そんな事をわざわざ言いに来たのか、という目を利広に向けながら尚隆はむっつりと酒を呷った。
「あぁ、ついさっきまで一緒にいた子もね、風漢の事知ってたよ」
「…………」
「あれは……銀色と言うのかな。綺麗な瞳をした娘さんだったよ」
それを聞くと尚隆は突如酒を叩くように置き、窓の方角を見ながら立ち上がろうとする。
だがその一挙一動を利広に見られている事に気付き、尚隆は我に返る。
無我夢中で動いてしまったので、さすがにばつが悪い。
平静を装いながら、笑顔のままの利広に作り笑いを浮かべる。
「いや……そんな女なら是非あやかりたいものだな」
そう言い、乱暴に置いてしまった酒を飲み干すが、漆黒の瞳が動揺を隠そうとしているのがわかる。
利広はこの顛末をずっとにこにこして見つめていた。
「なるほど……そういう事ね」
面白い事になっているなと、利広は内心で頷いた。
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特別出演、利広さんです。
扱いやすくて好きです、意味不明な言葉がツラツラ使えますから(笑)
次回からしばらくオリジナル話です。