両軍共に陣を布き、数日続いた膠着状態だったが、それを崩したのは羽柴軍だった。
ついに小牧長久手での戦いが始まる。
「たあけに、動くなと言うても無駄じゃった!」
予想通りに池田恒興と森長可の別働隊が岩崎城に急襲に向かった。
徳川軍に気取られる可能性もあるという事で、秀吉は堀秀政に援護を要請する。
しかし救援も虚しく、池田恒興と森長可が討ち取られたとの知らせが本陣に飛び込んできた。
「たあけが!だがこれで戦が動いた!今こそ動くとき、正面から小牧城を攻めるんじゃ!」
総大将の合図で全軍が攻撃に入る。
「綾葉」
「はい」
本隊とは別に、綾葉達の任は別働隊の撤退を援護する事。
三成の短い号令を確かに聞き入れ、綾葉は槍を掲げた。
「出陣!私に続け!」
青鹿毛の馬を操り、綾葉達は森の中を駆け抜けた。
23・死に場所、唯一の安息
血生臭い、そう感じられるうちは大丈夫だと思った。
幾重も武器を突き立て目の前で倒れていく人間。
断末魔だって聞こえる、激しい憎しみの目でこちらを睨んで絶命する者だっている。
両手に伝わる、肉を断つ感触。気持ち悪いとしか言いようがない。
雨のように降りかかる赤い涙は、恐らくこの行為を咎めている。
「ぐあああっ!!!」
人を斬れば斬るほど、自分の中の何かが朽ちていく。
意識が麻痺して、そして再び武器を握る。
振り返ってなんかいられない。
後ろを向いてしまえば負の感情に囚われてしまいそうになる。
いつだって同じ言葉を言い聞かせる私は、強くなんかない。
主の為、義の為、戦のない世の為。
――「幸せになりなさい、藤姫」――
大義名分の元、人殺しを続ける私にはきっとそんな資格なんてない。
最後に私を迎え入れるのは、数々の者が果てていった戦中でしかないだろう。
いつか名も知らない誰かが、私の罪を裁くのだろう。
だけどその先に、太平の世が訪れるのなら本望だ。
怖くない、世を変える為に生きてきた。
ようやく見つけた人、不器用な主の為ならばこの命などいつでも投げ捨てられる。
――様………私はもう十分、生きてきました……だから、もういいですか……?
「綾葉様」
「どうしたの?」
奏が深刻な顔で馬上を仰いだ。
あまり大声では言えない事だと察すると身をかがめた。
「忍が動く気配がいたします」
「え……?」
軽くあたりを見渡してみたがそれらしいものは見当たらない。
だけど奏は女忍部隊をまとまる者、忍の彼女が言うのだから疑う道理はない。
綾葉は一つ頷くと副隊長の陣営に走った。
「在時殿、私は忍部隊と共に別行動をとります。ここは任せます」
「隊長!?……いえ、わかりました。暴れてやりますよ!」
愛馬を預けて女忍達だけでの行動を開始する頃、副隊長の奮起の声が聞こえた。
「お前ら!ここから一歩たりとも通すんじゃねぇぞ!」
「「「「オオオオオ!!!!」」」」
遠ざかる戦の音、散らす者と散っていく者達の死闘が唸りとなって重く耳に響く。
どうか仲間達が消えていきませんようにと願いながら、
綾葉は獣道でもない、草木が邪魔ばかりする森の中を走り続けた。
「大丈夫ですか、綾葉様?」
「ええ、気にしないで」
足腰には自信があったけど、こういう足場はやはり忍達の方が慣れているようだ。
彼女達のように俊敏に動けはしなかった。
本当は忍達に任せて自分は来なくてもよかった。
だけど奏が示した場所に嫌な予感がして、一緒に走らざるを得なかった。
この方角には、本陣があるから。
本陣の正面を守るのは、自分の主だ。
「全員、周囲から展開っ!」
奏を除く女達が身軽な動きで離散していく。
森を掻き分けながら言葉を紡ぐのは、体力的にも少し困難だった。
「奏殿、忍は何人いると思う?」
「恐らくは腕の立つ大物が一人、そしてそれに付き従うのが数人だと思われます」
「……じゃあ、大物を抑えないといけないんだね…っ」
雑木林が少しずつ晴れ、兵達の気配が増えていく。
まだこの辺りには敵は攻めてきておらず、話声もちらほらと聞こえる。
こんな時に将軍格が奇襲に遭えば、戦況は一気に混乱するだろう。
それだけは何としても阻止しなくてはいけなかった。
山中を走り続けた為に顔には小さな傷が複数できていたが、そんな事には構っていられない。
草木に隠れ、見慣れた陣営を見渡すといつもの装束をまとった主が兵達に指示を飛ばしているのが窺えた。
隣の左近も真剣な面持ちだったが、忍には気がついていないようだった。
「奏殿はあちらから回って」
「はい」
物音を立てずに木々の中に消える奏を見送る。
まだ整え切れていない息を必死で抑え、暗い影を探し続けた。
総大将へ近づくにはこの陣営を越えていかなければならないから、忍は必ずここへ来るはず。
しかし自分は忍としての訓練は受けていないから、
気配も忍達のように敏感に察知できないし、暗闇でも目が見えるという訳ではない。
それでも綾葉は探した、探し出さなくてはいけなかった。
――そうして、一瞬だけ森の中で光るものを見つけた。
「!?」
……あれは、刃物の反射だ。
光が狙うであろう線上には……三成様がいた。
「っ!!」
「、綾葉様!!」
体が勝手に動いていた。
遠くで奏が焦ったように自分を呼ぶ声が聞こえたけど、耳鳴りのように頭の中に響いただけ。
刻が……遅く感じた。
森の中から黒装束の男が飛び出してきたのは同時だった。
両手に小刀を何本も持ち、確実に獲物を捕らえるような無駄のない動き。
だけど、やらせない。
三成様だけは死なせない。
「――三成様!!!!」
「っっ!!!」
ああ、いつもどんな状況でも冷静でいる人が驚いた顔をしている。
援軍に向かったはずの私がいて状況が理解できないのでしょうね。
そしてその私が、必死な形相で貴方に向かって飛び込んでいるのだから。
ほら、左近殿だって笑う事すら忘れてる。
三成様は私が守る、この命に代えても。
こんな私を欲してくれたから。
あの静かな目で、微かな幸せをくれた。
三成様が私の最後の希望だから。
彼なら義の世を作れると自信を持って言える。
この悦びを、どうしたら貴方に伝えられるのだろうか。
私は、誰かの為に死にたかった。
死ねと言われれば、いくらでも笑いながら腹が切れる。
だけど……本当に忠誠を誓った人は、決してそんな事は言ってくれなくて。
私は……大事な人を守って死ぬ、その為に生きてきた。
だから、ここが私の死に場所。
ずっと探していた……私の終着点―――
―――赤い、世界が赤い。
私を迎え入れる、鮮やかなそれ。
他に何も見る事かなわぬ深紅の闇。
血色の世界、この先に望んだものがある。
血が、流れ出てしまうならそれでいい。
生臭いと思っていた体液、今は何も感じない。
痛みだって、もう既に………
「……ぇ?」
痛みがない。
そればかりでなく、これは血ですらない。
これは、何?
この、視界を覆う、赤いものは。
「ぐっ……!」
目の前に広がる、赤い装束は……!!
「、殿!!!」
左近が初めて焦りを滲ませた声で叫んでいた。
「逃がすな!!追え!!」
「綾葉様……っ!!」
バタバタと走っていく兵達の音。
駆け寄ってくる配下達の音。
聞き慣れた、奏の声。
全てが、頭に木霊して煩い。
座り込んだ先に、ぐったりして起き上がらない鷲色の髪。
赤い衣装に、突き刺さった小刀から滲み出る赤黒い血液。
目を開けない、私の主、最後の主。
「……三、成…さま…………?」
何かが、頭の中で切れた。
Back Top Next
死のうと思ったのに、死なせてくれなかった。
庇ったのは、三成。
追っていた忍は服部半蔵。