拍子抜けしたような三成様は言葉を濁しながらも承諾してくれて、
わざわざ仕事を途中で切り上げて遠乗りに出かけた。
仕事があるから後日でもいいと言ったのにその意見は却下された。
互いに乗り慣れている馬を走らせて城下を抜ける。
特に行き先も決めてなかったのでその旨を尋ねると「好きにしろ」と言われたから、
愛馬の気の向くまま走らせていると後から三成様が付いてきた。
馬で駆けるのは好きだ。
体温を持つ動物と一緒に走るという不思議な一体感の他に、腹に響く周期的な蹄の振動。
そして顔や体を覆い尽くす優しい風と、あっという間に流れていく緑の風景。
もっとも戦でも馬を使ってはいるけど、そんなものとは気持ちが全く違う。
目を閉じれば独特な世界に引き込まれ、輝く太陽の下で自分が溶けてしまいそうな感覚にいつも襲われる。
過去も、戦も、血も、何もかも忘れてただ大地に降り注ぐ水のように。
光と緑の祝福を受け、幸せに綻ぶ花のように。
このまま手綱を放して手を天にかざして、消えてしまえればいい――
そんな風に考えてしまうほどに馬の背と近江の風は心地よかった。
「ぁ………三成様……」
ハッと我に返った綾葉が馬の速度を落とすと、小さな姿であった主の馬が次第に近づいてくる。
いつもとは違う前後の位置に、これではどちらが主なのかわからないと綾葉は恐縮して三成を待った。
しかし止められたのが不満とでも言いたげに頭を振り回す黒褐色の馬を見て、
「まだそいつは気が済んでいないだろう」と、三成は走るのを促した。
主の言葉がどこかくすぐったい……綾葉は風の中でそう感じた。
主の後ろを追う事に慣れすぎている綾葉には違和感のある状況だった。
主の意思には絶対で、何があろうとも、自分の意思がどうであろうとも主に従う、それが当たり前だった。
城内でも戦中でも、どちらかと言えば主の背中を見る生活の方が多い者にとって、
振り返って主が来るのを待つという行動がどうも慣れない(守る時は確かに主の前に立ちはするけど)。
振り返れば見えるのは、馬に合わせて上下になびくさらさらな鷲色の髪。
風により晒される端整な顔、そして相変わらずの静かな目。
口元はうっすら笑っているようだったから、主も馬に乗ることは嫌いではないのだろう。
「もう終わりか?」
暗に尊重してくれるのは自分の意思。
自分はどこに行ってもいいのだと許され、そして三成様はどこまででも追ってきてくれるという事だ。
与えられたのは自由だけではなく、必ず付いてきてくれるという絶対的な信頼。
遠くにいてもなんだかとても近くにいるような離れがたい距離感が綾葉を満たす。
……遠出ごときでそんな風に思うなんて、自分は随分と大袈裟な人間かもしれない。
「……はい。あまり遠くまで行くと、夕餉に間に合いませんから」
「そうだな……結構走ったな」
後ろを振り返り、自分達の居城が見えなくなった事を確認する三成様。
「………すみません」
「……何を謝る?」
変な奴だなとでも言いたげに馬から降り、
「運動させなくては馬も怠けるからな」と茶色の肌を軽く叩いた。
「馬を休ませて少ししたら帰るぞ。いいか?」
「はい」
ふと思った。
どうして三成様は、そこまでして私に優しいのかと。
17・暗闇のなか
「ありがとうございます三成様、遠乗りに連れてきてくださって」
「……構わんと言っただろう、何度も同じ事を言わせるな」
「……はい」
馬を休ませている間、三成と綾葉は柔らかい草の上に腰を降ろしていた。
最初は主を地に座らせる訳にはいかないと、座れるぐらいの大きめの石を勧めたが、
三成はそれを拒否し、さらには寝ころんでしまった。
お疲れなのかな、そう感じたという事もあって綾葉はもう一度感謝の意を伝えた。
その返答は一見不興を買ったようにも思えるだろうが、
自分の主にとっては照れの裏返しでもあるので、綾葉はただ頷くだけに留めた。
「久しぶりです。こんな風に何も考えずに景色を眺めているだけなんて」
「…………」
三成は返事をしなかった。
何と返せばいいのかもわからなかったし、今この状況に対してどうすればいいのかも判断できなかったからだ。
もう綾葉と会って数年が経つが、私用で出かけたり、私用の会話をしたことは数えるほどしかないし、
ましてや先の戦でお市を亡くした事で心を痛めている綾葉にあまり下手な事は言えない。
傷心の配下と2人で肩を並べ同じ景色を見る、そんな状況で自分がまともな会話などできる訳もない、
そう思っていたので三成は沈黙から逃げるように潔く草に寝ころんだ。
しかし裏方仕事ばかりしている三成にとって、その行動さえもが久しぶりのものだった。
頬をくすぐる草を凝視し、綾葉の言葉を反芻しながら童心が微かに蘇るのを感じた。
「こうしてると、戦の事など忘れてしまいそうです」
目の前に広がるのは緑の森と、整地された田畑。
村人は鍬を持ち、行き交いながら取り留めのない話で盛り上がる。
昨日はどうした、今日は天気が良いだとか……そんな内容が聞こえてくるような笑顔の人達。
隣りの畑では、親子が仲睦まじい様子で一緒に作業をしている。
大人がやる仕草を必死で真似して手伝う子供と、それを温かく見守る母親。
その親子の笑顔が、綾葉の過去を呼び起こす。
「三成様」
「…………何だ」
「つまらなかったら聞き流してくださって結構です。私の話……聞いてくださいますか?」
「…………ああ」
小さく返事をした三成は身を起こして綾葉の方に耳を向けた。
しばらくの沈黙の後、綾葉は畑を眺めたままポツリと口を開いた。
「…………私は、小さな頃に母を病気で亡くしているので、
母親という存在がどういうものかよくわからずに育ってきました」
父親とも早くに離れて奉公に出ていたから、
実際には父とも一緒にいた期間は短かったように思う。
「でも私は、主の為に生きる事が全てだと幼少の頃から自覚していたので、
母を知らなくても何とも思っていませんでした」
命を賭けてお仕えする主とお目通りした時にはもう、私は自分の一生を理解していた。
ああ、私はこの人の為に生きるんだと高揚したのを覚えている。
あの時から変わらない、輝くような笑顔をくれた主の傍にいられる。
それだけでよかった。
「…………初めて、お市様にお会いした時は……苦手でした」
密かに想いを寄せていた主を奪う人。
そして、自分が早くなりたいと思っていた大人の女性が突然目の前に現れて、
きっとこの人には勝てないと一瞬で悟ってしまったからだ。
「あの方はお優しくて……何をしても笑って包み込んでくれる人でした。
でもその頃の私は子供で、お市様に見向きもしませんでした」
主に仕えているのなら、その奥方にも心を尽くすのは当たり前の事。
だけど子供だった私にはそれができなくて意地ばかり張ってしまった。
「……どんなに酷い態度をとっても、どんなに逃げても、どんなに突き放しても、
お市様は笑ったまま………私が振り向くまで手を差し伸べてくれました」
――「綾葉……」――と、鈴のなるような声で…………いつまでも、飽きもせず。
今思えば、私は猫のような顔をしていたかもしれない。
気のないふりでそっぽを向いて、でも気になって影から覗いてみたり。
何度も呼ばれて、次第にほだされて、恐る恐るお市様に近づいた。
「初めて触れたお市様の手は温かくて、柔らかくて………でもとても小さかったんです……」
その時、自分を塞ぐ壁だと思っていた存在が実はとても弱くて儚いものだと気がついた。
本当は小さな存在だったお市様を傷つけてしまっていた事が本当に申し訳なくて。
「小さな手なのに、どうしてかお市様がとても大きな人のように見えて……」
何もかもに負けたと感じた。
「もしかしたら母親というのはお市様のような人の事を言うんじゃないかと、漠然と感じました」
どれだけ頑張っても決して勝てない、常に先を歩く人。
時には傍で見守ってくれて、たとえ我が儘を言って傷つけてしまったとしても、
私を見捨てず、受け入れて包み込んでくれた人。
「姉のように無邪気な人で……でもやっぱり、私にはお母様のような人でした……」
一度も呼んだ事はなかったけれど、確かにそう思っていた。
あの方に名前を囁かれると、胸に温かいものが満たされていく感じがした。
笑顔を見る度に……敗北と、憧れと、切なさと、平穏と……幸せが体を突き抜けた。
誰よりも誇らしげに、そして誰よりも儚げに綻んだ、可憐な花のようなお市様。
「傷つけてしまったから、優しくしてくれたから……だから……
お市様を、何としてでもお守りしたいと誓ったんです……」
初めて手に触れた日、二人の為に生きようと誓った。
「……お市様の笑顔を守ろうと、決めたんです……」
あの人を支えてくれる笑顔を絶やさないようにと、決めた。
「あの時は駄目だったけど……いつか必ず、もう一度お傍に寄ろうと……決めたんです………っ」
仇の奥の、遠く離れてしまったお市様にどうにかしてもう一度会いたいと。
あの人が愛したお市様だけは……あの人を愛してくれたあの方だけは………!
「………どんな事をしてでも…………お市様だけは、救い出そうと………決めたのに―――っ!」
バサッと音がして、突然半身に感じた物と共に視界が真っ暗になった。
それが三成様の羽織だとわかった時にはもう、涙は堪えきれなかった。
「……ぅ…………っ!」
私はお市様を選べなかった。
あれだけ誓ったはずなのに、私はお市様を見捨てて1人生き残ってしまった。
それは………隣にいる不器用な主から離れたくなかったから。
お市様よりも、三成様の傍にいる事に幸せを見いだしてしまったから。
今でさえ私は、お市様に対する罪悪感に蝕まれながら、三成様の優しさが嬉しくて、泣いている。
三成様の匂いと体温が残る温かい羽織が心地よくて、私はそればかりに気を取られている。
「ごめんなさい……、……ごめんなさい……っ!」
お市様………私には、ようやく見つけたこの平穏が捨てられませんでした…………
「ありがとうございました、もう大丈夫です……」
「…………ああ」
羽織に隠れるようにしてしばらく泣き続けた綾葉だったが、顔を上げた時には既に涙は浮かんでいなかった。
目は赤く腫れていたが、重い空気から逃げるように努めて笑顔を保ったまま。
「そろそろ帰らないと暗くなってしまいますね。長居して申し訳ありませんでした」
「…………ああ」
綾葉がまだ無理しているのではないかと三成は感じていたが、
結局口下手な己では上手く慰められないだろうからと、あえて踏み込んだりはしなかった。
だが何を考えているかわからなかった配下が、今日までのように線引きされた態度ではなく、
暗闇の中といえど自分の隣で多少なりとも心を開いた事は確かだと感じた。
少し晴れたような表情は、嘘ではないと思いたい。
そんな風に完結させて三成は羽織を受け取り、立ち上がった。
「忘れられない人です…………でも、私の決めた道は此処だったんです……」
いや、きっと嘘ではない。
彼女はかつて、こんなに饒舌だったろうか。
「三成様がいたから………私は………っ!」
「……………………な……っ!」
その言葉には、顔から火が出るかと本気で思った。
突如真剣な眼差しで見上げてきた顔は、傷ついた小動物のようで。
涙で潤んで光が反射しているから余計に目に力がこもっていた。
何か返さなくてはと思うのに、何も言い返せなくなる。
ただ動悸だけが高鳴って体が熱くなるばかり。
綾葉を見ていられなくて顔を背けてしまいたいのに、体が固まってしまったかのように動かない。
言葉すら発せない口だけが開閉を繰り返し、意味もなく辺りを見回す。
綾葉が自分を必要としている、そう捉えられる言葉が何故か嬉しかった。
「………と、とにかく帰るぞ……っ」
「…………はい」
恐らく俺の行動が可笑しいのだろう、綾葉はまた笑っている。
以前なら、からかわれているように思えて睨み付けていたが、今はそれさえも見入ってしまって。
ゆっくり細められた目が、俺を落ち着かなくさせる。
逃げるように馬に乗り歩き出すと、ゆるい速度に合わせるようにして綾葉が後ろから付いてくる。
いつもの、互いに落ち着く位置と距離感。
だが自分の鼓動は一向に治まろうとはしない。
病気だろうか。いや、病気であるならその方がいい。
「三成様………これからも、お傍にいさせてもらえますか?」
「……っ…………好きにしろ………」
ふと思った。
どうして綾葉は、そうまでして俺に付き従うのかと。
「…………俺は、お前の望む言葉をかけられぬから…………悪かった………」
過去にも未来にも、きっと不快にさせる事しかできない。
だが綾葉は、今まで見たことのない笑顔のまま首を横に振った。
「いえ………言葉の代わりに、色々なものをいただきました……」
それは、一体何だったのだろうか。
気持ちの機微に通じていない自分の頭ではわかるはずもない。
戻ってきた己の羽織は、いつになく温かかった。
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このタイトルは別名「言霊2」。
ヒロインの大胆告白の連続に三成様タジタジ。
でもまあ、ヒロインは色恋的に言った訳じゃないんですけどね。
三成様をどの程度まで恋愛疎くするのか微妙な所です。
ようやくデレが出てきたか、な…………?