今年の冬は厳しかった。
この地域では普段あまり降らない雪がこんこんと降り積もり、城下も真っ白な衣に包まれていた。
寒さと雪で辛いだけの季節だが秀吉様がこの雪が勝機だとし、勝家を攻めた。
柴田勝家の居城は雪国……何倍も厚い雪によって道を塞がれた勝家は秀吉様の奇襲に応戦する事もできず、
勝家に味方する武将達の拠点をいくつも失った。
そして雪が溶け、木々に蕾が芽吹く頃……近江の国・賤ヶ岳にて柴田軍本隊と対面した。
14・賤ヶ岳の戦い-朔夜-
パチパチと赤い火の粉がはぜる篝火。
冬は過ぎたといってもまだ肌寒く、夜営の幕だけでは体温が冷えていくのを防げそうにない。
火にあたり暖をとる者、毛布にくるまり浅い仮眠をとる者、皆思い思いに明日の会戦に備えていた。
綾葉は愛馬の澄んだ瞳と見つめ合いながら鬣をなでていた。
栗色の毛並みが多い厩の中で、綾葉の馬は俗に言う青鹿毛であるから他よりも黒褐色の毛を持っている。
太陽に透かせれば艶のある毛並みを見せてくれるが、今は闇よりも深い漆黒だった。
動物に触れると心が安らぐというけど綾葉の鼓動は一向に治まるどころか、既に心労で吐き気までもよおしていた。
首に腕をまわすと普通馬は嫌がるのだが、何かを察したのか今はただじっとしていてくれた。
少し高めの体温と、硬いような柔らかい肌の感触……それがこの不安を静めてくれる気がした。
「綾葉?」
番兵以外に誰もいない場所でよく通る高い声がした。
ハッと顔を上げると、おねね様が「ここにいたんだ」と静かに近づいてきた。
「……おねね様、どうしたんですかこんな所まで?」
「それはこっちの台詞。どうしたの?」
おねね様の優しい言葉の内にある真剣な眼差しに、綾葉は言葉を詰まらせた。
それは今1人で厩にいる事ではなくて、今回の戦での様子全ての事を言っているのだろう。
何とか隠し通していたつもりだったけど、やはり今の状態はおかしいと自分でもわかる。
「ここの所、変よ?何かあった?」
「…………何でもないです」
「私にも言えない?」
何を話せばいいというのだろう。
……今戦っている相手と本当は戦いたくないなんて、どうして言えるのだろうか。
黙ったまま俯く私に、おねね様は諦めともつかない溜息をついた。
そして一番触れられたくない指先を、温かい手で握られた。
「震えてる……これは無理してる証拠じゃない?」
「…………」
やめて、優しくしないで下さいおねね様。
こんな風に母親のように親身になってくださっているのに、私はそれでもお市様の事しか頭になくて。
貴女が優しくしてくれるほど、私はお市様を連想してしまう。
……最低だ、私って。
「…………すみません」
――「謝れとは言っていない、理由を聞いている」――
ああ、また私は人の厚意に応えることができずに謝る事しかできない。
三成様も、そうやって失望させてしまうのだろうか。
「綾葉、貴女のその責任感と忠誠心は素晴らしいと思うわ。
だけど……辛いことがあるなら誰かに相談してもいいのよ?」
おねね様の柔らかい手が、私の冷たい指をさすってくれる。
「貴女は誰にも頼ろうとはしない。
それが美徳でもあるけど、頼られないこっちとしては少し寂しいよ」
「……すみません、おねね様。もう少し、時間を下さい。
そしたら……話せるかもしれません……」
今は様々な感情が入り乱れていて、自分自身混乱している。
この戦が終わったら何が変わるのかわからないけど、いつかはこの胸の内を打ち明けよう。
「……わかったわ。ちゃんと、後から話してもらうわよ?」
「はい……ありがとうございます」
おねね様はそれでも優しかった。
だけど、一瞬だけ意地悪く笑うと、手を離し厩を出て行こうとする。
「やっぱり私でも駄目だったか~」
「え?」
「本当は三成に頼まれたのよ、綾葉の相談相手になってくれって」
「……三成様が?」
「自分では何も話さないからって、拗ねてたわよ?」
それだけ言い残すと、軽い足取りで行ってしまった。
「…………三成様が……」
冷たい指に、胸に、温かいものが流れ込んだ。
ほら……この人達がいるから、私はここからも抜け出せない。
三成様もおねね様も……本当に、お優しい方達。
やっぱり……いつかこの方達に応えようと心に誓った。
「……誰か、あの子が心を開ける人がいたらいいのに……」
ねねは暗闇の中で必死に馬に縋り付く綾葉を見て、呟いた。
「ふん、三成風情に戦ができるのか!」
今回の戦は三成様にも大きな任務が任されており、多くの兵達が背後に付き従っていた。
綾葉も愛馬に乗りいつでも出陣ができるように待機していると、
後ろから福島正則が不快感を隠そうともせず言い放った。
「戦場にいるのだ、当然だろう?」
「口先だけなら何とでも言えるわ」
先頭の三成様は眉一つ動かさず無感情に答えた。
もしかしたら腹を立てているのかもしれないけど、それをおくびにも出さなかった。
しかし血の気の多い男達、その筆頭の加藤清正も覆い被せるように参戦してくる。
「ならばあの砦、貴様らよりも多く落としてみせよう」
要所にある4つの砦、あれを落とせば戦は有利に傾く。
それを誰が多く落とせるかを競うと三成様は言った。
「綾葉、いけるな?」
「はい、何があろうとも絶対負けません」
それは負ける訳にはいかなかった。
主は策略だけではないという事を示す良い機会だったけど、
それ以上に三成様を侮辱する奴等に何をしてでも一泡吹かせてやりたかった。
三成様の代わりに、綾葉が感情を込めた目で男2人を睨んだ。
……不思議だった。自分の感情がわからない。
確かに、戦の直前まで戦いたくないと思っていた。
たとえ間接的にでもお市様と敵対なんてしたくない。
今でもその気持ちに変わりはない。
だけど……三成様の為に、この砦制圧争いは何としてでも勝たなくてはと思った。
三成様が侮辱されているのが堪らなく許せなくて、三成様の武功を見せつけてやろうと思った。
三成様が理解できないあの男達に少しでも認められるように。
不器用な主の代わりに、臣下がそれを伝えなければ。
……三成様の為なら戦わねばと、思った。
「この砦、制圧させてもらいます!」
「小娘1人か!ワシも男だ、負ける訳にはいかぬ!」
いつの間にか右手の震えが消えていた。
この槍を振るう事を、あの人は許してくれたのかな?
「はぁっ!」
「っ!……娘よ、女子ながら何故戦にて血を浴びる?」
「…………主を……守る為です!」
三成様の誇りを守る為。
「そうか……主の為ならば、闇に呑まれる事も厭わぬか…!」
「!……私、は……私の槍は……っ!」
ザシュッ!!
「うぐ……っ!よくやった、娘子…………だがワシの血を浴びて猶、そなたは…………」
「はぁっ……っ………………私は……ただ、欲張りなだけです……」
既に事切れた男を見下ろし、綾葉は静かに目を閉じた。
もう子供じゃない、純粋な訳じゃない。
ただ、湧き上がる衝動のまま人を斬っているだけだ。
その先に太平の世があるならと、それを実現する事が可能な主の為ならと。
………三成様の為なら。
「所詮………人殺しなだけです……」
スッと瞼を上げ、隊長の様子を窺っていた小隊員達に振り返り、槍を掲げた。
「敵将、討ち取りました!」
「よぉし、ここに味方拠点を置け!お前等行くぞ!」
「「オオゥ!!」」
副隊長が嬉々として吼え、小隊員達が続いて叫んだ。
それを見守るように傍観し、砦内がある程度鎮圧されたと感じた綾葉は外に出た。
ちょうど、向こうから三成がやってくる所だった。
「綾葉、そちらは」
「はい、全て制圧いたしました」
「そうか、よくやった」
「……………はい」
その一言で人殺しが許される、戦の世。
…………もう、終わりにしなくては。
「ではあと北の砦だけだ」
そう主が言った所で、遠くの方から多数の馬の音がした。
どうやら福島正則達の部隊のようだ。
………三成様を軽んじる男達には、負けたくない。
「三成様、最後の砦は私が行きます。全員続け!」
主の返答もろくに待たず、湧き上がる怒りの衝動を抑えるように手綱を引いた。
血気盛んな小隊員達は嬉しそうに後ろを走り、砦に向かった。
土を蹴り上げるようにして駆ける馬の蹄の音。
もう、ずいぶんこの音に慣れてしまった。
小さかったあの頃は、馬に乗ることにだって苦労していたのに。
―――「綾葉、強くなれ……誰にも負けないほどに」―――
――様、私はもう多くの人を斬りすぎました。
この先に幸せなどなくてもいいから……私の主に、天下を……
「くそ!またあの女か!」
正則は北の砦から聞こえる戦の音に、苦虫を噛み潰したような顔で馬を止めた。
「じきに北の砦も俺が制圧する」
「く……っ!」
「侮っていた三成風情にすら勝てぬとな」
微かに笑うとそれだけを言い残し、三成も北の砦へと馬を走らせた。
「三成め――っ!」
「こら~!正則!」
「!!お、おねね様…っ!」
母親代わりでもあるねねが、いつの間にか背後で腰に手を当てて怒っていた。
この人にはどんな大男でも勝てそうにないと、正則は心底感じていた。
「もう、みんな喧嘩しないの!正則も清正も負けず嫌いなんだから~」
「はっ……す、すみません……」
「まったく、三成も意地張っちゃって……仕方ない子ね。綾葉も……あの子、無理してるよね……?」
ねねは、綾葉の精神が不安定で危ういものである事をわかっていた。
ただでさえ戦乱という死と隣り合わせの中にいると、普通は心が混乱して正気ではいられなくなる。
互いに正義がある場合は余計に、戦い続ける事に疑問を感じ自分を見失う事もある。
そこで闇に呑まれるか、正義を貫くかはその人間の心次第ではあるが。
それに加えて、綾葉は何かを隠している。
まっすぐな性格な分、必死で自身を律して戦っている……そんな表情だった。
ピンと張り詰めた弦のように、あと少しの負荷でもかかればいとも簡単に切れてしまいそうな。
「……あの子、壊れなければいいけど……」
そうしてほどなくして、砦が全て陥落した。
その後、山路将監が柴田軍に寝返りった事により、中川清秀が討死した。
これにより羽柴軍が劣勢となり、一瞬勝敗の行方はわからなくなった……と思われた時。
前田軍が羽柴軍に寝返った。
何でも前田利家殿は秀吉様の古い知り合いで、利家殿を必死に説得したそうだ。
それにより前田全軍が羽柴軍に付き、一気に形勢逆転となった。
「全軍、敵本陣に突入じゃあ!」
契機とばかりに羽柴軍本隊が進軍する。
もちろん先頭は総大将・羽柴秀吉。
その後ろを、戦況を見守るように前田利家が追っていた。
「三成、柴田殿にはワシが行く。援護してくれ」
「はっ」
この先に、敵総大将・柴田勝家が待ちかまえている。
まだ勝家の背後には自身の居城・北ノ庄城が残っているので、形勢が悪くなれば恐らく後退して城に逃げ込むだろう。
その前に何としてでも決着をつけると言わんばかりに秀吉様は駆けた。
そしてそれを援護する、赤い戦衣装の主。
「綾葉、お前は周りの拠点を攻め、敵の数を減らせ」
「……はい」
城に逃げ帰る兵を少しでも減らす為の命令だろう。
本当は柴田勝家がどのような人間か見ておきたかったが、
主の命の方が優先なので綾葉は素直に馬の鼻先の向きを変えて走らせた。
槍を握る右手に力を込めて馬上から敵を見据える。
おそらく、お市様は北ノ庄城にいるだろう。
勝家を倒すか後退させるかで、後に戦線は北ノ庄城にまで及ぶ。
そうしたら私の本当の勝負所になる。
なんとかお市様に危害が加えられないようにもっていかないと……
「………………え…………?」
目の前には信じられない光景が広がっていた。
城にいるだろうと思っていた人が目の前に立ち塞がっていて、武器を持っていた。
男だらけの戦の中で、あの華奢な体。
あの桜色の衣装、あの桜色の髪留め。
世の無常を語るような、あの憂いを帯びた瞳は………
「…………お市、様……!!!!」
右手が、金縛りにあったように動かなくなった。
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北ノ庄城=きたのしょう城
いくら平和の為だとはいえ、人を殺し続けてたら正気ではいられなさそうです。
そこらへん、ヒロインは色々と混乱してます。
猛将伝やったので前田利家とも絡ませようかと思ったけどやめました。
っていうか、この時史実では利家はもう50歳くらいなんだよね……
それを言ったら秀吉も50代だから、まぁ……ゲームだからね(笑)
青毛というのは青色じゃなくて黒い馬。やっぱり馬好き再来。
次回、賤ヶ岳が終わります。