「おお、すまなかったな綾葉」
「いえ、そのようなお言葉身に余る思いです」
秀吉様から労いの言葉を頂き、綾葉は深々と礼をした。
最近では簡単な用事なら三成様は私を使いに出す。
「どうじゃ、槍術指南は頑張っとるか?」
「はい、若輩者ですが皆よくしてくれます」
「そうかぁ。せっかくだ、こっちの稽古も覗いて行かんか?ワシの部隊は強いぞぉ」
「……見学させてもよろしいんですか?」
秀吉様は嬉しそうに手をヒラヒラさせた。
「おおいいぞぉ。何なら試合ってもいいぞぉ!」
「……いえ、それはご遠慮いたします」
ご厚意に甘えて、綾葉は秀吉の部屋を出ると稽古場へと足を向けた。
12・矛と盾と石
同じ戦を駆ける者、そして純粋に強い槍術に憧れる者として、以前から秀吉の精鋭部隊は気になっていた。
稽古場に近づくにつれて兵達の声と何かがぶつかる音が大きくなっていく。
声の数が少ないから、おそらく今は試合稽古の最中なんだろう。
邪魔にならないように少し離れた所から試合の様子を見ると、ちょうど剣と槍の戦いであった。
木製の武器ではあるけれど互いは真剣のようにそれを握り、相手を睨んでいる。
(凄い、殺気だ……)
戦場で何度も自分に向けられた事のある感情。
全身が泡立つように戦慄を覚え、そして私も同じ感情を相手に突き刺す。
人を殺す事が好きな訳ではない、だけど……あの場に居合わせるとどうしても湧き上がる、高揚感。
生か死かを選択する瀬戸際、少しでも油断したら死ぬ……だけど勝てば生き残れる。
この城に来てからその窮地を楽しんでいる自分がどんどん膨らみ、自ら槍を握っていると気がついた。
木製の試合は、剣術を操る者が勝利した。
(そうか、あの時に重心がずれているから間合いがとれなくなるのか……)
無意識に脳内で戦術を考えている自分がいる。
ただ、自分が唯一誇れるこの槍術を更に極めなければこの先も生き残れないからだ、と。
そう言い聞かせてはいるけど………私は、この九年で随分と汚れてしまった。
―――「……すまない、綾葉。お前に人殺しをさせたくて槍を習わせた訳じゃないんだ……」
「……っ……怖いです……でも、――様が傷つけられるのはもっと怖かった……っ!」
「守る為には斬らなければならない、貫く為には歪ませなければならない。
だが綾葉……斬ったもの、歪ませたものを一生忘れてはいけない。怖くても、忘れてはいけない」
「………は、いっ……」
「戦はもう避けられない……綾葉、強くなれ……誰にも負けないほどに」
「――様?」
「はは、矛盾していると思うか?それが戦の世だ。
だから己の義を忘れるな、己が斬ったものを忘れるな……死んでいく者達を忘れるな」
「……え?」
この時、初めて嫌な予感がしたのを覚えている。
「そしてこの戦の世を生き抜いて……幸せになるんだ……」―――
私に全てを教えてくれた人はもういない、矛盾だらけの戦の世で己を貫いて死んだ。
綾葉は掌にあるいくつものマメを眺めた。
時折闇に引きずられそうになる意識を、どうにかして引き留めてくれる小さな痛み。
己の意思を忘れない、己が斬ったものを忘れない……私は、あの悔しさを忘れない。
自ら戦に赴いても、人を殺してでも生き残らなければならない。
そうしなければ、三成様を守れない。
………だから、これからも私は槍を持ちます。
あの人の形見となってしまったのは槍術、そして後もう一つ―――
そんな時、綾葉の思考を遮るように廊下を歩いていた男達の話し声が耳に入った。
「おい、聞いたか?―――様が―――に嫁がれたらしいぞ」
「…………え…………?」
偶然に聞いてしまったそれは、残酷な現実だった。
織田軍にいる事は苦痛で仕方なかった。
だけど、留まろうと思ったのにはもう一つ理由があった。
それは、どうしても会いたくない仇の向こうに、どうしても会いたい人がいたから。
会って何かが変わる訳でもない、今さら言い訳できるはずもない……そんな資格もない。
九年は経ってしまった過去の話を蒸し返す訳にもいかない。
だけど……一目でいいから、もう一度お目に掛かりたかった。
無償の笑顔をくれた、あの方のお姿を……あの人が愛したあの方に。
本当の、藤の姫に。
ただ三成様の傍にいるだけでは達成できそうもないとはわかっていた。
だからもう少し上の立場にまでなれば、もしかしたら信長の近くにまで行けるかもしれないと。
近づきたくなかったが、そこまで行けばそれによって得られる産物は至極大きなもの。
そんな淡い期待を持ち続け、今まで従事してきていた。
だけどその前に総大将は討たれ、目的であった人まで……
「綾葉……っ…綾葉!」
「はっ、はい!」
ハッと我に返ると、背中を向けて筆を走らせていたはずの三成様が眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。
「さっきから何度も呼んでいる」
「す、すみません」
三成様の背中を見ていたはずなのに、ぼうっとしていたようで、
振り返られている事も主に呼ばれていた事にも気付かなかった。
「………どうした?もうそこで半刻は経っているぞ」
「え?」
半刻?せいぜい小半刻ぐらいかと……
しかし障子の向こうは既に赤い光が差し込んでいる。
普通だったら既に退出している時間だった。
「……何か、あったか?」
「…………すみません」
いつまでも退出せずただ主の後ろでボーッとしていただけで、
そして私を呼ぶ為に筆を止めさせてしまうなんて、臣下として恥ずかしい。
肩を落として俯いている綾葉に、軽い溜息が落とされた。
三成が何かを言いかけようとした、ちょうどその時に部屋の向こうに気配を感じた。
「失礼します」
三成が「入れ」と命ずると女中は頭を下げたまま礼儀よく入ってきた。
「夕餉の時間ですが、お持ちしてもよろしいでしょうか?」
「え……もうそんな時間に……」
いち早く反応したのは綾葉。
とにかくすぐにでも退出しなくてはと、綾葉は女中の横を通り過ぎようとしていた。
「申し訳ありません、長居してしまいまして。私は失礼させていただきます」
「…………綾葉、座れ」
「はい?」
「いいから座れ」
「は、はい……」
言われるままにその場に座ると、三成は不機嫌な様子で女中を仰いだ。
「俺と綾葉はこれから軍略を練らねばならん、綾葉の分も持ってこい」
「かしこまりました」
「…………え?……あの……三成様?」
何を言っているのか綾葉にはすぐ理解できなかった。
女中も早々に行ってしまった後、一方で三成は動揺を隠すようにそっぽを向いていた。
三成様は、何と言った?
私の分も持ってこいと……夕餉を?ここに?……三成様と!?
「…………何だ」
「今日、軍略会議の予定があったのですか?」
「………………新しい小隊編成案に目を通した。
それについての話なら食事中でも事足りる。俺は時間が惜しいのだ」
「そ、そうでしたか……差し出がましい事を申してしまいました、すみません……」
「…………ああ、別に構わぬ」
三成が急に予定を変更するとは珍しいと、綾葉は感じていた。
そして三成の言葉にもいつものような鋭さがなかった気もしたが、
主の命には逆らえる訳もないので綾葉は素直に従った。
そうして、予期せず綾葉は三成と夕餉を共にする事になった。
無闇に訪れる沈黙。
綾葉にとって食事というものは、大部屋で騒がしい男達に囲まれながら食すものか、
最近のように自室で一人で食べるかのどちらかだった。
こんな風に誰かと、ましてや二人っきりで対面して食べるなどという経験はした事がない。
大昔であるなら、和やかに三人で食事を囲んだ事もあるが、これはそんなものじゃない。
「…………」
「…………」
もそもそと咀嚼していても、やはり目の前の主が気になる。
食事中に予定していた小隊編成についての話は、口頭で一言二言で終わるような内容だった。
なので食事開始からすぐにその議論は解決してしまい、今……部屋には沈黙が満ちていた。
食事中に無駄な会話をしないのは普通の礼儀だけど、これは何というか重苦しい空気でしかなくて。
何とか会話をしようにも……三成様は話をしている最中もずっと此方を見ようとはせず夕餉に集中していた。
「…………」
「…………」
ちらり、と正面を盗み見ると、やはり主はとても整った顔立ちをしている。
確か、以前に山崎で明智光秀を討ち取った時に、援軍に来ていた島左近という男は
よりにもよって三成様の事を「綺麗な顔して……」みたいな事を言っていた。
殿方になんて事を言う、と思ったがあながち嘘でもない。
端正な輪郭、鋭い目を覆う長い睫毛、そして一番目を引くさらさらの鷲色の髪。
女中達が怯えながらも、三成様の容姿について騒いでいるのは知っていた。
お茶をもらいに行くと毎回噂好きの女中に捕まり、必ず主の様子を詳しく聞かれるからだ。
もし、三成様がそれは溢れるような優しさを全面に押し出して、
笑顔を作ってみようものなら、城中の女が見惚れてしまうだろう。
…………ありえないと思うけど。
「…………何だ」
「…………いえ」
閉じられていた冷たい目がふいにこちらを向き、綾葉は思わず顔をそむけた。
食事中に殿方の顔を凝視していたなんて、女として恥ずかしい好意極まりない。
あの瞳も相まって……美形だと思う。
少なくとも、あの人と張り合えるくらい容姿が端正な人は初めてだった。
……あの方が再婚なさって……あの人は、何て思うのかな。
仕方ないって、笑うのかな。
「……何を考えていた?」
「はい?」
「…………先程の事だ、何刻も何を考えていた」
「………すみません」
「謝れとは言っていない、理由を聞いている」
ようやく破られた沈黙は、またしても綾葉には答えにくいものだった。
だけど少し不機嫌がちな主に聞かれたのなら、それには逆らえる訳もなく。
「…………少し、昔を思い出していました」
「…………」
自分の後ろで特に何かをするでもなくただ遠くを見ていた綾葉は、あの桜の時と同じ目をしていた。
今にも泣きそうな、思い詰めた顔。
あの時も昔の事を思い出していたのだろうか。
綾葉は確か、従事していた家が滅んだ為に各地を転々としていたと聞いたが。
…………何を思い出せば、あのような顔になるのだろう。
今までは特に変な様子もなく普通だった。
それが今日は突然、俺の言葉に反応できない程……過去を思い出していたという事か。
その事が気になったのだろうか、退出する綾葉を思わず引き留めてしまい、そうした自分にも驚いた。
何が原因なのだろうか。
何がそんなに、綾葉を支配しているのか……俺ではわかるはずもない。
それ以上話をしそうにない綾葉は、何も聞くなという表情をしていた。
昔の事など別に話してもいいのではないかと思うが、
確かに自分も昔の事を聞かれても答えようがないと思う。
……しかし、それ以上過去を暴くなという拒絶が、少し不快だった。
「……俺には話せぬ事か?」
「…………すみません」
………そう謝ってばかりなのが、気にくわない。
―――三成様はしきりにさっきの事を聞いてくる。
主の後ろで意識を飛ばしてしまっていたことを咎められているのかと思ったけど、
ぽつりぽつりと掛けてくれる言葉はどれも棘があるようには見えなかった。
ただ知りたいから聞かれている、そんな様子だった。
そしてこの夕餉。
何も食事中じゃなくても、帰り際にでも一言声をかけていただければ事足りたような気がした。
あの時の三成様の様子はいつもとは違っていたし、やはり急な予定変更をあの主はしない。
もしかしたら、わざわざ女中に嘘をついてまで私をここにいさせてくれたのだろうか。
先程の事が原因で私を呼び止めたというのなら辻褄が合う。
………私を心配していてくれたのだろうか、三成様は。
いや、これはさすがに驕りなのかな。
臣下の事は過去でも把握しておきたいとか?いや、それは三成様の性格からしてないだろう。
「………………」
「………………」
ああ、私がちゃんと話さなかったから本当に不機嫌になってしまったみたいだ。
……初めて私と対面した時、三成様は私の事など全く興味がなさそうだったのが嘘みたいだなと、
他人事のように感じてしまった。
ふと……嬉しいという感情が湧き上がった。
ただ単に何刻も座っていた私に理由を聞いただけかもしれないし、
主の命に従わない私に腹を立てているのかもしれない。
それは逆に、私は三成様に興味を持ってもらえるぐらいになったという事?
『私』という存在は多少なりとも三成様の世界に入れてもらえたの……かな?
未だ眉間に皺が寄っている主に、何と声をかけようか。
過去は話せない、だけど謝ると怒られるから……心に思ったまま、言ってみようか。
「……お気遣いありがとうございます、三成様」
「なっ………別に気遣いなどしていない」
その三成様の慌てように思わず吹き出してしまった。
ほら、やっぱり心配してくれたし、それを指摘されて図星になっている。
私を引き留めた時は、あたかも会議があるという事を装っていたのに。
何て不器用な人で、そして何てわかりやすい人。
「お前が部屋の隅で呆けているから目障りなのだ!」
「………はい、申し訳ありません」
「何だその顔は………それがお前の謝る態度か!ならばその顔で敵陣にでも送ってやろうか?」
「す、すみません……っ」
ああ、もの凄く睨まれてるけど緩みきっている顔はやはり元に戻らない。
やっぱり女中には悪いけど、三成様は笑顔にならなくてもいいや。
だって、そうなってしまったら恐らく私のお茶くみの役目は女官に盗られてしまうと思うから。
三成様に憧れている人がこれ以上増えたら、対処が面倒になりそうだから。
……ごめんなさい三成様、もう少し時間を下さい。
だって、誰にも話さずあの世まで持っていこうと誓っていた過去だから、そう簡単に話せるものじゃなくて。
でももしかしたら、いつか笑って話せるようになる時が来るかもしれないから。
いつの間にか、偶然耳にしてしまった噂について悩んでいた事が嘘のように、
暗い気持ちも浮上して笑っていた事に綾葉は気付いていない。
しかし綾葉は再び苦悩する事になる。
そして彼女の決心は簡単に揺らいで、また過去に支配される―――
――「聞いたか?お市様が柴田勝家殿に嫁がれたらしいぞ」――
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視点がポンポン代わって申し訳ない。
半刻は約1時間、小半刻は約30分。
無言の食事会。
ツンデレ美形との食事は疲れます(笑)
やっと過去がうっすらと。
ここからしばらく暗いですが、これ越えれば主従関係も発展するはず。
※少し修正しました。もう少し三成様にはツンツンしてもらいます(笑)