尚隆が例えようもなく好き。

長い黒髪も、深い漆黒の瞳も。
いつも余裕の顔で、翻弄される。

私は…………尚隆の虜になっているんだ。







心の道標








「失礼します、后妃」


後宮にある王后の執務室に、普段では見慣れない人物が顔を出した。


「……あ、朱衡様。どうなさったんですか?」

いつもこの時間は王である尚隆に張り付いているのに。
鳳綺が首を傾げると朱衡は取りあえず笑顔を見せた。

「いえ、執務ははかどっていらっしゃるかと思いまして」
「尚隆はいいんですか?」
「…………主上はいらっしゃいません」
「え!また抜け出したんですか!?」
「いや……今日は……」
「帷湍様……?」

鳳綺が怒気を膨らませていると、隣の帷湍がそれを落ち着かせるように口を開いた。
いつもは両人とも鬼のように恐ろしい雰囲気を漂わせるのに、今日はそれがなくて鳳綺は首を傾げた。
言いかけたものの、帷湍は言葉を濁して横目で朱衡と視線を合わせると、彼もまた言いづらそうな顔をしていた。


「……后妃、約80年ほど前の乱はご存知ですか?」
「80年前……元州で起きた反乱の事ですか?」
「はい…………今日はその首謀者、斡由が討ち取られた日なんです。
ですので今頃、主上は元州にいらっしゃると思います」
「………………そうなんですか」

そう言われたものの、鳳綺にはあまりピンと来なかった。
乱が起きた事は知っているが、何故尚隆がわざわざその元州に行くのだろうか?


…………元州が良くなっていく所を見てるのかな?


そんな風に納得した。























「…………遅いな尚隆」

もう夜も深いというのに、正寝にも尚隆の帰ってきた姿はない。
厩も覗いたけど、綺麗な毛並みの白い虎はいなかった。

「何やってるんだろう……?」

と、ちょうど鳳綺が暇を持て寝台に寝そべっている時に、外で物音がした。
帰ってきた!、と飛び起きて正寝の扉を開け放つと、目の前には見たかった長身の男が立っていた。

「おかえり、尚隆」
「…………あぁ……」
「……?」

しかし笑顔で出迎えても、尚隆は浮かない顔で鳳綺には目もくれずやり過ごし、奥へと入ってしまった。
延王付きの女御もさっさと下がらせてしまい、自分で着替えを始めた。

「……尚隆…?」

小さく尋ねてみても返答はなく、暗い表情で黙々と手を動かしていた。

どこか、近寄りがたい雰囲気が尚隆には流れていた。

「……ねぇ、どうしたの?」
「…………何でもない」

面倒臭そうに返されて鳳綺は続きに言う台詞をなくした。


目を合わせてくれない事に、鳳綺の表情までもが明るさを失っていく。
それでも、笑顔を取り繕って尚隆に話し掛けた。


「尚隆、元州にいたの?」
「…………何故知ってる?」
「その……朱衡様に聞いたから」
「そうか…………」
「…………元州に何か用事があったの?」
「……………………」

尚隆の手が一瞬止まった。

「…………まあな」



…………何も、言えなくなってしまった。


これ以上聞くな、そう言われている気がして。
いくら夫婦でも、踏み込んでいけない事もあるんだと思う。
何故かそう心が警告したんだ。







「……………………墓参りだ」
「え……?」

ここにいても仕方がなく、正寝から出ようと足を進めた所で声が掛かった。
振り返ってみると、以前尚隆は鳳綺と目を合わそうとはしなかったが、気を使ってくれているようだった。

「乱を起こした男の墓にな……」
「それって…………敵の墓っていう事?」

恐る恐る聞いてみると、尚隆は困ったように笑顔を作った。
そしてそれはすぐ崩れ、無表情で鳳綺を見据えた。

「…………もう一人の……俺の墓だ」
「………………」


尚隆の漆黒の瞳がとてつもなく深かった。

いつもはどこまでも深く、穏やかな色を帯びる尚隆の瞳。
見つめるたび、鳳綺はその海に惹かれていた。

だけど、今の漆黒は闇のようで。
どこか冷たい、そんな感覚さえ呼び起こすような瞳だった。



「………………どうしたの?」

鳳綺は傍に寄り尚隆の頬に申し訳程度に触れた。

「どうもしないさ……」
「……………………いつもの尚隆じゃないみたい……」

それを聞いた瞬間、尚隆の口角が上がった。
それもいつもとは違い、投げやりに薄く笑っていた。

「いつもの俺とはどんなだ?」
「え…………?」

突然息がかかるほどまで近くに迫った尚隆の顔に、鳳綺は思わず目を反らした。

「俺はいつもはどうしてる?」

有無を言わせないその態度に鳳綺は戸惑う。

「その…………いつも、余裕の顔で……」
「…………そうか……」
「尚隆……?――んっ……!」

尚隆は顔色一つ変えないまま、鳳綺の唇を塞いだ。
最初はそれを大人しく受けていたが、やっぱりいつもと違う尚隆に鳳綺は眉を潜めた。

「んん……っ……尚隆……?」

歯を割り入り込んでくる舌に優しさは感じられず、ただ生き物のように激しく動き回る。
不審に思い目を開けてみても、尚隆の唇が離れる事はなかった。

「ちょっ…と……っ……どうしたの?」

何も答えない尚隆の貪るような唇に、だんだん鳳綺の表情が硬くなっていく。

「ま、待って…………い、痛いよ尚隆……!」

そればかりか鳳綺の肩を掴んだ手はどんどん力を増していって。
反射的に離れようと軽く身を捩っても、きつく抱きしめられて敵わない。

後ずさりをするが、尚隆の寝台に足を引っかけてしまい、鳳綺の視界が回転した。
背中には柔らかい布団の感触、目の前には自分を縫いつける男の姿が。

そして、開かれた尚隆の漆黒の闇は虚ろに鳳綺を襲う。



「………………いつもの……俺だろう……?」
「!」



恐怖を感じた。


何度もこうやって抱きしめられた強い腕。
大好きなのに、大好きなはずなのに…………今はとても恐ろしかった。



「や、やめて……」

絞り出すように声を上げるが、尚隆は構わず鳳綺の首筋を舐めた。
びくっと体を反応させるも、鳳綺は両手でそれをどかそうと力をこめる。

「……やめて…お願い……」

逃げたくなっていくら反抗しても、もう尚隆には何も聞こえなかった。
溢れる欲のままに鳳綺を組み敷いて、服をはだけさせる。


そして、何の前触れもなく尚隆の左手は足を割り、腿を撫でた。


「!やめて……っ……尚隆!」


持ってる力全てを振り絞り、尚隆の上体を反らさせた。
そこで、初めて尚隆の漆黒の瞳は鳳綺の白銀の瞳を見据えた。

やはり、安らぎを感じる温かい瞳ではなかった。


「………………どうした?」


自分の夫を拒否してしまった事で、何を言っていいのかわからず俯いた鳳綺の頭上で、尚隆は淡々と告げた。


「……俺は……いつもこんな感じなのだろう?」
「!!」

鳳綺は弱まった腕を振り払い、すばやく尚隆の横をすり抜けた。


「…………ご……ごめん……!」


未だに動かず背中を向け続ける尚隆に躊躇いながらも、鳳綺ははだけた胸を押さえながら正寝を飛び出した。





白銀の瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。














<続>











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さて、少しシリアスな話ですが、続きます。

この話のテーマは「愛」です。
お気づきの方は少ないかもしれませんが、1章連載の段階では一度も「愛」を使っていません。
「愛しい」とは書いたかもしれませんが、それとはまた違います(個人的に)

尚隆様はちょいと暴走してます。
本当の姿とも言うべきこの尚隆様を、ヒロインはどうするんでしょうか?

では、次回に。