少しずつ少しずつ、何かが掌から零れ落ちてゆく。
月光の夜に、青白い命が胸を突き刺す。
鮮やかな花弁、艶やかな生。
華やかに生きよ、懸命に心を刻め。
ただ願ふは、我が目の前で死にたもうことなかれ。
君よ、花よ―――
―――「ごめんなさい・・・・・いつもこんな時間にお邪魔しちゃって」
「いいってことよ。それより鳳綺、苫珠は元気にしてるかい?」
雄飛と私、やはり時々はここに来てしまう。
自然と心が安らぐ場所、そして優しい彼女。
「元気ですよ、血気が多すぎて怖いくらい・・・」
「ハハハ、変わらないねぇ!」
彼女の豪華な笑い声も変わらなかった。
「今度、苫珠も連れてきますね」
「あぁ、連れておいで。またあんたたちの口喧嘩が聞けると思うと嬉しいよ」
本当は気付いていた、だけど気付かない振りをしてた。
雄飛も何も言わないけど、たぶん同じ事を考えてる。
「疲れたら降りといで、いつでも歓迎してあげるから」―――
女将さんの声が、今でも時々聞こえる。
君死にたもうことなかれ
「・・・・・・・・女将さん・・・?」
寝台に横たわっている女性がその呼びかけに目を覚ます事はない。
「・・・・・容態はどうなんですか・・・?」
「・・・・・・・・・もう・・・・・長くはないと・・・・・」
俯いて何も言えずにいる私に代わって雄飛が尋ねた。
目を伏せて首を振る赤い髪の女性――榮蓮は、寝台の彼女とよく似ていた。
顔とか髪の色とかじゃなく、包み込んでくれるような優しさが同じだった。
・・・・・・だけど何でも笑い飛ばしてくれるような豪快さ、それは彼女だけだった。
私達が『女将さん』と呼ぶのは、何年経ってもずっと、ただ1人。
「・・・・・・・・女将さん・・・・・」
だらんとしている痩せた手を握りしめた苫珠。
さすり続ける表情は苦しそうで。
「・・・・・・・・・・・・・」
白色の混じった髪は力なく波打ち、刻まれた皺の数は彼女の人生を物語っている。
弱々しい顔付き、微かにしか聞こえない呼吸。
この瞼がもう二度と開かれないんじゃないかと不安で堪らなくなる。
いつだって彼女は笑顔を振りまいて、悩みを打ち消してくれたのに。
いつだって優しくて、お母さんのような人だったのに。
・・・・・少しずつ、何かがずれていって。
いくら呼んでも目を覚ましてくれない、好きだった笑顔をくれない。
お願い・・・・・・もう一度笑って、いつもの言葉を言って・・・・・
――「疲れたら降りといで、いつでも歓迎してあげるから」――
私達の好きだった女将さん。
彼女の名は、秋蓮―――
―――少しずつ
「子供!?」
「まあね、私達も結構いい歳になったし店も大分落ち着いたからね」
「もう里木に帯を結んできたんですか?」
「そうさ、決めたら早いもんだよ」
ねぇ、と女将さんが厨房の奥を振り返ると、がっちりとした旦那さんが軽く頷いた。
あまり多くの事を喋らない旦那さんだけど、実はとても優しいんだ。
この2人の子ならとても良い性格になりそうだ。
「じゃあ、あと十月で親になるんですかぁ・・・・」
「なんだい、鳳綺も子供がほしいのかい?」
「え!?い、いや、そんな事はないです・・・・・」
街の祠の白い木――里木に夫婦そろって帯を結び、
祈りが天に届くと枝に実ができる、それが子供となる。
子供を授かって親になって・・・・そういう普通の家庭の生活に慣れていなくて、
どんな気持ちなんだろうと少し興味を持ったのは確か。
子供がほしい訳じゃないけど、やっぱり羨ましいなとは思った。
―――少しずつ・・・
「榮蓮ちゃん~~」
温かくて柔らかい手を握ると嬉しそうに笑ってくれた。
ちっちゃくて、少し力を入れたら潰れてしまいそうなくらい。
「うわぁ・・・・可愛い~~~」
「可愛いでしょ~」
綺麗な赤い髪が太陽に透き通って宝石みたいだった。
「女将さんの『秋蓮(しゅうれん)』から一文字とって『榮蓮(えいれん)』ちゃんかぁ・・・」
赤ちゃんを優しくあやす女将さんはもう母という顔付きになっていた。
旦那さんとも微笑み合って、幸せそうだった。
「苫珠も抱いてみる?」
「私ですか!?い、いえ、私は別に・・・」
「いいじゃん苫珠、抱いてみせてよ」
「うるさい鳳綺」
「ぅ・・・・・・」
「アハハハ!ほら苫珠!」
「え、ぅわ・・・・っ!」
いきなり預けられる形になって苫珠は慌てて榮蓮ちゃんを抱いた。
どう扱って良いかわからないといった表情で見下ろしていると、
榮蓮ちゃんはキュッと苫珠の袖を引っ張って笑った。
その時の苫珠の驚いたような赤い顔が面白くて、みんなが声を上げて笑った。
すぐさま睨み付けられ
たけど、赤ちゃんを抱いてるから怒ろうにも怒れないみたい。
それもまた可笑しくて。
女将さんの豪快な笑いが店に響いた。
―――変わる時代
「ねぇお母さん、どうして鳳綺おねえちゃんと苫珠おねえちゃんと雄飛おにいちゃんは大きくならないの?」
「「え?」」
女将さんの袖を引っ張って榮蓮ちゃんが首を傾げる。
大きく・・・・というのは身長じゃなくて外見が変わらないという事だろう。
私も雄飛も「う~ん・・・・」と苦笑してどう答えようか考えていた。
すると女将さんは膝を折り榮蓮ちゃんの頭を撫でた。
「鳳綺も苫珠も雄飛もね、とても大事な仕事をしてるからだよ」
「だいじだと大きくならないの?」
「そうだよ、あの大きな山の上からずっとお母さんや榮蓮を見守らなきゃいけないんだ」
「ずっと?」
「ああ、ずっと、榮蓮が大きくなっても、お母さんが死んでも、ずっとだよ・・・・」
「「・・・・・・・・・・」」
本当の事なのに、胸がざわついて寂しい気持ちになる。
女将さんは、少し丸くなった。
肉付きがよくなったのは確かだけど、何となく雰囲気が柔らかくなった。
―――少しずつ
それから、どんどん時が過ぎていって・・・・
「あ、鳳綺さん雄飛さん、お久しぶりです!」
「あ・・・・久しぶり榮蓮ちゃん、一瞬誰だかわからなかったよ~」
「ああ、綺麗になった」
「そんな・・・・雄飛さんまで・・・・」
店の手伝いをしていた榮蓮は恥ずかしそうに俯いた。
透き通るような赤髪がしなり、女の私から見ても長い睫毛が悩ましい。
少学を修了し、この店の次期女将となるべく笑顔を絶やさない榮蓮。
初めて榮蓮が歩いた、初めて『鳳綺』と呼んでくれた、初めて騎獣に乗った・・・
今に至るまで榮蓮の成長が静止画像のように思い出される。
周りの男が黙ってはいないと思うくらい綺麗になっていて驚いた。
気がつけば、もうそれだけ時が経ってしまっていた。
「もうすぐ私と同じ年頃だね」
・・・姿だけは。
赤ちゃんから見てきた榮蓮は、もうすぐ私と尚隆が出会った頃の年齢になる。
「いい男の人との出会いはあった?」
「え!?そ、そんなのないですよ~」
「・・・・鳳綺、それおばさんの台詞だって・・・・」
雄飛の突っ込みに言葉が詰まったので軽く睨んでやった。
「アハハハ!外見は変わっちゃいないけど、やっぱりおばさんになったねぇ鳳綺!」
「な!酷いですよ女将さんまで~!」
ふくれっ面をしてそっぽを向くと、榮蓮と目があって微笑まれた。
若くて、この店の看板娘の榮蓮。
これからの人生が光に溢れているような可愛い笑顔。
・・・・・私も彼女と同じ年代で、肌だって荒れていない。
この店に初めて来た頃と何ら変わってはいないのに。
何かが彼女とは違っていると感じる。
どうしてこんなにも『時間がずれている』と感じるのだろうか。
心が、精神が、ずれている。
女将さんは、少し目尻に小皺が出きていた。
―――押し寄せる・・・・
「お前、市井の昔からの馴染みの店によく行っているそうだな」
「え?うん・・・・『よく』って言っても最近は3、4年に1回ぐらいしか行ってないけど・・・」
急に真面目な顔で話し出した尚隆。
近年は雄飛と遊ぶときに一緒に行く事にしているから、1人では滅多に行かない。
同じ関弓の中だけど、私もそこまで暇じゃないんだ。
「・・・あまり特定の人間と親しくするのはやめておいた方がいい」
「・・・うん、わかってる」
わかってる・・・・いつか、そういつか・・・・・・
自分が苦しむ事になるだけだって、わかってる。
最後に悲しむのは私、尚隆はそう言いたいのだろう。
「・・・・・・・・・・・でも・・・」
私の数十年の思い出が、それだけで納得する訳ないんだ。
―――恐怖と苦悩
「「え!?引退!?」」
「店には今まで通り出るけど、ここの責任者は榮蓮夫婦に引き継いだんだよ」
突然の宣言に私も雄飛も目を丸くした。
3年ぶりに来た訳だから女将さんとしては『いきなり』の話ではないかもしれないけど。
「まだ私には早すぎるって言ってるんですけど、一度決めたら頑固で・・・・」
母親のような歳の人から敬語を使われるのは変な感じだ。
榮蓮はずっと私達に敬語で、私達の体の歳を追い越してもそのままで。
「結構楽しかったけど、ババアは早めに奥に引っ込んだ方がいいのよ」
「・・・・・・・・・・・」
閉店後の店で女将さんはゆっくりとお茶を飲む。
近頃はついつい、彼女の微笑む仕草や表情、指先なんかを目で追ってしまっている。
どうしてかって・・・・たぶんそれは雄飛も同じ理由だろうと思う。
雄飛も私もわかっているんだけど言葉にしない。
怖くて、言う勇気なんか持てそうにない。
「やっと仕事の毎日から解放されるんだ、老後は旅行でもしようか?」
「・・・・・・・・まぁな」
怒られるかもしれない、というのもある。
だけど本当の理由は違う・・・・・認めたくないんだ。
・・・・・・少しずつ、変わっていたことが。
「まぁ、これからは奥にいる事が多くなると思うけど、あんた達が来たら腕によりをかけてやるさ」
「・・・・・・・はい」
少し元気がなくなった女将さん。
それは病気とかなんかじゃなくて、歳をとって落ち着いてきたっていう意味。
・・・・・・・そう思うのだけど。
「・・・・・・・本当、変わらないねぇあんた達は」
「・・・・・・・・・」
「いいよ、あんた達は変わらなくて。これからもずっと3人でバカやって、支え合っていくといいさ」
「・・・・・・・・・はい」
少しずつ押し寄せてくる、この胸のざわつき。
「疲れたら降りといで、いつでも歓迎してあげるから」
『変わらないね』
『変わったね』
どちらを言われても心が寂しくなるだけ。
変わらないと言われても、周りはどんどん変化していってるのに。
変わったと言われても、自分の外見は全く変化していないのに。
私は変わりたいのだろうか、変わりたくないのだろうか。
それが外見なのか中身なのかもわからない。
ただ、少しずつ広がっていく時間軸。
互いに、何かがずれていく。
・・・・・・そう、取り残されていくんだ。
「女将さん・・・・・皺が増えたな・・」
「・・・・・・・・・・・うん・・・・」
豊かだった女将さんの髪は、もう真っ黒とは呼べない。
・・・・・・そんな些細な事でももう認めたくはなかった。
―――わかっていたのに・・・・・・
「・・・・・あれ?今日は休みなのか?」
仕事のついでで寄った関弓、だけど店は開いてはいなかった。
どことなく閑散とした空気、嫌な予感がして雄飛は店の扉を開けてみた。
鍵が開いている、という事は店の誰かはいるのだろう。
「・・・・・こんにちは~・・・・」
恐る恐る声をかけてみると奥から慌ただしい足音が。
「あ・・・・ゆ、雄飛さん・・・・っ!」
「久しぶり榮蓮さ―――」
「母が・・・・・母が・・・・・っ!!!」
「・・・・・・・・・え・・・・・?」
予感は的中してしまった。
・・・・・わかっていた。
いつか・・・・・そう、いつか・・・・・・この日が来る事を―――
「・・・・・・・女将さん・・・・」
年老いて、白髪となってしまった女将さん。
頬は痩せて、皺がいくつも集まっている。
「ごめんなさい、お仕事中なのにお呼びだてしてしまって・・・・」
「いや、大丈夫だよ。知らないままだったら後悔すると思うから・・・」
同じく、少し小皺がでてきた榮蓮。
母親となった彼女は美しい容姿のままだったがもう若くはない。
そして項垂れる榮蓮の膝の上で肩を落としている少女。
彼女の名は春蓮、榮蓮の娘にあたる。
鳳綺と苫珠と雄飛はただ立ち尽くしていた。
話によると、数週間前に急に倒れてずっと意識が戻らないらしい。
医者に診せたがもう治りようがないと宣告され、為す術もない。
榮蓮は鳳綺達にこの事をどうにかして伝えたかったが、
仙と簡単に連絡などとれる訳がなく、困っていた時に偶然雄飛がやってきたんだという。
「・・・・・・・・っ」
喉の熱をこらえるように鳳綺は下唇を噛んだ。
ギュッと握りしめた拳が軋みを訴える。
今にも逃げ出したいほどの衝動をどうにか抑えながら。
「・・・・・容態はどうなんですか・・・?」
「・・・・・・・・・もう・・・・・長くはないと・・・・・」
嫌だ、見たくない。
認めたくない。
だって・・・・・女将さんはずっと・・・・・っ!
「おばあちゃん・・・もう目をあけてくれないの?」
悲しそうな声で春蓮は振り返った。
榮蓮は何も答えられなくて、泣きそうに笑いながら春蓮を抱きしめた。
「・・・・・・苫珠、雄飛・・・・ごめ、ん・・・・っ!」
「・・・・・鳳綺・・・・」
鳳綺は顔を押さえるようにしながら部屋を飛び出した。
ずっと、ずっと覚悟していた。
いつか『こういう日』が来るって、それを見届けなければならないんだって。
・・・・・・取り残されていくんだって。
受け入れなければならない。
そう言い聞かせても、目の前にある現実を簡単になんか直視できなかった。
だって、ここに来れば・・・・・・・いつでも女将さんの優しい笑顔があったのに・・・・・・
―――疲れたら降りといで、いつでも歓迎してあげるから―――
<続>
Top Next
長くなったので自分的には1話分を2話に切りました。
さぁ、シリアスです。タイトル通りに今回のテーマは「死」です。
仙として長い年月を生きていく上で必ず通らなければならない道だと思うので、
暗いですが書くことにしました。
永遠の命を持ち姿も変わる事がない仙、ヒロインはその辛さもわかっています。
だけど初めて自分の目の前で大切な人が死んでいくときは、
やっぱり悲しくて、動揺を隠せないだろうと思います。
赤ちゃんだった子供が母親になり、おばさんと呼べるような歳になり。
周りはどんどん時間が過ぎていくのだけど、自分は何も変わらない。
女将さんの半生を見てきただけに余計に辛いでしょうね。
・・・・尚隆夢なんだからもっと尚隆様書こうよ(笑)