「一君……っ、一君、待って!」
あんなに紫苑を気遣ってくれた彼が、此方の声など聞こえないように駆けていく。
そして闇雲に敵を斬りつけていく。
会津藩が投降してしまって自分達は敗軍になってしまった。
それでも斎藤や佐川は、現実が受け入れられないとばかりに戦う事を止めなかった。
新政府軍もまた、抵抗を続ける幕軍を無情に殺していくばかり。
(もう、戦う意味がなくなったんだよ!?)
叫びたかったけど、できなかった。
きっと彼の心の中では戦は終わっていない、いや、終われなかったのだろう。
沖田が近藤を守れなくて自暴自棄になってしまったように、
斎藤もまた一番守りたかったものが失われて、どこに行けばいいのかわからない状態なのかもしれない。
紫苑だって、そんな彼の気持ちは痛いほどわかっている。
武士の象徴のような会津が崩れて、自分達の存在意義が消えてしまうようだった。
だけどこんな状態では危険だ。
あれでは死にに行くようなものだ。
(死に場所を、探しているの……?)
不安に思っていた事がもう一度蘇って、紫苑は身を震わせた。
(駄目だ……こんなのは駄目っ!)
紫苑はひたすらに追いかけて走った。
死にに行こうとしている、彼の背中を。
紺碧 七
「残らず殺せ!」
「っ!」
互いに大事な仲間を殺し合ったのだ。
新政府軍の恨みは消えず、大人しく投降しても殺されていく者もいる。
両者ともに歯止めなど効かなくなっている、前線の惨状。
紫苑もまた理性を失った敵の標的にされ、周囲に大勢の男達が群がる。
斎藤を追いかけなければいけないのに、結局はまた人を殺すしかない。
「、っ……!」
「ぐああああ!!」
羅刹化して、白髪をなびかせながら刀を振り上げる。
血の雨を降らせ、そして紫苑は走る。
「一君っ!」
行かないでほしい、置いて行かないで。
手を伸ばしても彼の背中は遠い。
(まだ生きれるのに……!まだ死ななくてもいいのに!)
生きたくても生きられない人だっていた。
正々堂々と正義を貫いて、そして首を刎ねられた人だっていた。
病気で、思うように戦えない人だっていた。
(私達は、生きなきゃいけないのに!!)
目尻が熱い。
死んでしまった大切な人達から託された命で、紫苑は斎藤を追う。
「あいつは白い奴だ!心臓を狙うか首を刎ねろ!」
「!?」
紫苑の行く手を阻む敵が、羅刹の急所を狙ってくる。
辺りに羅刹の敵兵はいないが、きっと羅刹の対処方法は知られているのだろう。
楽に動けなくなった視界の奥で、斎藤もまた敵に囲まれている。
白い髪が目にも止まらない速さで次々と敵を殺していく。
だけどあの赤い双眸は、本当に獣のようだった。
止めなければと心の底から感じた瞬間、一つの銃弾が斎藤の腹に埋まった。
血が溢れる場所を抑えながら彼は敵を斬り、そして力を失くしたかのように膝を付いた。
「!!一君っ!!」
恐怖と、悪寒が全身を震わせた。
紫苑は雄叫びを上げながら自分に取り付いていた敵を弾き飛ばすと、全速力で駆けた。
その勢いのまま斎藤の心臓を狙っている男の腹を刺し、もう一人の男も蹴り飛ばす。
間髪入れず撃たれた銀の弾を刀で弾きながら鉄砲兵を斬る。
その隙に、火事場の馬鹿力というやつで斎藤を担いで前線から離れた。
「うっ――!!」
左足を銃弾で撃ち抜かれ、紫苑は体勢を崩して斎藤を落としてしまう。
傷が塞がる気配がないから、これも銀の弾だろう。
ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら、それでもと斎藤を担ごうとしたら逆に持ち上げられた。
「、っはし、れ……!」
血塗れの斎藤が力を入れてくれたおかげで、二人で体重を預け合いながらその場を凌いだ。
残りの幕軍の陣奥まで退くと、ずるずると斎藤の体が滑り落ちた。
「一君……!」
「、は……ぅっ」
腹部の血は止まらず、あっという間に赤い海が斎藤を中心に広がっていく。
羅刹化から戻った斎藤の顔は酷いもので、焦点すら定まっていない。
このままでは、じきに命の火が消える。
今までそうやって見送ってきた人達と、同じようになる。
「い、嫌だ!!」
紫苑はぼたぼたと大粒の涙を零しながら刀で自分の腕を割いた。
鬼の血が命を繋ぐかもしれない、羅刹の回復力を底上げできるかもしれない。
自分にできる事はそれしかないと、溢れる血を口一杯に含んで、そのまま斎藤の唇に押し付けた。
「っ……!?」
紺碧の瞳が驚きに見開かれ、咄嗟に離れようと紫苑の肩を持つ。
だが力が入らなくて、されるがままに紫苑の血を飲み下した。
「紫苑……、っ」
「生きるんだよ!!生きて生きて……戦って生きるのも武士の道だ!」
「……っ」
何をした、とは言えなかった。
眼前の紫苑の熱い涙が、斎藤の頬にいくつも落ちていくのを呆然と見つめていた。
「楽になんてさせない……一人たりとも、先に逝ってもらっては困るんだ!」
彼女は怒っていた、斎藤の無謀に。
「死んだら、誰が新選組の、会津の意志を背負うんだよ!死んでいった人達の"命"を、誰が受け継ぐんだよ!」
「…………」
「どうせ人間なんていつか死ぬんだ!だったら生き抜いて、老いて死ねばいい!
私は我が儘で自分勝手だから……皆にいてもらいたいんだ、皆が生きてて欲しいんだ!」
腹部の血を押さえる紫苑の強い手が震えている。
誰かの泣き顔をこんな近くで見たのは初めてだと、思った。
「生きてよ!生きる事を諦めないでよ!!」
「……すま、ない」
斎藤の口から、その言葉が自然と零れた。
動かしにくい手を持ち上げ、ぼろぼろの紫苑の髪に触れる。
「悪かっ、た……」
「うっ……、ぅ」
本当にどうかしていたのだと、ようやく自覚した。
もう一度詫びれば、紫苑は泣いて顔を伏せる。
「あんたの……足の、傷は」
「っ……、これから、手当てする」
「そうか……ちゃんと、手当てしてもらってくれ」
はあ、と斎藤は大きな息を吐く。
「でも一君が先だよ」
「わかっている……だがあんたのおかげで、少しだけ楽になった」
斎藤の顔には先程よりも血色が戻っていて、腹部の出血も治まっているようだった。
絶対安静には違いないが、消えそうだった命を繋ぎ止められたようで紫苑は安堵した。
助けに来てくれた兵達に運ばれて、二人は簡易的ながらも傷の処置を受けた。
だがいずれ此処にも新政府軍が押し寄せる。
体に包帯を巻かれ、目を閉じる斎藤を眺めながら、この先どうすればいいのかと紫苑が悩んでいると。
佐川官兵衛が文を持って現れた。
「山口君、会津公から親書が届いた」
「、!……会津公は何と」
気配に気付いた斎藤は、傷を押して体を起こした。
怪我の具合を心配しながら、佐川は苦渋の表情で文を手渡す。
受け取り、文面を読んだ斎藤もまた、苦しそうに顔を歪ませた。
「な、何て……」
「……戦いをやめるように、との事だ」
窺う紫苑に、斎藤は震える声で答えた。
「会津公御自らの御言葉に、我らが逆らえるはずもない……!」
悔しさを隠さずに佐川が嘆いた。
紫苑はどういう顔をしていいかわからず、文に力を込める斎藤をただ見つめていた。
「会津公は……もう兵達の血を流したくないそうだ」
「…………」
それはつまり、自分達の命を重んじてくれたという事なのだろう。
主を大事に想い主を守ろうとした兵達、その一方でこれ以上失いたくないと兵達を想う主。
思いやりからの容保公の言葉に、佐川はついに泣いた。
しん、と辺りが静まり返る。
「……我が主の御命令に従い、我らは投降する。山口君達はどうする?」
「…………」
佐川に尋ねられ、斎藤は文を見つめたまま押し黙る。
拳を握り、そして天を仰いだ。
「……俺達は、仙台から北へと向かいます」
「……そうか」
それがいいと佐川は苦笑し、逃げる手筈まで整えてくれると言った。
「一君……それでいいの?」
彼は皆と一緒に投降したいのではないだろうか。
だが心配する紫苑を余所に、斎藤は表情を緩ませる。
「生きる事を諦めるなと、あんたに教えられたからな」
荒んだ色ではない、澄んだ深い紺碧がそこにあった。
「それに、俺はまだ新選組の隊士だ。あんたを土方さんの元へ届けねばならない」
「っ……」
自分の言葉は少しでも伝わったのだろうか。
嬉しくてまた目尻が熱くなって、必死で堪えた。
泣いている暇はない。
またここから新政府軍に追われながらの、二人だけの旅になるのだから。
「一君、無理しないで……!」
「、は……っ、大丈夫だ」
鶴ヶ城から北へ脱出する道を教えてもらったものの、二人とも満身創痍の状態だ。
斎藤は腹部、紫苑は左足を銀の弾で撃ち抜かれている。
応急処置はしてもらったが、斎藤に至っては本来絶対安静でいなければならない。
斎藤の腹部からは血が滲んでいて、無理をすればまた開いてしまう。
だが敵の侵攻は止まらず、寝ていられる時間すらないまま、二人で体を寄せながら北上する。
(やっぱり、投降してた方がよかったんじゃ……!)
その方が生き残れる可能性があったのではないだろうか。
このままでは、北に行く前に死んでしまう。
苦しそうな横顔にそんな不安を抱くが、紫苑の肩を握る斎藤の力は緩まない。
せめて少し休んでからの方が、と言おうとした矢先。
「いたぞ、追え!」
「!」
新政府軍の足の方が速かったようだ。
両足でしっかり立てない紫苑を庇って、斎藤が居合の形をとる。
「く、っ……!」
構えているだけで彼の顔が歪み、冷や汗が滲んでいる。
本当は彼の方こそ立っているのがやっとなのに。
(こんな所で……死にたくない!)
せっかくここまで生き延びたのに、と紫苑も刀を抜いて敵を睨む。
「下がってろ、…!」
「戦える!っ……特攻でも何でも、できる!」
右足で踏み込めば一人ぐらい斬れると豪語してみせる。
だが多勢に無勢で、実際どうすればこの場を切り抜けられるのか、考えても絶望的だった。
いや、今までだってそんな状況でも生き延びてきた、だから何とか生きてやる。
紫苑はもはや気力だけで刀を握っていた。
「やれ!相手は二人だけだ!」
「く、そおおお!!」
噛み付いてでもいいから全員殺してやると、紫苑が飛び出そうとした瞬間。
敵と自分達の間を割くように目の前に飛んできた赤い槍が、大地に突き刺さる。
「――二人だけじゃないぜ」
「俺等もいるんだぜ、っと!」
「ぐああああ!!!」
「……、え?」
敵の断末魔が聞こえないくらいの驚きだった。
斎藤と紫苑の前に現れた逞しい背中は、どうしたって見間違う事なんてない。
どうして、とか思うよりも先に、涙が溢れそうになった。
「左之さん!新八っつぁん!」
別れたはずの仲間が、そこにいた。
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やっと。