第11戦、決勝。

戦場に駆けていく獣は、いつもとは何かが違っていた。
相反していた者同士が少しずつ互いを認め合い、相棒としてできあがりつつあるような。
気持ちを同じにして戦いに出て行くような、そんな感じがしたのだ。

勝負はコーナーだ、そう言っていた通りに凰呀はがむしゃらに他マシンに追い迫った。
そしてスゴウのアンリ・クレイトーをパスしようかという時、モニターに映っていた凰呀が奇妙な動きを見せた。

「凰呀……?」

コーナー侵入時にはアウト側にいたはずの凰呀が、いつの間にかイン側からアンリを抜いていた。
アウトにいるつもりでアンリは防御態勢をとっていただろうから、こんな動きをされて対処できなかったに違いない。
瞬時に動いたマシンは、まるで残像のように重なって見えた。

「あの馬鹿、ようやく1つ抜け出しやがったな」
「は、初めて見ました……こんな動き」

グレイが口を開いたおかげで、ようやくこれが新しいコーナリングなんだと理解できた。

「ああ、あいつらにしちゃ上出来だろ」
「……どういう、原理なんでしょう?」
「んなもん、ただ速く動いて走ってるだけだ」
「…………」

凰呀はオーバースピードでコーナーに侵入しても、その速度を維持したまま曲がる事ができる。
時折展開するウイングはその為のもので、以前までの走行でも車体のダウンフォースを制御できると証明されている。

グレイが言うには、それを使って先行車の真後ろでマシンのアプローチラインを瞬時に変更しているらしい。
アウトだと思っていたのにインから抜かれる、やられる相手にとっては不意打ちの戦法だ。
さらにアウトでもインでも選択できるようで、それによってどんな状況にでも対応できる。

凰呀のシステムと加賀の速い挙動によって編み出された技なようだが、 正直説明を聞いても琉奈は全ては理解できなかった。
速すぎて、モニターでも残像のようにぼんやりと2台に見えるのだから。

だけどそのおかげで、リフティングターンに匹敵する技が完成したのではないだろうか。
予測できない動き、それはZEROの領域で走っているハヤトにも通用するかもしれない。

「……勝てるかもしれない」
「勝つ気だぞ、あいつは」

今更だとグレイに鼻で笑われ、琉奈も肩を持ち上げて苦笑する。

衰えない勢いのまま凰呀はアスラーダを捉えた、新しいコーナリングを武器にして。
ハヤトはサーキットの事象やライバル達の先の動きを知っている。

分の悪い賭けかもしれない、だがもうそれしかないのだ。

レース終盤に訪れた絶好のチャンス、凰呀はあの技を使う為に減速を行なわずにコーナーに侵入した。
祈るように見つめた先でアスラーダが得意のターンで車体を浮かす。
3次元で展開されるライン争い、アウト側から抜けようとする凰呀の上でアスラーダが先を行く。

だが凰呀は幻のように掻き消え、代わりにイン側から突然に現れた。
コーナーの出口、先にトップで進み出たのは凰呀だった。

「、やった……!」

あまりの興奮に琉奈は身を乗り出した。
あの凰呀がアスラーダを抑えたのだ、衝撃以外の何物でもない。

思わず両手を挙げて叫びそうになったその時、力尽きたように凰呀がバランスを失い砂煙を上げた。
そしてスピードを緩めないまま、吸い込まれるように。

コース脇に激突、バラバラになりながら車体が吹き飛んだ。






9・深淵の絶望さえも






凰呀の破損ぶりに比べ加賀の容体は思ったよりも軽く、打撲程度で済んだ。

だが医者は怪我よりも、レースに出られるような体ではない事が問題だと厳しい声で言った。
病室に横たわる彼は確かにゲッソリとやつれて衰弱していた。

日に日に悪化していく体調を琉奈は知っていたしグレイも把握していたが、
改めてドライバー管理について言及されてしまうと口を噤むしかなかった。
本人が望んでいるから、彼の為だと無茶を押し通していたおかげで起こってしまった、最悪の事故。

グレイや今日子達の深刻な表情を見るのが耐えられなくて、琉奈は1人病室に向かった。
加賀の意識が戻ったと聞いて居ても立ってもいられなかった事もあるが、逃げ出して来た事も間違いではない。

だがドアの前で躊躇しては立ち尽くすばかり。
心配で様子を窺いたい、だけど"琉奈がした事の結果"を目の当たりにするのが恐くて動けない。
何度か葛藤を繰り返したのち、意を決して足を踏み出すと加賀の荒んだ目が此方を捉えた。

「……おう、お前ぇか」
「……!」

これだけの事故を起こしても、体が限界であっても加賀は弱々しく笑みを作ったのだ。
それが琉奈の堰を一瞬で壊した。

本来ならば自分が歩み寄る事さえも厚かましい事なのかもしれない。
だがそれでも謝らずにはいられなくて進み出ると、力一杯に深く頭を下げた。
声は、もう既に震えていた。

「ごめんなさい……っ」
「……何でお前が謝るんだ」
「私のせいで……!私が凰呀の事を教えたから、加賀さんは……っ」

選んだのは彼だろう、だが選ばせたのは自分達だ。
仕組んだと言っても過言ではない、あの選択肢のない状態で凰呀を呈示した自分達が全ての始まりで。

泣く資格なんて琉奈にはない、だが後悔が押し寄せて双眸から涙が溢れていく。

「一歩間違っていれば加賀さんを殺してた……!また私は人を殺す所だった!
加賀さんの為、自分の為だって言って……結局同じ過ちを繰り返してる……っ」

今回は生きて帰ってきたからまだよかったものの、当たり所が悪ければ命を落としていただろう。
いつかのハヤトのように生死を彷徨うか、もしくは後遺症が残ってしまったり。

どうして、どうして許してしまったのだろう自分は。
あの時の痛みと後悔さえ忘れて、己の望みのまま再び罪を犯してしまった。

「馬鹿だ、私は……加賀さんがこうならないと気が付かないなんて……!」

それでもと、何度も自分の甘さを貫き通した。
凰呀は甦らせてはいけなかった、皆の言う通りに危険なマシンでしかなかったのだ。
たとえ心を通わせ始めたとしても、そこに辿り着くまでにドライバーがボロボロになるのなら意味はない。

欲が抑制できない自分が憎い、こんな自分が許せない。
自責の念が激しく琉奈を突き立てる。

「……なあ琉奈、此処まで来たらこれは俺達ドライバーの問題なんだ」

加賀の声など聞こえていないかのようにベッド脇に崩れ落ちてシーツを握り締めて。
誰よりも取り乱している姿をしばらく見つめ、諭すように静かに口を開く。

「名雲とお前に何言われようが、今日子女史に吠えられようが、結局選んだのは俺だ。
勝つチャンスがあるのならこうなろうとも構わねぇ……そう、俺が望んだ」
「でも凰呀は――っ」
「これは俺のレースだ、お前には関係ない。お前が責任を感じる必要はねぇんだ」
「……っ!」


―――どうして、そんなに私を許してしまうの。


そうやって彼は全て受け入れて、自分の責任にしてしまう。
学習しない自分はなじってくれればいい、お前のせいだと責めてくれればいいのに。

「お前にできる事は1つだけだ……凰呀をまた走れるようにしてやってくれ」

嫌だ、もう凰呀に囚われたくない、あの男に引き摺られたくない。
あれはどうしたって彼を傷つける、たとえそのつもりがなくとも。

もう凰呀には乗ってもらいたくない。
今度は本当に死んでしまうかもしれないのに。
彼がそれでよくても、望まない人やファンはたくさんいる。
もちろん琉奈も死んでもいいと思って凰呀を託した訳ではない。

「後は最終戦だけだ、あいつも勝ちたいだろうよ」
「でも……私……っ」
「今になって怖じ気づいたのか?俺の為にアオイに来たんだ、その腕を俺の為に使ってくれねぇのか?」

加賀はそれでも琉奈に軽い口調で笑いかける。
そんなやつれた体で、どうやって凰呀を動かせるというのだ。

「私わかってたのに……加賀さんが凰呀に乗るって事は、いつかはこうなるかもしれないって!
でも理解したつもりでいた……加賀さんがこんな風になるなら凰呀に乗ってもらわなくてもいい!」

顔を歪めて泣き叫びながら琉奈は首を振り続ける。
お願いだから、もうやめて欲しい。

「凰呀は走らせてはいけなかった!生き返らせちゃいけなかった!
私、また誰かを殺すところだった!加賀さんには死んで欲しく――!」

ふいに腕を引っ張られ、倒れ込むようにして胸元に押さえ付けられた。
背中に回された手は、子供をあやすようにポンポンと静かに叩かれる。

温かい体温に包まれて、琉奈は思考を停止させた。

「……生きてるだろ?そう簡単には死なねぇよ、俺は」

心臓の鼓動が聞こえる、彼が生きている証拠だ。
確かに安全対策に関してはかなり考慮されているおかげで、
事故の大きさに比べて怪我がごく軽く済んだが、そういう問題ではないのだ。

「凰呀の事、少しはわかってきたつもりだ。あいつは俺を殺すつもりなんかねぇ、ただ勝ちたいんだ。
今回は俺が意識を失っちまっただけで、あいつは俺に合わせようとしてるのがわかる」
「…………っ」
「最後の勝負だ。俺は、あいつと一緒に戦いてぇんだよ」

(そんな……だから……!)


――こんな私を誘惑しないで。


ギュッと目を閉じれば熱い雫が彼の衣服に染みを作っていく。
自分はきっと誘惑に弱い、だけどそれを容認したら今度こそ彼は死んでしまうかもしれない。

「だから頼む、俺を勝たせてくれ」
「、嫌です……もう、やめましょう加賀さん……!」
「俺はこれを終わらせなければ、死ぬのと一緒なんだよ」
「凰呀の事は忘れてください……っ」
「あと1回だけだ、琉奈

冷静に言葉を紡いでいく加賀に背中をさすられながらも、琉奈は首を縦には振らなかった。
もう恐いのだ、自分と凰呀のせいで誰かが死ぬのは見たくない。

何度目かの拒否を口にした後に、ゆっくりと両肩を掴まれた。
だがその手の力がギリと音がするくらいに強くて琉奈は目を見開いた。

「……頼む」

そうして呟かれた言葉は、何と切ない色をしていただろうか。
胸が詰まる程の絞り出された声は、心からの懇願だった。

「凰呀が必要なんだ……俺に、お前と凰呀をくれ」
「……加賀、さん……っ」
「見届けると決めたんだろ?なら最後まで責任持って、俺を見てろ」
「……っ!」

甘えるな、そう言われた気がした。

そうだ、決めたのは自分だ。
どんなに辛くとも、どれだけ罪悪感が心を襲っても、もうこの道を選んでしまったのだ。
凰呀を与えてしまった、ならば最後まで貫かなければならないのだろう。
ここまで周りを巻き込んでしまった責任、逃げる事はもう許されないのだ。

「頼む……勝ちたいんだ」
「…………」

琉奈の目尻から再び涙が流れた、その意味は何だったのだろうか。

あれだけ嫌だ嫌だと訴えていたのに、胸が引き裂かれそうだったのに。
絶望と後悔の海に溺れるように闇が琉奈の視界を遮っていたのに。

この先もきっと、そんな闇しか待っていないというのに。
そこから唯一の糸を探し当てて、手繰り寄せるように。

"それでも"と、また固め始めてしまった決意が熱い火種となって胸に落ちていく。

「…………わかり、ました」

(加賀さんが、望むなら……)

あの勝ち気な彼が泣きそうな程に顔を歪めて、残る力全てで琉奈の肩を握り締めている。
名誉や栄光の為でなく、親友であり最大のライバルと戦う為に、過去を乗り越える為に。
かつて、こんなにも勝利を望むドライバーがいただろうか。


――勝たせてあげたい。


グレイが言っていた、もう彼を勝たせてやるしかないのだと。
本当にそうなのかもしれない、もうここまで来てしまったのだ、最後の勝負をするしかないのだろう。

(だから、私も命を賭けよう)

「最終戦……もし、加賀さんが死んでしまったら……私も死にます」
「おい、なに馬鹿な事言ってんだ……」

頷いた琉奈に僅かな安堵を浮かべた加賀だったが、突然の宣言に珍しく動揺を見せた。
衰弱した揺れる瞳を見つめて琉奈は微笑む。

「それが凰呀を甦らせた私のけじめです、覚えていて下さい」
「……んだったら、余計死ねねぇな」
「死なないんですよね?だったら大丈夫じゃないですか」
「は……違いねぇ」

呆れたように笑う加賀は琉奈を胸に納めて力を込めた。
端から見れば抱き締め合う恋人のようであったが、これはそんなものではない。

きっと死地へ向かう2人が意思を同じくさせた、決意の抱擁だ。

行き着く先は闇かもしれない、死であるかもしれない。
それでも受け入れて、僅かな光を求めて進むしかない。進む事しか許されないのだ。

「だから……生きて帰ってきて下さいね」
「……ああ、お前を死なす訳にはいかねぇからな」

互いの気持ちを確かめ合う自分達は、やはり共犯者のようで、戦友のようであった。


気が済むまで体温を共有してから体を離す。
何処か気恥ずかしかったが加賀の力を分け与えられたようで、胸は熱かった。
心は軋んで今にも絶望に囚われてしまいそうだが、
その中から希望を見つけ出すのだと決めたのだ、辛くても笑わなくてどうする。

悲しくて涙が流れ続けていても琉奈は笑った、加賀の為にも。

そう見つめ合っていると、ふいにドアが開いた。
振り返ればそこに今日子がいて、会話を聞いていたのだろう、怒りと困惑が混ざったような表情で立っていた。

「……名雲さんが言っていたわ、貴女は"茨の道ばかり選んで、いつも勝手に血を流して苦悩する人だ"って」
「…………」

まだ戦うのかと罵倒される事を予想していたのに。
今日子は目を吊り上げていたが、言葉は戸惑いに揺れていた。

「貴女……加賀君と凰呀に何を求めるの?
どうしてそんな風になってまで、アオイにいつづけようとするの?」

もうやめたいと泣き叫んで訴えたのに、それでも受け入れてしまった琉奈に対する純粋な疑問だったのだろう。
どうしてそこまでするのだと、確かに他人が見れば意味がわからない行動かもしれない。

琉奈は拳を握り締めて、はらりと頬を濡らしながら口を開く。
涙が止まらないのは未だ心が傷ついているから、弱い部分の自分が泣いているからなのだろう。

「……解放してあげたかった……過去に囚われて前に進めない人を……」
「それは……っ」
「私と、加賀さんと……あの人も……」
「貴女、もしかして今でも名雲さんを……」

ごめんなさい、琉奈は胸中で何度も呟いた。

自分がこの感情を抑える事ができなかったばかりに、こんな選択しかできなかった。
凰呀と名雲への執着が消えなかったばかりに、皆を悲しませて、加賀を傷つけた。

琉奈の、名雲への想いが全ての元凶だった。

「……馬鹿で、可哀想な男……ずっと一途に好きだった人にも、不器用な想いしか伝えられなかったほど……」
「…………っ!」
「そんな男を救おうとしてる私は、もっと馬鹿なんでしょうね……」


――それこそ、先に希望なんてある訳がないのに。




それからしばらくして、あすかが見舞いにやって来た。
合わせる顔がなくて琉奈は隠れていたが、帰って行くのを見守って病室に戻ると。

ハヤトからだという見舞いの品を開いて驚愕した。
あの時、前に出たのは凰呀で、あのまま行けば優勝していたのは加賀だとハヤトは言いたいのだろう。

加賀のベッドに一面に広がるチェッカーフラッグが、痛い程目に染みた。











Back Top Next



加賀夢みたい(笑)
SINもそろそろ終盤。