『ハヤトは私を置いて、レースに出ているのか』
「ええ、貴方を古いって言ってね」

開発ガレージの中で機械的な音声と涼やかな声の女性が会話をする。
成長型サイバー・システムの言語機能の調整をしているはずなのに、
何故かクレアの言葉の勉強タイムと化しているようだった。

「もしハヤト君が来たらこう言うの、"君の事なんてもう忘れてしまった。自分はもう古いから"ってね」
『それは"皮肉"というカテゴリーの言葉か』
「ええ、便利だから覚えておくといいわ」

「……クレアさん、アスラーダの性格変える気ですか……」

良からぬ事ばかり吹き込むクレアは、冗談なのか大真面目なのかわからない。

「あら?だって本当の事なんですもの、ねぇアスラーダ?」
『そのようだ』
「………」

既にクレアと息が合っているアスラーダが怖い。

琉奈さんも何か言うことある?」
「え!?わ、私はいいですよ……っ」
「遠慮しないで、ね?ガードシステムを仮解除している今の内しか会話できないわよ?」

アスラーダにはハヤトしか乗れない、だからアスラーダと会話するなんて芸当はほとんどできない。
調節の為に学習モードになっている今なら、長年の夢だったアスラーダと会話する事ができる。
それは確かに貴重な体験だ、クレアの誘いを断る手はない。

「じゃあ、ちょっとだけ……」

ゴホンと咳払いをして、アスラーダの前に律儀に正座する琉奈

「……アスラーダ」
『君は、スゴウのメカニックの琉奈か』
「ええ……名前を覚えてくれてありがとう」
『造作もない』

何だかジィンとしてしまった、あのアスラーダに名を呼ばれるとは思ってもいなかったからだ。
琉奈は深呼吸をし、カッと目を見開かせると握り拳で迫った。

「これからは言葉で負けちゃダメ。ハヤトにも誰にも、
自分がただの機械だと思ったら大間違いだという事を教え込ませるの!」

アスラーダはカシャカシャとレンズを数回回転させ、機械的な声で短く答えた。

『了解した』






5・されど闇を散らす光に






徹夜通しだったハード面の調整を切り上げ、琉奈はホッと一息ついた。
これで琉奈にできる仕事はほぼ終了したと言っていい。

「はぁ……少し、休めるかな……」

次のカナダ戦まであまり時間がない。
すぐにでもハヤトのガーランドの調整に参加しなくてはいけない。

だけど今日ばかりはもう体が限界にまできていて、これ以上動けそうもない。
この所ずっと徹夜だったし、寝ようと思ってもあまりよく眠れない。
それは多分アスラーダが完成していないという焦りもあったからだと思う。
ようやく一息付ける段階にまで来たから、もしかしたら今日あたりは倒れるように眠れるかもしれない。

もう二度と、寝不足であの男に助けられるという失態を犯したくはなかった。

「……疲れた……」

何だかやっと疲れを自覚したようだった。
そういえば今日はいつ食事をしたっけと、それが思い出せないくらい没頭していた。
クレアに何度勧められても、喉が食事を受け付けないんだと琉奈は独りごちた。
そんな事よりもアスラーダを完成させる方が先、そんな気持ちばかりが先を行っていた。

空けてばかりいる家に偶には帰ろうと、琉奈はファクトリーの階段を下りた。

「ああ琉奈、ちょうどよかった」

遠くから修の声がかかったので琉奈は立ち止まって振り返った……つもりだった。

「3戦のスケジュールなんだが―――」

修の言葉はそこで止まった。

階段の途中で振り返った琉奈がまるでスローモーションのように倒れていく。
この先に起こりうる事を予測して修は血相を変えて飛び出した。
だが咄嗟に伸ばした手では落ちていく体に届く訳がなく、虚空を掴んだ。

琉奈!!!」


遠くなった階下で、琉奈が足を押さえて蹲っていた。











カナダでの第3戦、琉奈もピットクルーとして参加する予定だったが、
足の怪我により自宅のテレビからレースを見ていた。

ハヤトのレースをテレビを通して見るのは久しぶりで、期待と不安でテレビにかじり付いていた。
だけど通常では考えられない結末となってしまって、琉奈は堪らずクレアに電話をかけた。

「クレアさん……」
『あら、琉奈さん。足は大丈夫?』
「はい、元々ただの捻挫ですから」

恐らく、あれは貧血だったのだろう。
修を振り返った瞬間目の前が真っ暗になって、気がついたら足が酷く痛んだ。

捻挫だから歩けない事はない、だけど修は必死な顔で琉奈を医務室に運んだ。
怪我のせいで3戦に参加できないかもという嫌な予感がして、
だけどそれを切り出そうとする前に修は鬼の形相になって琉奈に怒鳴りつけた。


――「お前は……っ!健康管理を怠るなど、それがプロのメカニックがする事か!!」

「いいか!完治するまでお前がサーキットに来る事は絶対許さんからな!!」――


「ごめんなさい、迷惑かけて……」

彼の言う通りだった。

テレビの向こうで慌ただしく動いているクルーを眺めて、自分は一体何をしていたのだろうとようやく思い至った。
ドライバーも仲間もそっちのけで、ただ自分が作りたいマシンを弄っていただけだ。

それで健康管理もロクにできずに怪我をして、肝心のレースに出られない。
全ての人達に本当に迷惑をかけてしまった。

『いいのよ、貴女に任せっきりにしてしまったこちらも悪いのだから』
「い、いえ……!私のせいです……っ」

彼女は何度も自分の事を気遣ってくれたのに、琉奈は自分の事しか考えていなかった。

「今日のレースだって私がいたら、もしかしたらあんな風に終わらなかったかもしれないのに……」

ハヤトが自らマシンを降りた。

テレビだったから詳しい事はわからないけど、見ている限り深刻なミッショントラブルだった。
だけどピットクルー達がすぐに作業を始めていなかったから、
原因がわからないのか、もしくはその修復の方法がわからないのか。
ピットインとしては長すぎる時間の後、クルー達を置いてハヤトはピットの奥に消えた。

きっと焦っていたんだろう、いつもの如く。
順位も思わしくない位置だったから余計に。

『今日は、私の責任だわ。ハヤト君の為にもサーキットにいなければいけないのに、
私はこちらを優先してしまった。琉奈さんが気に病む事なんてないのよ』
「……そんな、クレアさんのせいじゃないです……」

一番悪いのは、こんな時期に油断して怪我をした自分だ。

「私……馬鹿でした」

幼馴染みに怒鳴られるまで気付かなかった。

「大事なドライバーを放っておいて、アスラーダばかりに気を取られていました。
ハヤトの為、そう思いながら自分の為だけに整備をしてたように思います。
それに、肝心のハヤトを……避けていました」

アスラーダには琉奈の未来全てが詰まっているからと、
アスラーダであの男に勝つ為だと……だけどそれは完全に自分の為で、決してハヤトの為なんかじゃない。

そして無言で責めるハヤトから逃げるようにアスラーダに没頭した。
大事な事に気付かないハヤトが悪い、そんな風に考えながら。

「本当だったらメカニックはドライバーとの信頼関係を元に、ドライバーの為に遂力するべきなのに」

ドライバーが走りたいなら全力でサポートしてあげたい、自分でもそう思っていたのに。
気付いたらサポートではなく、ただ見ているだけだった。

ハヤトは今、ガーランドで走っているのに。
勝ちたいと必死になって、だから焦りから周囲に当たったりもしてしまう。
でもそれは仕方のない事で、それは本当に勝ちたいと思っている所以の感情で。

だから私は、そんなハヤトの為にガーランドを少しでも速くなるようにしなければいけなかったんだ。

「こんなんじゃ、メカニック失格です……」

しばらくの沈黙の後、クレアが少し寂しそうに溜息をついた。

『私達はアスラーダというシステムを知っている分、少し……躍起になっていたかもしれないわね』
「…………」


そして私はまたしても、あの男に囚われていた。
あの男を振り切ろうとするあまりその事に縛られて、結局自分を乱して。

(……私は、全てに決着を付けると決めたんだ……)

勝ちたいけど、そればかりに囚われていたら自分を見失ってしまう。
だからもう、自分は自分のペースでドライバーの為に力を尽くせばいい。

私は、気持ちにも勝負にも弱いドライバーのメカニックをしているんじゃない。
ハヤトにはそれだけの力があるのだから。


「クレアさん……これから、頑張ります。強くなります」


レースの勝敗よりも何より、気持ちであの男に負けなければいいんだ。

強く、強くなりたい。


「もう油断して怪我する事は二度としません。ハヤトからも、逃げません」
『……ええ、貴女ならできるわ』





――そう決心しても、またすぐに堂々巡りしてしまうことを、琉奈はまだ知らない。











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アスラーダとついに会話を!
アスラーダの言葉をカタカナにしようか悩みましたが漢字で。
喋り方、こんな感じですよね……?