16-2
窓から差し込んでくる、眠らない街の明かりがチカチカと様々な色で薄暗い部屋を僅かに照らす。
「だけど不思議だな。どう見ても普通の女性なのに、どうして奴と接点があるのか」
一体何の話をするつもりなのかと美弥は警戒心を強めるが、男はしげしげと興味深そうに見つめてくるばかり。
シュウの顔で観察してくる視線が嫌で、美弥は何も言わず目を逸らす。
「発作を起こすほど恐怖を感じているはずなのに喚いたり命乞いしたりはしない。まぁ、恐怖で声も出ない、というだけなのかもしれないが」
「…………」
「そして、どんな質問をしても君は不用意に情報を漏らさない。だけど無知でもないらしい。変わっているな、君は」
そんな事言われても、意識してそうしている訳じゃない。
本当は怖くて仕方なくて泣き喚きたい気持ちはあるけれど、それをしたって状況が変わらないと思っているからしないだけだ。
相手が不思議に思うほど、自分は大した人間じゃない。
「強引に聞き出してみたい気もするけど、流石にそれは可哀想か」
「…………」
強引、という言葉にゾッとするが、男はやはりこれ以上何かをしてくるようには見えなくて。
ただ本当に待っているだけのようだった。
(シュウを待って、どうするつもりなの?)
こんな穏やかではない方法を選ぶあたり、まともな目的ではないのだろうなと思う。
そんな時、ライトが当たっている場所以外は暗い空間で、床に置かれていた美弥の携帯が光って震えだす。
離れた位置からだったが、よく見れば画面には"江戸川コナン"と書かれている。
(コナン君……!)
こんな夜中にメッセージではなく電話をかけてくるなんて、きっと単なる偶然なんかじゃない。
着信は一向に切れる気配がなく、誰かが出るまで必死で呼びかけてくるようだった。
(もしかして、知ってるの?)
そんなはずは、と期待を否定してしまいたいが、彼は小学生らしからぬ頭脳を持っていて、美弥では計り知れない少年なのだ。
美弥が誘拐された事をどうして把握しているのかわからないが、どこかでこの状況を知って、わざわざ助け出そうとしてくれているのだとしたら。
助けに来てくれる人なんていないと思っていたのに、あの小さな少年が来てくれるというのか。
「……やはり、彼が来てしまうか」
同じように表示の名前を見下ろしていた男が小さく呟くので、美弥は顔を上げた。
この目の前の人物はコナンの事を知っているのだろうか。その、聡明さも。
「出ないのか?頑張って足を伸ばせば届くと思うが」
「…………」
振り向いた男が挑発するように言うが、鵜呑みにできるほど美弥も馬鹿ではない。
ここで助けを呼べば、電話してもいいと言っていた彼の思う壺になってしまうかもしれないのだから。
「……こんな小さな子を、巻き込めません」
「なるほど。自分より彼の心配、という事か」
ガラガラの声、だけどシュウの顔でくすりと笑われて、美弥は眉を顰める。
あの少年は確かに子供っぽくなくて大人のような言動で頭も良いけれど、だからこそ気遣いのできる子を巻き込むのはおかしいと思っている。
ただ単純に、美弥が彼を危険な目に遭わせたくないのだ。
いくら自分が助けて欲しいと思っていてもだ。
(だってきっと、彼は来てしまう気がするから)
仮にコナンに警察を呼ぶ事だけを頼んだとしても、彼は自らの足でここまで来てしまうような気がする。
そういう子なのだと、それくらいは美弥でもわかるから何も言う事ができない。
それでも、殺されるかもしれない恐怖心が勝って、いつか限界を迎えたら少年に助けを求めてしまいそうで、
着信画面を見ないように男の顔ばかり必死で見据えていると、ずっと鳴り続けていた着信がやがて切れる。
だけど、またすぐにコナンからの電話がかかる。
「っ」
やっぱり、気付いているのだろう。
諦めずに電話をかけ続けてくれている彼は本当に優しい子だと思う。
だからこそ彼には来て欲しくない。嬉しくて、だけど申し訳なくて、美弥の視界がにじむ。
助けて欲しい、だけどそれが言えない。
震え続ける画面を涙目で縋るように見つめていると、ふいに男が大きく溜息をついた。
「……元々、確証はなかったしな。彼に邪魔されるかもとは思っていたが」
何かをブツブツと呟いたのち、男は美弥の携帯を拾い上げて通話ボタンを押した。
『美弥さん!今どこにいるの!?返事ができないなら合図だけでも送れる!?』
スピーカーにしている訳でもないのに、切羽詰まった甲高い声が美弥にも聞こえた。
『美弥さん!!』
「――"女王が求むは、黒の召使いの廃墟"」
意味不明な単語を告げて男は一方的に通話を切った。
「彼にはそれだけ伝えれば充分だろう」
「えっ」
意図がわからず放心していると、男が顎で外を示す。
窓の向こう、離れた場所にあるビルの一番上に、"クイーン"の名前が付いた看板が煌々と光っているのが見える。
「サービスだ。全くのノーヒントじゃ、君が可哀想だろう?」
「…………」
(今のは、此処の場所を教えるヒントだったの……?)
男の行動が理解できない。
シュウが来ないなら美弥を殺すと言っておきながら、助けに来ようとする人にヒントを与えるなんて。
唖然として目の前の男を凝視するが、男は勝手に諦めたように溜息を吐いている。
「仕方ない、あまり悠長にもやっていられないしな」
男は独りごとのように呟いている。
そして美弥の近くに戻された携帯電話を見下ろすと、また観察するような目が美弥に向く。
「……君がもっと取り乱して、後先考えずに助けを求めるような人なら楽だったのに。
普通なのに、どこか普通じゃない。だから奴も君に興味を持ったのだろうか」
奴の考えなど知りたくはないけど、と男が眉を顰める。
探るような目をされても、美弥は変な事をしているつもりはない。
「普通は此処がどこかとか、俺が何者だとか、状況の確認をしたくなるだろう?」
「…………」
気になるけど、知りたくもないと思ったのだ。
知ってはいけないような、知ってしまったら何だか戻れなくなるような気がしたから。
「……調子が狂うな。本当はもっと悪者らしく振る舞うつもりだったのに」
(、え……?)
それでも何も言わない美弥に、シュウに似た顔が、どうしてか眉尻を下げながら苦笑した。
(調子が狂うのは、こっちの方だよ……)
シュウを誘い出す為に美弥を縛り上げているのに無体な事はしようとしない。
過呼吸を起こしたら落ち着かせるような言葉を投げかけて、悪者なのかそうでないのかよくわからなくなる。
(でも、シュウにとっては敵なんだろうな)
ならば自分にとっても敵だと、美弥が油断しかけた気持ちを振り払っていると。
男が、何かを察知したかのように顔から人間らしい表情を失くす。
そして、錆びかけた入口のドアがけたたましい音を立てた。
「美弥さん!」
(コナン君……!)
できればコナンには来てほしくないと思っていた。
だけど息を切らせた少年が険しい顔で立っていて、駄目だと思いながらも嬉しさも隠しきれなかった。
「なっ!?」
無言で立っている男の顔を見てコナンは酷く驚いた。
それから、わなわなと震えるように、今までに見た事もないような怒りの目で男を睨み付けている。
「なんで……なんでこんな事するんだ!」
非難の言葉をぶつけられても男は無表情のまま。
「子供には関係ない。だが、その驚きよう……君はこの顔を知っているようだ」
「っ……」
コナンとシュウが顔見知りである事を美弥は知っている。
口角を上げる男にコナンはグッと息を詰め、それから努めて冷静を保っているような様子で男と対峙する。
「……ボク、知ってるよ。それ変装っていうんでしょ。ガラガラ声だって、わざと喉を潰したんだ」
「君は賢いんだな。あの少ないヒントでここまで来るだけの事はある」
「たまたまだよ。さっきまでカジノにいたから、ブラックジャックとチェスを掛けてるのがわかれば、自然とね」
年相応のような子供っぽい口調で答えているが、じっと射抜くような目は変わらず強いまま。
「そんな事より、こんな所に美弥さんを連れてきて一体どういうつもりなの?」
「過ぎた好奇心は無謀だと、言われた事はないか?」
コナンの追及に答える気はないのか、男はクッと笑っている。
飄々とした態度に怯んだ様子は見せなかったが、コナンが次第に苛立ちを募らせているのはわかった。
「美弥さんを返して!」
「解放するつもりはある」
「……どうして!こんな事したって、美弥さんは何も関係ない人なのに!」
すぐに実行する様子でもない男に焦れたコナンが声を荒げた。
だが逆にその凶暴な目がスッと細められる。
「それは、君なら関係しているという事かな?」
「っ!」
男がコナンに銃を突き付ける。
目を見開いたコナンが見えて、美弥にはまた恐怖が湧き上がる。
(やだ……!)
自分は小学生に助けられてしまうような何の役にも立たない人間だけれど、
それでも美弥の人生を少しだけ明るくしてくれた彼だけはどうにかして守りたかった。
「待っていたのは君じゃない。だから少し大人しくしていてもらおうか。これは良いチャンスなんだ」
「や、やめて!!」
ずっと声を出さなかった美弥が叫んだ。
震えながら、それでも男を必死に見据えて。
「その子を撃たないで!っ、撃つなら私だけにして……っ!」
自分の知っている誰かが死ぬ所なんて見たくない。
それ以上に、コナンを死なせたくない。
少しでも注意を引こうと、美弥が足元にあった自身の携帯を蹴ると、滑りながら男の足にコツンと力なく当たる。
カラカラと小さな音を立てて回る携帯を見下ろして、男がニヤリと笑む。
「……そういう主張はするんだな。さっきまで過呼吸を起こしていた人には見えない」
「っ」
「けど震えてる」
「美弥さん!」
振り返った男の視線が美弥の姿を捉えた瞬間、突然の発砲音が響いた。
「っ!?」
ビクリと心臓が飛び跳ねたが、それは男が撃ったものではなく、違う場所からのようだった。
「、奴が来たか!?」
待っていたと言わんばかりに男は音のした方角を振り返るが、そこには拘束されたままの誘拐犯がいるだけ。
一体何の音だったのか、皆が周囲を警戒していると意識を失っていたはずの誘拐犯が突如立ち上がって男に飛びかかる。
「くそぉぉ!!」
「っ!起きていたのか!」
男と誘拐犯が揉み合い、銃を奪い合うようにしながら殴り合う。
「ちぃっ!」
「何なんだよ、お前は!」
怒りを露わにする誘拐犯の拳を受け止める男。
不意打ちだったようだがそれでも男の方が強く、何度も殴りつけて誘拐犯は床に転がされた。
もう一度縛り上げようと馬乗りになった瞬間、カツンと何かの金属音が聞こえる。
部屋に投げ込まれた塊から白い煙が噴出して一気に周囲に充満し、美弥の視界もほとんどが見えなくなってしまった。
(な、何!?)
「よし!突入するぞ!!」
聞いた事のある警察の声がする。
何が起きているのか、混乱した美弥が見えない視線を彷徨わせていると、正面から腕だけが美弥に向かって伸びてくる。
「っ!」
男の腕かもしれないとビクリと身を縮み込ませると、見た事のある顔が至近距離に現れる。
「美弥、掴まれ」
「……っ!!」
小声で簡潔、だけど確かな声。
真っ白の視界から現れた眼鏡の奥に、紛れもないあの目が見えた。
鋭くて、何もかも見透かすように深くて、だけどどこか寂しそうなあの美しい色が。
それはずっと美弥が待ち望んでいたもので、脳がそれを理解するより先に涙が溢れた。
伸ばされた手で体を引き寄せられ、胸の中に納められる。
ナイフで手際よく背後の拘束を切ってくれている間、美弥は服の上からでもわかる逞しい筋肉と温かさに包まれていた。
それは以前に、何度も触れた事のある柔らかさと同じで、緊迫した状況なのにとても安心した。
口調だってまるで彼のようで、さっきの男の変装とまるで違う。
これは幻覚なのだろうか、だけどそれでもいいと思った。
彼が、シュウが、美弥を助けに来てくれた。
「、……シュウ…っ!」
「…………」
言ってはいけない、だけど口に出さずにはいられなくて。
心から叫びたかったその名前を彼にだけ聞こえるように絞り出して呟くと、彼の動きが一瞬だけ止まる。
自由になった手で、縋るようにぎゅっと服を握りしめて泣いた。
だけど今はそんな状況ではないのだろう、彼は美弥を片腕に抱いたまま、逃げる工作をしている。
「走れるな?」
「っ、うん」
闇に隠れながら、何処かで待ち構えているかもしれない男に見つからないルートを探しながら、彼は美弥を連れて外を目指す。
階段を下りていくつかの空き部屋を経由して、裏口らしき扉のドアノブに括り付けられたワイヤーに舌打ちした彼は、
手前にある柱の影に身を寄せながら懐から銃を取り出して美弥の目の前でそれを撃った。
「っ!」
思ったほど銃声はしなかったが、代わりにワイヤーに当たった音と、キンという金属の音が僅かに響く。
初めて間近で見たので驚いていると、振り返った彼が窺うような目で美弥を覗き込む。
「怖いか?」
「……貴方と一緒なら、怖くない」
それが素直な感想だった。
銃は怖い。だけどシュウが使っていると思うと不思議と怖いと思わなかった。
むしろ自分を助けてくれる為に使っているのだ、安心すら感じて首を横に振った。
周囲を警戒しながら安全な場所に着くまで、美弥は彼の服をずっと離さなかった。
もう二度と離したくないとすら感じた。
必死で彼の服を握りしめ、息つく間もなく変わる光景にぎゅっと目を閉じていた。
(シュウ……っ!)
この腕の強さが、体温が、美弥の五感を覆い尽くしていく。
彼が何者だって構わない、彼なら信じられる。
無理矢理足を動かす必要もなくなって、騒々しかった音がいつの間にか静かになっていても、美弥は嬉しくてひたすらに泣いていた。
「――美弥さん。大丈夫ですか、美弥さん」
シュウだけを感じていられる世界で、ふいに別の人の声がした。
「、え……?」
ハッと気付いて顔を上げれば、目の前にいたのはシュウではなかった。
眼鏡をかけた茶髪の大学院生、沖矢昴だった。
「沖矢、さん……?」
「コナン君から連絡をもらって、ちょうど隙を見て助け出しました。見た所、怪我はないようでよかった」
「…………」
美弥は愕然とした。
助けられてから一度も離さずに掴んでいたのに、彼は沖矢だった。
「美弥さん!無事でよかった!」
「コナン、君……」
男を撒いてきたであろうコナンが息を切らせながらやって来る。
ありがとうと言わなければならないのに、動揺が大きい美弥は瞳を彷徨わせるばかりで言葉が出ない。
普通の大学院生であるはずの彼がどうして助けに来たのか、どうして慣れたように銃を使っていたのか。
だけど美弥が気にしたのはそこではない。
確実にシュウだと思ったのに、そうではなかった事実だ。
(ただの、勘違いだったの……?)
未だ掴んだままの手を放心したように見つめて、美弥はどこか現実味を感じないまま、うわ言のような言葉を絞り出す。
「……た、助けて頂いて、ありがとうございます」
「いえ、もう安心して大丈夫ですよ。警察もようやく来たようですし」
「コナン君も……本当に、ありがとう……」
「ううん、ボクだけの力じゃないしね」
それでも一番に助けにきてくれたのはコナンだ。
彼にもっと感謝しなきゃいけないのに、頭では違う事ばかりが占めている。
複数のパトカーの音が次第に近付いてくる。
さっきの"突入する"と言った声は警察の人だと思ったのだが、違ったのだろうか。
一気に夢から覚めたようで、現実が押し寄せる。
シュウじゃない、彼は生きていた訳ではなかった事がショックで、無理して笑う事すらできない。
(だけど、私は確かにシュウだと思ったのに……)
覗うように見上げても、沖矢は「どうしましたか?」なんて返すだけ。細い目の奥の色は見せてもらえない。
手の感触だって、腕の強さだって彼のものだったのに。
「誘拐されて混乱するのも無理はありません。警察から事情を聞かれるとは思いますが、その後はゆっくり休んでください」
「……は、い」
自分は混乱していたのだろうか。だから、彼と沖矢を間違えたのだろうか。
思考を遮るように言われ、沖矢が離れると美弥の手もするりと落ちる。
「僕は助けに来ただけですので」と踵を返し、警察が来る方向とは逆の方に早々に去って行った。
「……美弥さん?」
「…………っ」
大切なものが手から零れ落ちたような気がして、美弥は立ち尽くした。
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変装した男が誰だったのかは、おわかりだとは思います。
男もコナンも、お互いに身バレしたくないのでフワフワした会話ばかりしてます。わかりにくくてごめんなさい。
ヒントは自作なので細かい事は勘弁してください。解説はできたら次回で。