突然視界を塞いだのは、柳のように縦に降り注ぐ雨だった。
雨に溺れて
季節はずれのそれは瞬く間に大地を覆い尽くし、地元民にとっての生活路を遮断する。
雨宿りの為に拝借した民家の屋根の下、肩を狭めて空を眺める尚隆を見上げた。
「どうする?帰る?」
飛翔する騎獣であれば雲海の上を移動すれば何ら問題はない。
しかし今日の目的は誰の目にも届かない所で自然に身を任せる事であり、
ただ移動する為でも遠くから眺める為でもない。
雨が降ってしまったとなればどこか街の店にでも入るか、
意味もなく雲海を渡るか、帰るしか選択肢がなくなる。
「ようやく抜け出せた俺の苦労を水の泡にする気か?」
「・・・無理矢理連れ出しておいてよく言うよ」
恨みがましく視線を尖らせても尚隆は鼻先で笑うだけで、
結局譲歩するのはこっちだと溜息をついた。
「じゃあどうする?どこか宿にでも泊まる?」
「そうだな・・・」
毎度の事ながら尚隆は執務室から抜け出してきた身の為、当然今日の遠出は内緒だ。
それだけで朱衡様達の怒りを買うには十分なのに、その上さらに一泊するとなると、さすがに気が引ける。
・・・・だけどこのまま帰りたくないというのが、
文句を言いつつもつい賛同してしまう鳳綺と尚隆の二人共通の本音だった。
―――その時だった、背後の家の扉が開いたのは。
現れたのは、少し小皺が走っているけどその容姿は端麗で、
きっと若い頃はさぞかし可愛かったであろう女性だった。
最初こそは驚いていたけど目の前にいた二人を凝視し、みるみる表情を変えた。
「まあびしょ濡れじゃないの!」
他人に家のひさしを拝借していた事を詫びようとしていた二人は顔を見合わせた。
「そろいもそろって美男美女が雨に打たれて!さあ、入って入って!」
「あ、ありがとうございます・・・」
女性に威勢のよさに押されて中に入れられる。
突然の事にどうしようかと助言を求めようと隣を見ても尚隆はどこ吹く風。
どうやらこの状況を楽しんでいるらしい。
「この辺では見かけない顔ね。どうしたの?どこかに行く途中?」
「・・・物見遊山のようなものです。気ままに旅をしていたら急に雨に降られてしまって」
勝手に軒下にいた事を詫びると、いいんだよと笑ってくれた。
「そう・・・じゃあ今日はやみそうにないからウチに泊まっていきなさい!」
「え・・・?」
借りた手巾で髪を拭いていた手が止まった。
「いえ、お気遣いなく。そこまでしていただく訳には・・・」
「大丈夫!部屋もあるし、食事だって心配しないでいいから!ね?」
「えっと・・・・・どうする?」
赤の他人であるはずの二人を迎えてくれた女性は心底泊まって欲しそうな様子で、
断る事の方が悪い気さえしてくる。
「俺は別に構わんが」
「ほら、旦那さんは話がわかる人だよ!」
「・・・・・・・・・・・」
この遊び人に聞いたのが間違いだったと鳳綺は後悔した。
「・・・・ではお言葉に甘えて、一泊お世話になります」
そして折れるのはいつも自分だと憤慨しながらも、
尚隆の強引さに心地良いものを感じている己はやはり末期だと鳳綺は思った。
女性――紗喬さんという――の話によると、
どうやら最近娘さんをお嫁に出したらしく、夫婦二人だけで寂しかったらしい。
そこへ年頃の男女が困っていたからどうしても気になってしまったのだという。
もしかして新婚なの?と聞かれた時は、
嬉しかったけど複雑な気分だったので微笑んではぐらかした。
部屋には少しの調度と寝台が二つ。
安い宿よりかは狭かったが普通の民家としては広い方で、
どこか親類の家に遊びに来ているようで逆に満足だった。
濡れた肩を一向に気にしない男に溜息をついて甲斐甲斐しく拭いてやっていると、
常の生活でこういう事はほとんどしないなぁと気がついた。
雨に濡れる事もないし、拭くのはまず女官の仕事だったからだ。
これはきっと、ごく普通の夫婦では当たり前の光景なんだろう。
「・・・楽しいね、こういう事も」
「だから言っただろう」
相手の衣を拭う事がこんなにも珍しくて、嬉しい。
[・・・主上]
そこへ、二人だけになる機会を待っていたかのように使令が影から呼びかけた。
「・・・・徽芒(きぼう)か」
[台補から、主上が不審な動きをしたら呼び戻すようにと命を受けております。お戻り下さい]
「あいつめ、目ざとくなったな」
お決まりの言葉にうんざりしたように尚隆の眉間に皺が寄る。
「外は雨だ。濡れてなど帰れん」
[しかし雲海ならば濡れませんが・・・]
「それまでに多少なりとも濡れるではないか。后妃に風邪を引かせるつもりかと、その台補に伝えろ」
[・・・・・・・・はい]
会話を聞いていた鳳綺は、神仙は風邪など引かないじゃないかとか、
色々と突っ込みたくなるのを抑え、代わりに強引な王を持った使令を哀れに思った。
再び遁甲してしまった使令に悪い事をしたと、後悔の念に駆られた。
夕食は美味しかった。
この地方の食材を生かしてあり、まるで母の手料理を味わっているようだった。
紗喬さんの旦那さんもいい人で久しぶりに食卓を囲んだ。
紗喬さんとは随分打ち解けて、二人を中心に笑いがおこると周りの男性陣は静かに笑い、
まるで一人娘の一家に婿が養子入りした家族のようだった。
そう思った事を尚隆に話したら、「ならば俺はお前の尻に敷かれているのだろうよ」なんて言った。
変な誤解を招くのはやめてほしい、私は断じて尚隆を尻に敷いた事なんてない・・・・たぶん。
その感情を読み取ったのか、尚隆は意地悪く笑うばかり。
「もう・・・馬鹿な事言ってないで先にお湯使って」
紗喬さんからもらった熱い湯を衝立の向こうの桶に流し込む。
それでも尚隆はニヤニヤしたままで背後に立っている。
「・・・・何?」
「一緒に入るか?」
「な、何言ってんの!冷めないうちに入って!」
慌てて衝立の外に逃げると、くつくつ笑っていた遊び人はようやく湯を浴びてくれたようだった。
「鳳綺」
「・・・・・・・・・・・何?」
嫌な予感がしてその声を無視しようかと思ったけど、しばらく沈黙して結局返事をした。
「背中洗ってくれるか?狭くて手が届かん」
ほら、やっぱり無茶な事を要求してくる。
嘘だとわかりきっているのに。
「・・・・はいはい、わかりましたよ旦那様」
尻に敷かれているのはどっちだと言いたかったけど、それは声には出さなかった。
意を決して飛び込んだ衝立の向こうには、犯罪まがいの背中が露を含んで妖しく光っていた。
広くて逞しくて引き締まった体で、あの筋肉に何度抱き寄せられたかわからない。
「どうした?」
「・・・・・・・何でもない」
眺め続けると自分の中の自覚したくないものが湧き上がる気がして、
鳳綺は平常心を呼び覚ますようにして背中を洗った。
「お前の背中も洗ってやろうか?」
「っ、いいからあっち向いてて!」
さも面白そうに笑いを浮かべる男に一抹の不安を感じた。
水も滴る良い男とはこういう事だ、と心の中で悪態をつきながら。
この状況を心の隅のどこかで期待しながら、でもまさか本当にやる訳ないだろうと思っていた。
遊び人でも少しは常識はあるだろうという自分の推測は、今まさにものの見事に打ち砕かれてしまった。
「何で入ってくるの・・・・!」
寝台はちゃんと二つある、それなのに尚隆は狭い寝台にわざわざ侵入してくる。
相変わらず相手の反応を楽しむような目で、だけどとぼけるような態度で。
「・・・・・そうだな、湯冷めしたかもな」
「適当に理由考えないで」
「嫌か?」
「・・・・・別にいいけど」
「今日は終始素直ではないな」
脇の下に腕を差し込まれ、逃げられないように抱き寄せられる。
温かい胸に包み込まれるような体勢にさせられると、嫌が応にも本音を引き出されそうになる。
「どうした?お前も楽しいと言っていただろう?」
「・・・・・・・・それは、そうだけど・・・」
素直に喜べない理由を答えようにもそれを想像していたと悟られるのが嫌で、
鳳綺は顔を逸らすが、そのままでは流石に寝られそうになかった。
「・・・・折角泊めてくれたのに、ここは壁が薄いから嫌なの!」
「ほう・・・・・壁が薄いと何か支障があるのか?」
恥ずかしさから小声で、だけど次第に語尾が吐き捨てるような口調になってしまったのを見ても、
何もかもわかっていて意地悪に聞いてくる。
最初からそのつもりだったのは尚隆の方なのに、あたかも自分には全く下心はないという口振り。
それでも結局、最後には流される。
「・・・・・・意地悪」
流される事も知っているというのに、意地の悪い男。
こうやって、時々私の想いを確かめようとするんだから。
「今更だな。だがそういう俺に、お前は惚れているんだろう?」
「な・・・・・ん・・・・っ」
自分ばかり言うだけ言って、両手の拘束を解かないまま唇を塞がれた。
弱い所ばかり舌で攻められて次第に失っていくのは正確な判断力と反抗心。
私には答えさせてもくれない。
そういう所・・・・本当に狡い。
「ねぇ・・・っ、ここじゃ・・・・嫌だって、ば・・・・!」
「それも今更だな。そんなお前を見て止められる訳がない」
今度は耳元で囁かれて、背筋が粟立つ。
尚隆の目に宿るのは確かな熱、求められているという確かな欲情。
そうしてまた私は、目の前の男を受け入れるしかなくなる。
嵌ったら抜け出せない、周到な罠。
――ここでは私達は王でも王后でもなく、ただの初々しい夫婦。
何かが違っていたら、もしかしたら現実となっていたかもしれない日常。
互いに補い、寄り添って、寒さを温めるように愛し合う。
どうしようもなく愛しているから、常識も戻るべき場所さえも忘れ、狭い民家で私は雨に溺れる。
貴方はきっと、雨のように気まぐれで人を翻弄させて、それでいて漂わせるのは寂しさ。
貴方の唇だけが、熱い。
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えー、これは裏夢の為の前フリです(笑)
1話の裏夢のつもりが前後の話が長くなったので、
表と裏で分けて、表ではほの甘、メインは裏という事にしました。
騎獣は風を感じないそうですが、という事は雪も雨も感じないのでしょうか?
私は感じないと信じて疑ってなかったんですけど、そういう描写はなかった事に気付きました。
でも風を感じないという事は、何やら結界的なものがあるんでしょうかね?
なので雨描写濁してますのであしからず(笑)
それと使令はオリジナルじゃないです、ちゃんと六太の使令(らしい)です。
次回は久しぶりの裏です。か、書けるかな・・・?(汗)