「う~ん・・・・・ちょっと休憩してくる」
「そのまま逃げるなんて事しないでしょうね」
「しないって。その当たり散歩してくるだけだから」

鳳綺が筆を置き立ち上がると、苫珠は逃がすまいと睨んでくる。

逃げたいけど今日は仕事の量が多くてそれはできそうもない。
かと言って、仕事詰めなのも気が滅入るから気分転換くらいはさせてほしい。
苫珠もわかってくれているから、それ以上は何も言ってこない。

「・・・・一緒に行く?」
「あいにくと仕事が忙しいの、行くならさっさと行きなさいよ」

つっけんどんな態度を取りながら、鳳綺に上着を着せてくれる女御。
そんな親友に『ありがとう』の意味で笑顔を溢して、鳳綺は後宮を後にした。






若紫






玄英宮から少し降りた山の中腹の崖に、鳳綺の気に入っている場所はある。

ゴツゴツした岩に囲まれた、狭くもなく広くもない平地。
そこには柔らかい草花が生い茂り、温かい風がなびけばサワサワと鳴く。
唯一の崖の下は雲海で、そこから地平線が覗ける。


小さな草原の中心で海を眺める大樹、その根本に鳳綺は座り込んだ。


ここは岩に囲まれているから、飛行できる騎獣でなければ来る事ができない。
官達に会う事もないから余計な気を遣わないで済む。

木にもたれかかるようにして、持ってきた一冊の本をパラパラをめくる。




「なんだ、お前もいたのか」



「・・・・あれ?尚隆も休憩?」

ふいに聞こえた声に顔を上げると、尚隆が『たま』から降りてくる所だった。
軽く「ああ」と答え、疲れた様子で鳳綺の隣に腰掛ける。

「好きだな、此処」
「だって気持ちいいし、誰も来ないから。あ、尚隆は別だよ」
「そうか」


気怠げに息を吐く姿勢から、相当長い間執務室詰めだったとわかる。
だからこういう気分転換の時は仕事の話はしない。
ぼ~っと景色を眺めているようだったから、
鳳綺は特に話しかける事もなく再び本に視線を落とした。



「・・・・・・何の本だ?」
「あ、これ?前に市井で買ってきたの、女性の間で流行ってる物語らしいよ」
「・・・・・ほぅ」

特に興味があるようでも、ないようでもなかった。
だけど話しかけられたのが何となく嬉しい。

「面白いんだよこれ、若くて魅力的でその上お金持ちの男の人がね、
綺麗な女の人を見つけては取っ替え引っ替え自分のものにしていくの」
「・・・・・・・どこかで聞いたような話だ」

尚隆は何となく耳が痛い。

「この話なんかね、自分の好きな人に似ている女の子を引き取って、
その好きな人に似た理想の女性にしようと自分で養育するんだよ」
「・・・・・・・・面白いのか、それ?」
「う~ん・・・・・・何となく読み進めたくなる本ではあるよ。現実とはかけ離れてるし」
「・・・・・・・そうか」


架空の物語を好んで読む様子は、やはり普通の娘と変わらないな、そう感じた。




・・・・・・そうして、沈黙が訪れる。
それは決して気まずいものじゃなく、平穏を導くものだった。


心地よい風が頬を撫でる。
騎獣達も風を感じたのか、気持ちよさそうに少し体をよじってはまた眠りにつく。
聞こえるのは潮と草の音と、互いの静かな息づかいだけ。


時間というものが存在しない小さな空間。


そこに自分と、自分の事を全て知ってくれている女がいる。
何をするわけでもなく、鳳綺の傍にいるだけで心が安らぐ。
膨大な書類に眩暈を覚え、何時間も執務室に引きこもればさすがに嫌気がさす。
だがこうやっていると、仕方がない、またやってやるか・・・・・と思えるようになってくる。


不思議なものだと思う。
隣にいる、ただそれだけでいいとは。





「・・・・・・戻るか」

一応、一時の休憩という事でようやく執務室から出してもらっていた。
そろそろ戻らねばさらに仕事が増えて泣きを見ることになりかねない。

しかし隣からの返事はない。
どうしたのかと横を振り向くと、鳳綺は本を開いたままコクリコクリと頭を上下させていた。



その寝顔に、尚隆はふっと顔を綻ばせた。















鳳綺、いつまでほっつき歩いて、って・・・・・・・・主上?」

帰ってくる音がしたので眉間に皺を寄せて扉を開けると、
そこには鳳綺を抱きかかえた尚隆が立っていた。

「本を読みながら寝てしまったようだ」


胸に頬を寄せ眠る鳳綺を見つめる柔らかい表情は、
見ているこっちまで顔が赤くなりそうなぐらいで。


「ったく・・・・主上に運ばせて何呑気に寝てんのよ」


もう仙になって数十年は経っているというのに、あどけなさが抜けない寝顔。
彼女の特徴である白銀の瞳は、今はまだ夢というまどろみの中。

尚隆は鳳綺を起こさないようにゆっくりと寝台に寝かせた。
何をする訳でもなく、そのままくるりときびすを返す。


「ではな」


それだけ言うと後宮から颯爽と出ていった。


特に多くの事をしゃべらない延王。
だから何を考えているかなんて、
数十年仕えただけの女御では到底全部などわかるはずがない。




だけどその少し笑みを含ませた横顔は、どこからどうみても幸せそうだった。











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短いです、ほのぼのです。
最近シリアス続きで、しかも今考えていたネタもシリアスだったんで、
リハビリも兼ねて急遽ほのぼのを書き上げてみました。

何も起こらない日常です。でもこういうのが一番好きかも。
何でもないのに時々ふっと幸せだと感じるのっていいなぁ、と。

ちなみにヒロインが読んでたのは源氏物語です(笑)
タイトルも特に意味はありません。
だけどよく考えたら、尚隆様は小さかったヒロインを拾った訳ですから、
まぁ源氏に似てなくもないかなぁ~・・・・なんて(似てねぇよ)